
−要目(「渥美」新造時)− 基準排水量:18000t 全長:200.0m 全幅:24.3m 吃水:7.2m 速力:28.0kt 出力:76000馬力 航続距離:18ktで10000浬 兵装:50口径12.7cm3連装砲3基、25mm3連装機銃6基 航空機:水上機3機 搭載量:1個大隊程度 同型艦:「本部」「根室」4番艦は計画中止 −概要− 昭和12年の第2次上海事変で日本軍は鮮やかな勝利を納めたが停戦することなく大陸での戦いは次 第に泥沼と化していった。 それは兎も角、緒戦で活躍した上海特別陸戦隊やそれ以前にも大陸で起こった緊急事態の際に真っ 先に前線に送りこまれたのは海軍の陸戦隊だった。たまたま居合せた軍艦から陸戦隊を編成してその まま送りこんだのである。 動員を必要としない海軍は陸軍よりも機動力があった。そこで海外での緊急時には陸戦隊を取り敢 えず派遣して陸軍の増援が来るまでの時間を稼ごう、と言う考えが具体的に思案されることとなった。 第2次上海事変の記憶が生々しい昭和12年の暮れの事だった。 たまたま居合せた軍艦から陸戦隊を編成するのは良しとしてその数は限られている。纏まった数の 陸戦隊を送り出す(それも速やかに)には各鎮守府から船を出すのが最も手っ取り早い方法だと思われ た。4つの鎮守府と出来れば千島列島を考慮して大湊の警備府に予め用意したい。 しかし海軍の保有する輸送船は限られているし、速度の速い船は少ない。結局は専用の船が必要と 言う事になったのである。 ここでまた問題が発生した。軍縮条約を脱退してこれから艦艇を増強しようという時期に主力艦で もなければ補助艦艇でもない、言うなれば胡乱な船の為に貴重なドックは割けないと言う意見が多数 派であった。 推進派としてはそんなことで折角の計画を潰したくなかったのでなんとかして計画を成立させよう とした。まずはじめに考えられたのは甲標的母艦である。すでに「千歳」型が存在する為に技術的な問 題は無いはずである。輸送船としてだけではなく、れっきとした戦闘艦としての運用もできるとアピ ールしたのである。 次に考えられたのは南洋の委任統治領についてである。軍縮条約の影響で基地の整備が遅れている 為にアメリカとの戦争が始まれば防備が完全とは言えないこれらの島々は占領されてしまう。そこで この“優秀な”輸送船を使えば急速に戦力を拡充できるとアピールした。 推進派の祈りが通じたのか、昭和14年度計画では4隻の建造が認められた。 しかし落とし穴もあった。もともと高速な“輸送船”を整備する積もりだったのに甲標的母艦や強 力な海軍を持つアメリカを敵に回しての南洋への緊急輸送などを強調した為にいつのまにか輸送船と しては強力な武装を持ち、しかも水上機まで搭載するハメになってしまった。極めつけは船体が商船 構造から軍艦構造になり(装甲はほとんど無いが水密区画が増えた)外見までが軍艦(水上機母艦や潜 水母艦)みたいな格好となってしまったのである。 それらを象徴するように今まで輸送“船”と呼ばれていたのが輸送“艦”と呼ばれるようになった。 お陰でこの計画の予算は当初のものより大幅に跳ね上がってしまった。もっともこの事実に気付い て「しまった!」と思った人物は極めて少なかったのだが…。 なにはともあれ建造が始まった1番艦は昭和17年の秋に就役し、「渥美」と名付けられた。 輸送艦の命名基準は半島名と決められたのだ。 外見は潜水母艦だった「大鯨」に似ている。艦尾には甲標的発艦用開口部、船体内には甲標的用格納 庫があり、これらは大発の運用も可能で後になって大発を使った揚陸作業にも有利な事が判明した。 なお甲標的は12隻まで搭載可能で大発なら24隻まで搭載できる。 「渥美」の主砲には12.7cm3連装砲が3基搭載されているがこれは元々駆逐艦用に計画されたものであ る。その時は実物は作られなかったが三年式12.7cm砲はその数が多いことから試験的に3連装砲とし て「渥美」に特別に搭載された。他の同型艦は航空機の脅威を重視して八九式12.7cm連装砲を2基搭載 した。 就役した「渥美」は昭和18年初頭からソロモン諸島での輸送作戦に使用された。高速の「渥美」は駆逐 艦と共にソロモンの島々の間を疾走したのである。 一度アメリカ駆逐艦と遭遇した事があったが随伴している駆逐艦と協同して返り討ちにした。大抵 の駆逐艦より火力が強力だったことが幸いしたようである。 2番艦の「本部」は昭和18年の春に就役した。「本部」はそれまで活動していた「渥美」と共にソロモン 諸島やニューギニアへの輸送に使われた。潜水艦に雷撃されたり爆撃機に狙われたりしたこともあっ たが両艦は幸運にも生き延びた。 昭和19年に入ると「渥美」及び「本部」、新たに就役した「根室」はマリアナ諸島への緊急輸送である東 松船団に参加したのを皮切りに「戦機ハ今ナリ、手ハ一ツノミ」の電文で有名なビアク救援の渾作戦に も参加した。第一次渾作戦はアメリカ機動部隊に発見されて失敗したが第二次渾作戦では敵艦隊と交 戦しつつも揚陸を強行した。その為に「本部」が撃沈された。 ビアクは結局失陥したが第二次渾作戦は一応成功した。 そして中央の目はその直後に行われたアメリカ機動部隊のマリアナ空襲へと向けられる事となった。 あ号作戦が失敗してB-29による本土への空襲を許した日本軍はフィリピンの陸上兵力の増強に力が 入れられた。戦車第二師団(撃兵団)の配備もその一つで「渥美」と「根室」もその輸送に参加して車輌や 燃料・弾薬などの物資を無事に送り届けた。 フィリピンでの戦いは始まるとアメリカ軍はレイテに上陸してきた。日本軍の作戦はルソン決戦の はずがレイテ決戦へと転換したために兵力をレイテに移す必要に迫られた。「渥美」と「根室」はソロモ ンでの戦訓により建造された一号輸送艦や二号輸送艦などを率いてレイテへの輸送を開始した。しか しこれが両艦最後の作戦となった。航空機の波状攻撃により海の藻屑と化してしまったのである。 −コメント− 船の説明よりも火葬戦記(?)の方に力が入ってしまいました。 「渥美」は海上自衛隊が建造した初の輸送艦「あつみ」に因んだものです。いや、別に「おおすみ」でも 良かったんですけどね…(苦笑)。 今思ったんですけど、輸送艦じゃなくて空母にされそうです(笑)。 取り敢えず、これをもって「架空機の館」での活動を一時休止します。 今まで私の拙作を見ていただいた皆さん、ありがとうございました。 では最後に…I shall return.(爆) 2002年3月10日 |