基準排水量:11500t
全長 :201.2m
全幅 :28.1m(作業甲板上)、22.4m(船体)
喫水 :6.0m
機関馬力 :艦本式蒸気タービン140000馬力
最大速力 :33.3kt
航続力 :7500海里(18kt巡航時)
兵装(1944):60口径155mm砲*3連装2基6門
65口径100mm高射砲*単装8基8門
25mm対空機銃*3連装20基60門(通常時)
24インチ4連装魚雷発射管*8基
魚雷数 :片舷16射線発射可、次発装填装置搭載分+予備魚雷、総計96本搭載
航空兵装 :航空機(水上機)常用15機、補用3機(標準時)
通常は水偵4、水観2、水戦6〜9、水爆0〜3を搭載
※飛行機運搬任務ならば、最大で24機まで搭載可
発射用カタパルト2基、回収用クレーン2基、整備用クレーン1基
装甲厚 :飛行甲板部1.5インチ(約37mm)
舷側3.5インチ(約90mm)
甲板2.5インチ(約63mm)
同型艦 :「菊池」「遠賀」「矢部」「嘉瀬」
・概要
(注:これは原案は出来上がっているのですが、未だ完成の目処が立たない架空戦
記中のエピソードです。この世界は、ロンドン軍縮条約が「ある勢力」の策動で決裂
し、その結果1935年で「海軍休日」が終わった、という設定です。)
この世界でも日本海軍は「大和」級戦艦2隻、「天城」級巡洋戦艦4隻をはじめとす
る新造艦(注:設定では、現実世界のものとは艦形が大きく異なります。1935年以降
に建造された艦についてはすべて同様と考えてください)多数の建造を、軍縮条約切
れと同時に開始したが、そのころ各国では、アメリカが「サウスダコタ」級8隻(後
に10隻となる)、イギリスが「キング・ジョージV世」級戦艦・「ヴァンガード」級
巡洋戦艦の建造を開始、フランスも「フランス」級戦艦2隻、「ダンケルク」級高速
戦艦4隻(この世界では、現実世界の「リシュリュー」級と同クラスの艦として設
定)の建造を発表するなど、想像を絶する建艦ラッシュが始まってしまっていた。
特に「サウスダコタ」級戦艦は、その戦闘力もさることながら、8隻という数が日
本側にとっては脅威であり、仮に「大和」「天城」両級が完成したとしても、16イン
チ以上の砲を積んだ艦の比は、日8:米11といったことになり、しかも場合によって
はますます差が広がることは目に見えていた。
もっとも、そうでなくても現状では主力艦の数に差をつけられている(日10:米
15)のだから、この劣勢を補うために補助艦艇の強化に日本側が走らざるおえないの
も、当然のことだったろう。
この新型軽巡洋艦は、当初の建造目的は水雷戦隊の旗艦用(5500t級の代替艦)
だったはずだった。
では、何故このような異様な(しかも排水量が重巡並に大きい)艦に仕上がってし
まったのだろうか。
最大の原因は「93式酸素魚雷」にあるだろう。この魚雷の強力な威力と破格の大射
程に目をつけた海軍は、艦隊決戦時の切り札として長距離からの酸素魚雷攻撃が有効
ではないか?という見通しの元、「雷装巡洋艦」の試作に乗り出した。同時に、この
新造巡洋艦についても、従来艦の2倍以上の雷撃力を要求してきたのである。そのた
めこの艦は結果的に片舷16射線(設計案では24射線だったが、後述の理由により変
更)という、常識を超えるレベルの雷撃力を持つこととなった。
なお、この過程で一時25000〜35000t級、片舷24〜32射線発射可能という「雷撃戦
艦」の構想が出されたとも言われているが、詳細は明らかではなく、また設計が行わ
れた形跡もない。おそらく、どうせ単艦あたりの雷撃力はあまり代わらないのだか
ら、同じ量の資材を使うならばこのクラスの巡洋艦を多く建造した方が戦術的に有効
であるという結論に至ったのであろう。
もう一つの原因は航空勢力の増大である。当時日本海軍は戦艦と並んで空母の建造
にも力を入れ始めていたが、この世界でも海戦の主役は戦艦であり、建造の優先順位
は戦艦第一であった。
しかし彼らは、空母が建造できないなら、偵察用巡洋艦に強力な航空兵装を積み、
事実上の空母にしてしまえばいいではないかと考えたのである。
この世界では「利根」級巡洋艦の計画はなかった。よって強力な偵察用巡洋艦は、
確かに不足していたのである。というわけで、この艦の航空兵装もまた従来艦のそれ
を超えるものとなったのである。
これだけなら、史実の「大淀」級をあてがえば十分のような気がするが、先にも書
いたとおり、この艦は強力極まりない雷装を備えることになっているため、それとの
兼ね合いが問題となった。
結果的に、飛行甲板でもって魚雷発射管の防御装甲とし、艦の安全性を向上させる
という点で両者が一致し、航空兵装を予定より増強することと、雷装については、発
射管数は減少させるが、魚雷搭載数は計画のままの96本とすることで妥協が成立し
た。
かくして、一番艦「菊池」は佐世保で1936年5月に建造が開始された。
同艦は1939年4月に竣工。
以下、「遠賀」「矢部」「嘉瀬」がそれぞれほぼ1年おきに完成していった。
この艦の建造に合わせて、各航空機会社に新型水上機の要求が出された。特に最重
要の機種といえる水上戦闘機の開発が急がれ、また水上爆撃機、略して「水爆」の設
計要求も出されたが、両者の作業とも予定より遅れ、仕方なく99式戦闘機(ほぼゼロ
戦に当たる)を改装した「1式水戦(史実の2式水戦に当る)」が製造されたが、完成
前に戦端が開かれてしまい、これすらも第一期作戦には間に合わなかった。
しかし、十三試水戦・同水爆とも1943年初めにはなんとか完成し、「菊池」級に順
次積まれていくとになる。
・戦歴
菊池級は1940年12月24日の開戦時、フィリピン方面の作戦で初陣を飾った。このと
きの兵力は「菊池」「遠賀」の2隻その他、輸送船10隻。艦載機は、このとき水上戦
闘機は間に合わず、仕方なく水偵・水観ばかり10機ほどを積んで、ルソン島北部への
上陸作戦に臨んだ。
両艦所属の水観はすでに新鋭の零式観測機であり、この機体は空戦もこなせる機体
だったため、上陸時には両艦の水観計12機が上空直衛についた。このとき米側は空襲
を行ったが、直衛機はこの攻撃隊に対して空中戦を挑み、その4機を撃墜、他を追い
払った。さらには、両艦からの艦砲射撃、そして観測機による空襲を行い、堅固な敵
海岸陣地を最低限の損害で抜くことに成功したのである。
両艦からなる第12戦隊は、自慢の一つである雷撃力を生かす機会はこのころはほと
んどなかったが、もう一つの武器である航空兵装を生かし、これ以降も各地の上陸作
戦支援に活躍した。
1943年になると米軍の本格的な反攻が始まったが、マーシャル諸島やソロモン方面
で行われたいくつかの小規模な海戦においては、本級各艦がいわば火消し役として活
躍し、主に航空攻撃で味方の危機を多く救ったとされている。2隻あわせれば軽空母
並みの航空打撃力を有するこの艦は、こうした機動性が要求される任務では役に立っ
ていたといわれる。
また水偵に爆雷を積ませれば対潜哨戒任務もこなせ、そのため菊池級が活動する海
域では米軍潜水艦による被害がかなり減少した。そのため同級はしばしば船団護衛の
任務にもつき、「遠賀」の水偵隊に至っては、終戦までに敵潜16隻を撃沈したともい
う。
同級の活躍でもっとも有名なものは、1944年7月に行われたマリアナ沖海戦のもの
であろう。
前哨戦の段階で日米両軍の機動部隊はともにかなりな損害を受け(特に、米側は司
令官が戦死)、戦いは事実上水上艦隊同士の決戦となった。(艦隊直衛用の空母は
残っていた。)
「菊池」級は、「菊池」「遠賀」の2隻が第2艦隊第12戦隊、残る2隻は第3艦隊(機
動部隊)第13戦隊の所属で戦った。
まず活躍したのは「矢部」「嘉瀬」の2隻で、前哨戦では戦闘機を放ち、防空艦と
して活躍。若干の損害を受けたものの戦闘には支障なく、空母戦が終わったあと、
いったんは後衛部隊として行動したが、夜になり再び反転。翌早朝、追撃してくる敵
艦隊に対し、水上爆撃機隊による小規模な空襲を行った。
これは同艦隊を追撃していた米艦隊にとっては奇襲となり、攻撃隊16機(水観2、
水戦8、水爆6)の大半を失ったものの、「イントレピッド」級空母1、重巡1他にかな
りなダメージを与え、追撃をあきらめさせることに成功した。
一方の「菊池」「遠賀」のほうはというと、主力艦隊同士の会戦に随伴し、巡洋戦
隊の要として活躍した(このときは安全のため、弾着観測機を除き航空隊は後方に避
退させていた)。
このとき、ついに切り札の片舷16射線の遠距離雷撃を行うことが出来、「サウスダ
コタ」級戦艦1隻に魚雷5本を命中させて撃沈、また同級3隻に魚雷を命中させ、多く
の艦に損害を与えたのである。
両艦はこのあとも遊撃艦隊として戦場を駆け巡り、この海戦で両艦合わせて戦艦
3、重巡5、軽巡3、駆逐6以上を沈めたとされている。そのほとんどが2艦合計192射線
というすさまじい雷撃力のためであった。
この戦いは戦術的には一応勝利だったものの戦略的には敗北だったと言われている
が、それでも両艦の活躍があったからこそ、日本艦隊は兵力に勝っていた米艦隊と互
角の戦いを行うことが出来たのである。
・最後
1945年の日本の敗戦時、「矢部」「嘉瀬」は数日前に呉軍港に対して行われた大空
襲のため、すでに同港の沖に沈んでいた。
「菊池」「遠賀」はこのときリンガ泊地で第一艦隊とともにあったが、うち「菊
池」は、その数日後「大和」ほか数隻とともに突如出撃し(その理由は不明)、マ
ラッカ海峡沖で消息を絶った。この艦隊がその後どうなったかは謎とされている。噂
によると、予想外に強力なサイクロンに巻き込まれたとも、インド洋上の某島に、某
国の保護のもと、艦隊ごと隠れているとも言われているが、真相は闇の中である。
「遠賀」の方は、シンガポール政府(日本が独立を支援した共和制国家)によって
接収され、そのまま同国艦隊の主力艦として活躍したが、1951年に行われたシンガ
ポール解放作戦(アメリカが、同国が旧日本軍を母体とした戦力を有していることを
口実に、旧宗主国イギリスの反対を押し切って行った作戦)の過程で、米側の航空攻
撃によって撃沈された。
コメント
今回は、架空戦記用に設定した艦艇を投稿してみました。
文中に出てくる艦艇についてはほとんど設定が完了しておりますので、いずれ投稿
するかもしれません。(特に「大和」については「不必要に」詳しい設定ができてお
ります…?。)
また、これも文中にあった「雷装戦艦」案は、一時本当に考えており、設定画まで
は書きましたが、そのあと合理的な設定が見つからずにあえなく廃棄となりました。
そして結果的には軽巡洋艦に落ち着いた、というわけです。
さて、この「菊池」級ですが、ネーミングはすべて九州の川から取りました。
あえて「筑前」「筑後」「肥前」「肥後」から一本ずつ取っています。
南九州には「川内」とか「球磨」とか「大淀」があるのに、北九州で艦名になった
川があまりなさそう(どうも「千歳」は筑後川のことのようですが…あと、たしか上
流が「三隈」川だったっけ?)でしたからこのような名前を付けたわけです。
今回(第14回)の軽巡洋艦にこの艦を投稿しなかったのは、まずは製作時期がずれ
ていたからです。
基本的に酸素魚雷の使用を前提とした設定の艦なので、まだ酸素魚雷が完成してい
ない時期には登場させようがありませんでした。
また、思い出したのも競試の発表作品中に航空巡洋艦的設定のものがあったから
で。
…これでは締め切り後だから投稿のしようもないですね。
(あ、その前に本館での「あなたはどっち?」を見て思い出したんだった…。)
なお「航空」の設定については、従来の(といっても「北上」「大井」だけですけ
ど)重雷装艦が、魚雷が外から剥き出しになっているのを見て、装甲を上にかぶせれ
ば危険度が減少して実用上も有利になると思い、ただ装甲を張るだけでは意味がない
から何か載せよう、ということで航空兵装を乗せてみた、というわけです。
(甲板上に対空機銃と対空ロケットを多数積む、という案も考えていました。)
結果的に「強化された大淀(利根)型」になっただけかもしれませんが、重雷装艦
としてはともかく、機動部隊直衛艦あたりならば、意外と実用性はあったかも知れま
せん。また、軽空母としても…?
艦載機設定中の、水爆「南星」については、完全に架空の機体なので設定をまた投
稿したいと思っています。まあ、「強風」か「瑞雲」あたりに似た機体になることは
否定できないでしょうが。
最後に、ふとした事でこの艦の発表の機会を与えてくださいました皆様に、感謝申
し上げます。
(特に、この艦にもっともコンセプトが似ていた艦を考えられていた、ゲルググ氏に
感謝。)
若輩者ですが今後とも宜しくお願いします。
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