日本帝国陸軍 特型特殊船 大隅丸
基準排水量 39,750t
全長 267.5m
水線長 255.9m
飛行甲板長 264.3m
飛行甲板高 13.1m
水線幅 34.8m
最大幅 45.2m
喫水 10.6m
格納庫段数 1
格納庫床面積 3,134m2
軸数 4
機関 艦本式ギヤードタービン-4基
ボイラ 艦本式ロ号3号乙3型缶-4基
燃料搭載料 重油 8,000t
蒸気温度 350℃
圧力 30atm
出力 160,000SHP
速力 31kt
航続力 18kt/12000海里
乗員数 1,839名
主要兵装
艦載機
計画 一式戦闘機「隼」-20機 九九式襲撃機-6機(対潜用)
竣工時 三式戦闘機「飛燕」-28機
多号作戦時 三式戦闘機「飛燕」-19機 九九式襲撃機-9機
航空機主体運用時 四式戦闘機「疾風」-25機 一式戦闘機「隼」-2機 九九式襲撃機-3機
九九式双軽爆撃機-3機
三式十型着艦制動装置
昇降機 前部-1基 後部-1基
火砲
50口径20p単装砲-8門
65口径10p連装高角砲-8基-16門
25o60口径3連装機銃-22基-66門
12p28連装噴進砲-12基
70mm打上阻塞砲-6門(可動式)
対潜迫撃砲-1門(可動式)
61cm四連装発射管-次発装填装置付-4基-16門
射撃装置、魚雷戦指揮装置、探信儀
九四式方位盤照準装置-1基
九四式高射装置-4基
九五式射撃指揮装置-11基
九二式発射指揮盤
九一式三型射角方位盤-2基
一号三型電波探信儀-2基
二号一型電波探信儀-2基
二号二型電波探信儀-2基
二号二型電波探信儀改二-2基
四号二型電波探信儀改二-2基
零式水中聴音機-1基
三式探信儀-1基
そもそもの発端はウェーキ島攻略作戦です。海軍駆逐艦如月、疾風が島からのわずかな航空機と砲撃による反撃で撃沈され、哨戒艇も強行揚陸により失っています。これだけ苦労したウェーキ島攻略でしたが海軍第二航空戦隊による攻撃により呆気なく陥落しました。また、これに先立つこと4年前、日中戦争最初に展開された上海攻撃部隊による呉淞(ウースン)上陸作戦の大被害も記憶に新しいところでした。これらに脅威し、今後の南方戦線の拡大に対処するため、陸軍は戦闘強襲揚陸艦の運用を考え始めます。まずはじめに制空権と考えましたが、昭和9年に竣工した神州丸は、能力不足のためすでにカタパルトを撤去しており、昭和17年竣工予定の秋津丸も軽空母以下の能力(九七式戦闘機を13機搭載予定)しかないので、強襲揚陸時において制空権の確保ができないのは明らかでした。そこで本格的に制空戦闘機を運用できる艦の新造を基本方針として計画することになりました。
要求能力
新鋭戦闘機の運用30機以上
無補給による継戦能力(10,000海里以上の航続力と航空機燃料、弾薬、自己補修能力)
敵防衛機動戦力の撃退(航空機、水雷艦隊、潜水艦)
対地攻撃能力(トーチカ、飛行場、戦車)
歩兵1個連隊の輸送能力
そもそも単艦で行える能力ではないのですが、これらを達成するために陸軍としては異例の210m規模の艦艇を考えました。しばらく基本設計を検討してるうちに、大和型4番艦の製造中止決定が耳に入ります。これを使おうと考えた陸軍は、海軍に再三頼み込んで船体の流用と呉海軍工廠の継続使用が合意しました。海軍側の条件としては、作戦実施の際、事前協議の上、空母として航空支援に協力する。緊急の場合航空機の海上補給基地として新造艦(大隅丸)を借用するという2点でした。
陸軍が海軍に要求したのは、最新の空母の設計図の提供、機関及び火砲の提供、艦載機の提供でしたが、艦載機の提供は拒否、それ以外は協力的であり、設計図は大鳳のものが提供されました。信濃の計画はすでにありましたが、最終段階とはいえ設計途中でしたし、陸軍に同型艦が存在するのは納得が行かないという意見が海軍内で大勢を占めたためです。一説には苦労させることを目的に大鳳にしたとも伝えられています。どう考えても作りかけの船体にエンクローズドバウの飛行甲板かぶせることは至難の業です。しかし、こういう嫌がらせは我が身に振り返るものです。陸軍側の設計図を見ずに火砲の提供を約束してしまったために10cm高角砲の提供により秋月型駆逐艦の生産に影響を及ぼし、それどころか、雲龍型空母の推進砲取り付けが大幅に遅れてしまい、後に海軍首脳は後悔しています。
大鳳の設計図を手にした陸軍では早急に設計しなおし、信濃より2ヶ月も早く起工することとなりました。なぜ早く設計できたかというと主要部分をほとんど変更せず、艦幅が延長した部分を上陸要員の収容スペースに割り当てただけだからです。またこの艦は将来へのモデルシップとしての計画もあったため、単艦計画ながら生産性も非常に重視され傾斜煙突を直立にしし各部を直線にしてます。それに舷窓すらありません。米空母でも採用されていましたが乗組員にはかなり評判が悪かったようです。直線化は舷側にまで及び水線幅と飛行甲板幅がほぼ同じになっています。
従来の空母と極端に違う点はエレベータの大きさがあげられます。後部エレベータは全長20mにも及びここから舟艇も出入りさせます。そのため大型クレーンも装備しました。これは大鳳ベースでの開発のために装甲格納庫と呼んでいい格納庫を設置したため舷側が使えなかったためです。艦尾も構造上大きなスペースを設けることができず11mまでの小、中型舟艇にしか使用できませんがこの部分は格納庫から直接運用できるように格納庫後部に大型ハッチがつけられました。このハッチは換気にも役立ち大鳳同様にガソリンの気化が発生した際に使用されています。大型エレベータは航空機運営でも役立ち戦闘機2機づつ上げています。また九九式双軽爆撃機の運用にも成功しています。
前部にも大型クレーンがついてるのは、下部格納庫の前部を工作室にしてしまったためです。そもそも揚陸地にとどまって支援する艦でもあるので航空機や戦車、野砲などをメンテナンスするつもりだったようです。
この工作室の運用を優先して煙路を決めたため艦橋配置はやや後方になっています。実際、この工場はかなりフル稼働しており、当初の艦載機であった飛燕を稼働率90%以上で使いこなしてますし、シンガポールでは空襲で破損した隼20機から部品を集めて2機を作り上げています。それに度重なる雷撃に耐えたのは、工兵の力がなくしてはありえませんでした。また、レイテ島オルモックでは空襲を受け機銃による穴だらけの大発を応急修理して揚陸させていたりしています。
対空火器は全面的な強化がなされ、単艦での対空防御が可能なレベルに引き上げられました。また不必要な対弾防御は重量過多になるだけだということで、舷側装甲板と水平装甲板は撤去され大鳳同様の防御にされました。そのため信濃より大幅に艦幅が狭くなリましたが、まだ余裕があったのでトーチカ及び小艦艇攻撃用に20cm砲8門と敵水雷部隊対策として魚雷装備までつけています。それも次発装填装置付きです。ここまでやると重巡あたりと一線交えてもおかしくない装備で、呉海軍工廠の作業員にまで失笑をかってますが、陸軍側の言い分として強襲揚陸の基本的なことを単艦で行うために必要なものは全て揃えただけだそうです。制空戦闘機により敵航空機を撃破、敵小艦艇を撃破し揚陸地沿岸に突入、対地攻撃による揚陸地確保、揚陸支援とほぼ理にかなってます。ただ問題がないわけではなく武装優先のため格納庫スペースが狭く大発が9隻しか積めませんでした。
海軍艦艇より優れているのは電探の装備(数)です。陸上用の大型電探(四号二型電波探信儀改二)を2基も対空射撃用として導入し噴進砲との組み合わせにより、かなりの効果をあげました。他の電探も各2基づつ設置されています。迷彩も航空機からの被発見を重視して飛行甲板がブルー系です。海軍と違い艦種誤認性を持たせる必要がなかったためですが、このため、たびたび海軍機に誤爆されかかってます。
この艦は結局、当初予定の強襲揚陸よりも戦略物資輸送が主任務となってしまい、最後にようやく航空母艦となりました。後継艦はコストがかかりすぎるということで、次期計画すら立てられずこの艦でのノウハウは戦時標準船(タンカー)に飛行甲板をつけたTL船に受け継がれていきます。後に名前だけは海上自衛隊輸送艦に「おおすみ」として採用されています。
主な戦歴1942年
4/1 起工
1944年
6/19 竣工
7/4 硫黄島から撤退中空襲を受ける。被爆3 飛行甲板中破。
8/18-19 内地からシンガポールへの輸送船団に参加、ルソン島北西岸で米潜より雷撃を左舷に受けるも離脱
10/31-11/2 オルモック輸送(第二次多号作戦)に参加。第一師団を揚陸。(飛燕2機損失 B25 4機撃墜)
11/8-11/10 第四次多号作戦に参加。第二十六師団を揚陸。(飛燕-8機 九九式襲撃機-6機損失 B25-1機 P47-1機撃墜)
11/13 マニラにて空襲を受ける、被爆1 損害軽微
11/14 マニラにて空襲を受ける、被爆5 飛行甲板中破。
1945年
1/11 物資輸送任務のためシンガポールに単艦で向かう途中、ベトナム沖にて米機動部隊偵察機と接触、
反転北上し回避したが、近くにいた内地への輸送船団が壊滅させられる。
この頃より米軍も大隅丸の存在を確認し執拗な追跡が増えてきたので
船団に同行させることにより他船の犠牲が増えるのを恐れ、単艦行動が増える。
3/17 物資輸送で内地に向かう途中、台湾海峡で米潜スポットの雷撃を左舷に受ける。
6/8 ジャカルタからシンガポールへの兵員輸送中に英潜トレンチャントの攻撃を受けるが被害受けず。
このとき同行していた重巡足柄が雷撃により沈没
6/15 内地の港が機雷封鎖されて大型艦の航行が難しくなったため、輸送艦として使えず
本土決戦の際の遊撃部隊として戦力温存が命じられる。航空母艦としての運用が始まる。
7/20 青函連絡船任務に命じられ、内地に帰還命令が出される。7/28出航
8/7 南シナ海を避けトラック南方に迂回して内地帰還を目指していた大隅丸に
サイパン島の飛行場を攻撃し弾薬庫を必ず破壊せよという命令が出される。
8/12 AM4:00頃 サイパン東方より攻撃隊出撃(疾風-25機 九九式双軽爆撃機-3機)
AM5:30頃 奇襲成功 B29-46機地上で撃破するも弾薬庫と滑走路の破壊は失敗
(疾風-7機 九九式双軽爆撃機-3機 損失)
AM9:30-PM15:00 11波に及ぶP47、P51、B29、B24、(延約1800機)による空襲を受ける。
米軍被害 P51-1機 P47-2機 B29-3機 B24-1機
戦闘機隊全滅(疾風18機 隼2機)至近弾25発直撃弾なし速度25ktに低下
PM15:30頃 敵水上部隊を発見 駆逐艦5隻 魚雷艇12隻
最後の艦載機 九九式襲撃機3機発艦させ攻撃に向かうも全滅
PM15:40頃 敵第12波来襲 P51約50機 B25約50機 舷側に直撃弾4発 速度20ktに低下
PM16:00頃 敵水上部隊に砲撃開始
PM16:20頃 水雷戦開始
PM16:30頃 左舷に魚雷6本被雷し沈没
作者コメント
最後に花を持たせた以外は、史実にあわせた戦歴を作ってみました。そうしたら残念なことに
大活躍できなくなってしまいました。完成した時期が悪すぎますね。ガ島に使えたら面白かったかも
本当は各地で逆上陸や輸送船の白兵戦に成功してアメリカ技術を全部取り込んでやろうかとも思ったんですけどね。目指せ海賊船!
そうしたらVT信管や音響追尾魚雷まで入手できたんだけど、さすがに行き過ぎかなと思ってやめました。
名前は書いてあるとおり「おおすみ」から頂きました。あれも強襲揚陸できる輸送艦ですからね
さすがにあちらにはCIWS2基しか積んでないですけど。