
諸元(1945年時「丹陽」) 基準排水量 33200t 全長 228.5m 全幅 32.2m 喫水 9.8m 機関出力 141.000hp 速力 32.3kt 航続力 9000海里/16kt 乗員 1106名 武装 30cm砲(L48)連装 5基 12.7cm高角砲(L38)連装 12基 40mm機関銃 4連装 18基 装甲 舷側320mm 甲板120mm 主砲330mm 1944年末、それまでほとんど活動していなかったソ連海軍戦艦「ガングート」級二隻がにわかに 活動を活発化させたという情報が連合国側に伝えられた。これに対しては、当時ソ連が既にドイツの技 術支援を受けて新鋭戦艦「ソビエツキー・ソユーズ」級三隻、巡洋戦艦「クロンシュタット」級三隻を 実戦配備させていたことから西側各国はソ連側の意図をはかりかねていたが、翌45年1月、その意図 を推測する新たな情報が入手された。多数の中華民主主義人民共和国(北中国)海軍将兵がソ連に入国 していたことが明らかになったのだ。これらの情報から、新鋭戦艦をそろえたソ連は北中国に対して旧 式化していた「ガングート」級を引き渡すものと推定、それを裏付けるかのように、ソ連は「ガングー ト」級戦艦「ガングート」「ポルタワ」、さらに竣工したばかりの「ソビエツキー・ソユーズ」級「ソ ビエツカヤ・ラトヴィア」「ソヴィエツカヤ・リトアニア」「ソヴィエツカヤ・エストニア」、「クロ ンシュタット」級「ウラジオストック」「ノヴォロシスク」「バクー」を主力とする大艦隊を出航させ たのである。目的地はむろん極東アジア、旅巡及びウラジオストック。中華民国(南中国)を支援して いた日米英は対応を迫られる事となる。 とはいえ、第二次世界大戦においてソ連は中立を表明しており、大西洋の制海権を奪取したといえ、 反攻の糸口をつかみかねている連合国にとってさらにソ連を相手取って戦争を起こすのはあまりに荷が 重かった。それでもインド洋方面に展開していた艦隊による妨害活動を実施する一方、パナマ運河を経 由して回航された「富士」「浅間」「ニュージャージー」「ウィスコンシン」が慣熟訓練を終えたばか りの新鋭戦艦「紀伊」「尾張」と合流してこれらを中核とする日米艦隊がで極東に展開。これによって 一時はソ連と日米英との間の緊張は開戦寸前まで追い込まれるが、結局、ソ連は艦隊の極東回航を一時 断念、艦隊は地中海に止まることとなる。 そしてこの時期、南中国は戦艦の保有を模索するようになる。もっとも、ソ連の供与を受けた北中国 同様自力で建造することは不可能であったため、、一度は日米英各国に建造を依頼する。しかし、時期 的にも費用面でも新規の建造は断念せざるを得ず、最終的に各国が現在保有している旧式戦艦から同型 艦二隻の供与を受けることとなり、ここで焦点となったのはどの戦艦を供与するかであった。一時は米 戦艦から選ばれる事となったが、低速の米戦艦は万一ソ連艦隊との交戦が行われた場合に離脱が困難で あることから見直され、日英の旧式巡洋戦艦から選ばれることとなった。もっとも、当時生き残ってい た艦は「金剛」「榛名」「霧島」「レナウン」のみであり、「レナウン」「金剛」は姉妹艦が既に戦没 していたために同型二隻という条件に合わないために、9月には「榛名」「霧島」を供与するという最 終決定が下された。かくして、この両艦は再度国籍を変え、第一線に返り咲くこととなる。 南中国への供与が決定されてすぐ、両艦は改装工事にはいることとなった。工事の内容は主に全体的 な整備であったが、当時の南中国は海軍が駆逐艦の供与を受けていたのを含めてアメリカ製兵器を多用 しており、その関係上高角砲及び対空機銃、レーダーなどをアメリカ製に変更している。 同年11月、ソ連艦隊は再度出撃、今度はマゼラン海峡から南太平洋を一気に西進して旅巡に到着、 翌46年2月には北中国に供与された「ガングート」「ポルタワ」が艦名を「定遠」「鎮遠」と変えて 就役する。そして、3月には「丹陽」(旧「榛名」)「成功」(旧「霧島」)も改装及び慣熟訓練を終 えて南中国海軍に編入され、東シナ海を舞台に南北中国の戦艦がにらみ合うこととなった。 そして1947年、北中国の侵攻を皮切りに第二次中国戦争が勃発、「丹陽」「成功」も南中国海軍 主力として戦闘行動に参加している。主な作戦は地上部隊の支援や陽動、日本やアメリカをはじめとす る外国からの物資輸送船団の護衛など裏方的な活動であったが、48年の第二次旅巡航略作戦において は洋上から支援作戦を行うべく霧の立ちこめる中を両艦は黄海に突入、阻止を試みた北中国海軍の戦艦 「定遠」「鎮遠」と交戦、「鎮遠」を撃沈するものの両艦共に損傷を受けて帰還している。そしてこれ が両艦にとって最後の実戦、そして世界で最後の戦艦同士の開戦でもあった。 両艦は戦後も交互に中国艦隊旗艦をつとめていが、もはや戦艦の時代は完全に過ぎ去っており、老朽 化もあって実戦力とは見なされないようになる。そして、1963年2月になって両艦共に退役、その まま解体の日を待つこととなった。 そして同年4月、南中国を訪問していたヴィントスラント王国国王は、首相会談中にこのような発言 をする。 「貴国海軍が現在保有しているあの戦艦、我々は貴国の同意さえ得られるならばあの艦を所有すること を真剣に検討している」 続 作者コメント ようやっとここまでたどり着きました。ヴィントスラントが保有するはずだった二隻の戦艦は時代の 流れに流されるままドイツ、イギリス、日本、中華民国を転々と渡り歩き、艦歴実に半世紀。二度の世 界大戦とさらに二度の中国戦争を生き残ってついに実戦を完全に離れるところまで書き上げました。 次回、いよいよ最終回。ヴィントスラントはこの艦に何を求めているのか? 両艦の運命は? 「火 葬」と称して始めたこのシリーズですが、いつの間にかなかなか思い入れの強い艦になってしまった二 隻の歴史、どうか最後までおつきあい下さいませ。 明石耕作 |