日本帝国海軍 重打撃戦闘巡洋艦〈磐梯〉
Imperial Japanese Navy Heavy Strike Battle Cruiser "BANDAI"


「磐梯」

【建造経緯】
 艦隊決戦による戦争勝利を夢見ていた帝国海軍は、その前座としての夜戦部隊の体質改善を行っていた。それが装甲巡洋艦〈ニセコ〉級の誕生となるわけだが、増勢著しい合衆国巡洋艦部隊にはいくぶん力不足と思われた。事実、合衆国は日本が〈ニセコ〉級の建造を開始するやいなや大型巡洋艦〈アラスカ〉級の追加建造を決めていたからだ。
 これは恐るべき事態だった。いくら日華同盟による経済的成功―――昭和10年代の日本は大陸貿易で大きな経済成長を遂げていた―――があるとはいえ、帝国は合衆国の無尽蔵ともいえる生産力に抗うことはできない。つまり、このままいけば差はさらに広がることはいうまでもなかった。さらに帝国を恐怖させたのは、陳腐化している重巡洋艦の更新がままならないことだった。改装や新造でドックはすでに満杯になっており、もはや割り込める余地はなかった。
 この状況に対し、帝国海軍は実に思いきった手法で乗り切ることにした。
6隻の建造が決まっていた〈ニセコ〉級の5、6番艦の建造を中止し、その資材でさらに強力な装甲巡洋艦を建造することに決めたのだった。こうして誕生したのが〈磐梯〉級である。
 〈磐梯〉級は〈アラスカ〉級の撃破をめざし、主砲として〈金剛〉級と同じ四五口径36p砲を連装砲塔2基、計8門搭載している。これは新型砲の開発が間に合わないと判断されたためで、実際、この主砲の搭載を前提として船体の大きさが決められた。結果本艦は三万トンになり、原型となった〈ニセコ〉級に比べ大幅に大型化している。機関についても大出力のものが用いられ、速力32ノットの俊速を誇った。
 対米戦勃発時、帝国海軍は多くの艦艇を建造中だったが、空母や駆逐艦等の小型艦艇を優先すべく、大型水上戦闘艦の建造を絞ることにした。これにより、たいして工事が進捗していない大型艦の建造は中止となり、本級も1、2番艦のみが竣工したにすぎない。しかも、途中で建造中止となった、帝国海軍最後の戦艦〈相模〉級2、3番艦の上構を流用している。
 だが、この突貫工事のおかげで本艦は大戦後半に就役でき、マリアナ沖海戦や捷一号作戦に間に合った。本級のもつ六五口径長10cm高角砲24門の威力は絶大で、押し寄せる敵機から機動部隊を護りきったことは特筆されよう。
 本級は続く捷一号作戦に参加、サマール沖海戦、レイテ沖海戦で他艦と共同で大戦果を上げたが、僚艦〈磐木〉はオルデンドルフ少将の戦艦部隊により喪われた。無事停戦を迎えた〈磐梯〉は誘導弾搭載化改装を受けたものの、費用対効果が思わしくないと判断され、1961年除籍。中華民国に売却された。

 重打撃戦闘巡洋艦の呼称についてはさまざまな説があるが、判然としない。
ただ、本艦が過剰なまでに強力な“巡洋艦”なのは確かで、欧米の戦史研究者の間では「日本は巡洋艦ギャップに焦りを感じていたのだろう」と分析している。

〈磐梯〉 1944年竣工 1958年誘導弾搭載化改装 1961年除籍 中華民国へ売却。
〈磐木〉 1944年竣工 1944年合衆国戦艦部隊の砲撃を受け沈没。
〈白神〉 1942年建造中止
未命名 未起工
 
【作者コメント】
 今回は巡洋戦艦です。大型化した船体、36p砲。巡洋艦と誰が言えましょう。ごまかしようがありません。とはいえ、口の中で単語を転がすと、悪くない。思いつきを採用した次第です。
 重航空機工作艦といい、なんだか長ったらしい呼称が好きなんですよ。
2000年8月6日記