
諸元
1937年頃から、オランダ海軍はその基幹を担う主力艦の整備計画を始めた。当初はシャルンホルスト級のような巡洋戦艦を企図し、ドイツに発注する予定だったのだが、多様性の観点から思い切って多くの国に打診する事となった。 外交的な関係改善を考えてのドイツ、日本への発注だったが、この二カ国だけに頼るのも米英他の感情を害しかねないという観点から、当時大型艦をある程度建造できた国全てに打診される事となった。 この発注に際しては当初の巡洋戦艦構想すらも変更しうるものとされ、自由度の高い競争設計と相成ったのだ。 要求事項は主に次の通りだった。
さて、この計画には各国とも様々な思惑から参加することになるのだが、日本にとって最大の要因は蘭領東南アジアで産出する各種資源の貿易再開のため、オランダとの関係改善は日本としても捨てがたかったことである。また、技術的な観点から言えば、すでにこのサイズの艦艇は直接的には大した戦力にはならないという意見が大勢を占めていたが、一方不安のある機関技術に経験を積ませるという事や、新機軸のテスト環境とすることなどを考えれば無駄ではなかった。 そこで、日本は3種の艦を設計し提出することになるのだが、その第一案がこのBー65艦型という大型重巡案であった。 というのも、この要求案の内容を吟味すると、日本の場合は速力30ノット以上(長門型25ノットから)、防御は対20.3cmとなると、各国の3万トン超クラス高速戦艦には速力でも装甲でも対抗できないからだ。そこで、砲サイズは重巡そのままで、対20.3cmの確実な防御を施し、高速戦艦さえも振り切れる速力をもった艦として設計されたのがこの艦型であった。 さて、このB-65艦型でもっとも特筆すべきはその巨大な機関であろう。一軸一機二缶でほぼ独立した設計のこの機関は、一基あたり5万馬力超の出力を誇った。こうした機関は理論的には可能とされていたが、一方機関長がが膨大になることを考えれば双発にすべきとされていたのだった。しかし、今回は装甲範囲の拡大はあまり問題とされない(排水量に比して計画装甲厚は薄いため)こと、また将来的に駆逐艦などで大出力機関が必要になるであろう事から、これを機に試設計が行われたのだ。 また、新たに設計されたものとしてはその砲塔も挙げられる。砲は重巡用50口径の20.3cm砲だが、それを三連装としたのだ。これは、艦齢の高い既存の重巡の代艦を建造する際に使用が検討されたものである(60口径15.5cm砲との比較でもあったが)。装備数は当初六基が計画されたが、配置上の問題から一基減じられた。その後、三段背負い式による復元性の悪化がが懸念されたが、そのまま継続されることとなった。 魚雷発射管は片舷5基15門で、うち1基は射出機の下に設置されている。61cm魚雷を発射することになっているが、酸素魚雷は門外不出であることから旧式の九○式をライセンス生産させる予定である。また、進歩著しい航空機に対応するため、連装高角砲9基と三連装機銃9基が搭載される。 さらに、艦隊旗艦としての運用が前提であるため、超大型の艦橋が設置された。通信、指揮能力はそれ故に高いのだが、一方重心の上昇に一役買っており、艦の安定性を損なう結果となっている。 装甲は、20.3cm対応防御を全域に、さらに主要防護帯には25mm厚い装甲を張っている。この重装甲により、敵重巡の安全距離外にも拘わらず本艦は安全距離内という部分が存在することとなり、その距離帯での戦闘を前提とすることになっている。こうした装甲に重きを置いた艦は旧来の重巡とは一線を画するものであることから、装甲巡洋艦という名称を復活させた。 |