邪国海軍 巡洋戦艦『浅間』

巡洋戦艦『浅間』


    要目(『浅間』最終時)
 
    基準排水量:33,200t
    全長:236.5m
    全幅:28.6m
    喫水:9.8m
    主機:艦本式オール・ギアード高圧タービン4基 4軸 
    主罐:ロ号艦本式重油罐8基
    出力:205,000hp 
    最大速力:34.2kt
    航続力:9,500浬/20kt
    乗員:1,460名
    武装:45口径35.6cm連装砲4基
       61cm魚雷発射管5連装2基
       40口径12.7p連装高角砲10基 
       25mm3連装対空機銃24基 同単装14基 13mm連装対空機銃2基
    搭載機:水上偵察機3機
    装甲(最大)舷側250mm(傾斜角15°)
          甲板126mm
          主砲300o
    同型艦:『磐手』『吾妻』『出雲』『常磐』『八雲』
    略同型艦:『高雄』『利根』

 
 
巡洋戦艦『浅間』型艦歴
 

 邪国紀元1030年7月15日に邁国と開戦した邪国は、世界初の機動部隊同士の激突となった露島
沖海戦と、邁国海軍の最前線基地であるツツガムシ島夜襲作戦で勝利を収めた。
 だが、この二つの勝利は、邪国海軍の戦時下における大型艦建造計画において、無視できない戦訓を
含んだ戦いだったのである。
 
 
 その戦訓とは、次のようなものであった。
 
  1.露島沖航空戦の結果、空母機動部隊による艦隊攻撃は予想以上に効果的であり、これ
    からの海戦の主流になると予測される。このため空母機動部隊に随伴できず、また敵
    機の攻撃に対処できるだけの対空火器を備えていない艦は、戦力として役に立たない
    と考えられる。
  2.ツツガムシ島夜襲作戦の成功は、艦隊速度が高かったことも一因であると考えられる。
    このことから、艦隊決戦においても各艦の運動性、速力は極力高いことが望ましい。
    よって現在邪国が保有する戦艦群は速力が不足していると思われる。
 

 この戦訓を踏まえて、邪国海軍は設計中の空母『大鳳』型の建造開始を予定より早めることにし、同
時に『飛龍』を基礎とした戦時簡易型空母(後に『雲龍』型となる)の設計を開始することになるので
ある。


 これと同時に、高速戦艦といえば『金剛』型4隻の他に、既に第二艦隊旗艦に内定していた『大和』
しか保有していない戦艦群の増強も計画された。当初軍令部は40.6p3連装砲3基装備した戦艦4
隻を建造するつもりで、艦政本部にもその旨を伝えていた。だが艦政本部からは、設計に時間がかかる
ことと、予算、資材の関係からも急速建造が不可能だという理由で反対意見が出された。そのため、こ
の計画は断念されることになったのである
 そこで軍令部は艦政本部に、現在就役あるいは設計を終了している艦型の中で、ある程度の戦力を持
った急造戦艦に転用できるものを検討するよう命じた。
 その命令を受けた艦政本部が真っ先に目をつけたのが、ツツガムシ島沖夜襲で活躍した大型一等巡洋
艦『高雄』であった。
 
 
 紀元1030年11月、『高雄』の設計を流用した新型巡洋戦艦の計画が定まった。その要点は以下
のとおりである。

  1.主砲を30.5p3連装砲から、35.6p連装砲に換装する。
  2.主砲の換装などに伴う重量増加に対応し、魚雷発射管の削減、および艦内設備の簡略
    化を行う。
  3.敵機の攻撃に対応するため、高角砲、および対空機銃を増設する。
  4.基本的な艦内構造および防御は『高雄』と同等とする。
 
 上記の要点を見ても、設計の基礎となった『高雄』からの主な変更点は少なく、これにより設計の時
間を短縮できたことがわかる。なお装甲の強化は検討されていたのだが、これ以上の重量増加は速力の
大幅な低下につながるということで見送られることになった。
 設計完了と同時に軍令部は本艦型を6隻建造することを決定。紀元1031年1月20日、1番艦の
仮称『801号艦』(後に『浅間』と命名。以後の同型艦の仮称艦名は806号艦までの連続)が起工、
続いて同型艦『磐手』『出雲』『吾妻』『常盤』『八雲』が次々と起工された。これらの艦名は、第一
線を離れて後は長く練習艦として使用され、開戦直後に除籍された旧装甲巡洋艦の名を引き継いだもの
であった。
 なお本型から『金剛』型の改装以来途絶えていた巡洋戦艦の艦種類別が復活し、当初一等巡洋艦に類
別されていた『高雄』『利根』も、これに準ずる形で艦種が巡洋戦艦に変更されたのである。
 
 
 『浅間』型の特徴は、戦時急造の戦艦として必要な装備以外を極力省略したことと、可能な限り他艦
と装備を共用できるように考えられていたことである。
 主砲を35.6p45口径砲に換装したのもそのためで、この砲は『伊勢』型以前の戦艦に広く装備
されている砲であったから、砲弾の供給、および砲身の管理などで有利となっていた。ただ、本型に登
載された砲塔は砲弾の装填機構が大幅に改良されたものであった。これにより発射速度が向上しており
『高雄』『利根』が搭載している30.5p50口径砲より若干劣る程度という、十分な発射速度を有
していた。
 その他の兵装は、魚雷兵装は零式5連装発射管2基(次発装填装置付)に変更された。これは砲戦距
離の延長によって魚雷発射の機会が減ると考えられたからだが、撤去してしまうと対戦艦戦に不安あり
ということで、このような形で魚雷兵装が残されたのである。
 他に対空兵装として12.7p連装高角砲10基、25o対空機銃3連装12基(完成直後に3連装
16基 単装14基を追加)、13mm連装対空機銃2基が搭載されている。この対空兵装は『高雄』の
改装後に準じたものとなっている。
 艦内設備は、主に艦隊旗艦設備を中心に各部が省略、簡略化されている。これは本艦型が戦隊の構成
艦としての活動を前提としており、艦隊旗艦の任にあてることを考慮されていなかったからである。搭
載機関は『高雄』が装備したオール・ギアード高圧タービンを改良したものが使用され、機関出力は向
上している。その結果、各部の改良により排水量は増加したが、最大速力は34.2ktと、『高雄』と
ほぼ同じ速力を保つことに成功したのである。


 1番艦『浅間』は紀元1032年9月19日に完成。そして紀元1033年1月までに同型艦6隻が
次々と完成したが、休戦中のこの時期に浅間型6隻が揃ったことは、来るべき邁国との再戦に備えてい
た邪国海軍にとって頼もしい新戦力となった。ちなみに所属は、『浅間』『磐手』『出雲』は『高雄』
と同じ第二艦隊本隊の第八戦隊で、『吾妻』『常盤』『八雲』は『利根』と共に第二艦隊遊撃隊の第七
戦隊であった。
 
 
 『浅間』型の各艦の戦歴は、休戦の破棄から終戦までの2年弱という短期間のものだったため、『高
雄』『利根』と比べるとそれほど目立つものではなかった。だが、高速夜戦部隊である第二艦隊の主力
艦として、中部大東洋海戦、第二次到島沖海戦、第二次露島沖海戦で活躍している。
 主な戦果としては、第二次到島沖海戦で『浅間』が砲雷撃で敵戦艦『サウス・ダコタ』を撃沈、第二
次露島沖海戦では『磐手』『出雲』『八雲』が敵艦隊に突撃、戦艦『インディアナ』を撃沈、『ウィス
コンシン』を大破させ、これを自沈に追い込んでいる。本型は基本的に流用品を集めて作られた戦艦で
あり、その艦型も戦艦としては小型で、巡洋艦としては大型と、中途半端になる可能性も秘めてはいた
のだが、堅実な設計と手ごろな性能だったことが幸いして、実戦部隊の評判はまずまずだったようであ
る。
 
 
 第二次露島沖海戦で『吾妻』『常盤』が砲雷撃で沈没したが、両艦ともかなりの被弾、被雷があり、
本型の防御力が決して低いものでないことを身をもって証明することになったのである。また同海戦で
『磐手』は大破し、終戦後の軍縮条約によりそのまま解体処分とされている。
 残った『浅間』『出雲』『八雲』は、同じく保有を認められた『高雄』『利根』と並ぶ国防軍警備艦
隊最大の水上艦艇であり、その後は魚雷の撤去、各種ミサイルの搭載など改装を施しつつ、紀元105
6年頃まで現役にとどまっている。


 
 
    作者より
 
     A−140です。『巡洋戦艦3部作』第3段は『高雄』流用の急造戦艦ということ
    で、絵のほうも文字通りの流用となりました。つまり『高雄』の図ができた時点で、
    もうこの艦は完成も同然だったわけです。それだけに楽でした(笑)。

 
     ところで、35.6p砲を搭載したのだから、この艦はもう立派な戦艦。よって魚
    雷はいらないのでは? と思えなくもありません。被弾した際に誘爆の原因になるだ
    けのような気もします。それでも積んだのは私が魚雷好きだから、というだけです。
    この艦の乗員にはとても迷惑な話でしょうね。

 
     さて、同じような艦を3度も見せる企画に長々とお付き合い頂き、ありがとうござ
    いました。これからも鋭意製作に励みますので、よろしくお願いします。

                           2001年 10月20日 投稿