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戦前の日本では優秀船舶建造助成法(昭和12年4月1日制定)があり、大型で高性能の商船を有事の際に徴用することを条件にその建造資金を援助する制度があった。 興国丸はそんな政策のもとに建造された満載排水量1万5000トンの高速客船だった。 当時、増大著しい日華貿易航路を有力な税収基盤としたい日本政府は、退役海軍軍人を中核とする東洋汽船が国策で設立し、その保有船舶の整備・増強に資金を惜しまなかった。(あまりに強引な政策なので、上海航路を持っていた大阪汽船が反発したほどだ) 東洋汽船が貨物船を揃えた後、次に着手したのが、大陸までの人員輸送。つまり高速客船の整備だった。これには海軍の意向もあり、戦時には徴用して特設巡洋艦として用いることが設計段階から考慮された。すなわち、甲板を補強し、主砲となる15センチ砲を搭載できるようになっていた。本来なら経済性を優先させるものだが、本船は最初から軍艦としての運用が考えられていたことは特筆に価する。それというのも、かつて戦時使用を想定した貨客船を建造した船会社はあまりに経済性が悪いという理由ですぐにその種の船舶の建造を止めていたからだ。 異色なところは速力にもあった。海軍用の主機を搭載し、速力27ノットを発揮できた。これは当時就役・建造中の高速客船をしのぐものであった。 こうして興国丸・報国丸は昭和15年に竣工し、すぐに日華航路に投入された。持ち前の韋駄天ぶりは朝野の耳目を集め、乗船希望はひっきりなしではあったが、経済性が良くない船のため、収支は赤字気味だったといわれる。 対米戦が始まると、本級は予定通り特設巡洋艦に改装されたが、活躍できる場所がなく、船団護衛や兵員輸送任務、そして北方海域での哨戒任務に投入された。しかし、本艦は特設巡洋艦としては強武装で、現場でも心強く思われたという。実際、高角砲を搭載し、艦橋下に魚雷発射管を装備している特設艦はそう多くない。 本艦の名を有名にしているのは、昭和19年の東シナ海海戦であろう。ヒ99船団を護衛中の本艦は、フィリピン近海で合衆国巡洋艦デンバーら数隻の艦艇と交戦状態となった。この事態に対し本艦は船団を散開させ、自らを犠牲にして船団を守り切った。その戦いぶりは『日本のジャービスベイ』といわれ、モリソン戦史でも高く評価されている。 興国丸 1944年戦没 報国丸 1945年徴用解除 【作者コメント】 重航空機工作艦を描いて以来、特設艦艇に興味が湧きました。 特設巡洋艦ですが、英語ではなんて言うのかわかりませんでした。とりあえず、Marchant Cruser 〜商船巡洋艦としておきました。まちがっていたら・・・どうしよう。 2000年1月16記 |