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【建造経緯】 無条約時代に入ると、各国はこぞって艦艇、とりわけ戦艦の建造を始めたが、日本とて例外ではなかった。特に、相対的に国力が劣ると判断していた帝国海軍は、質的優位で来たる戦争に備えようとしていた。 事実、彼らは巨大戦艦〈大和〉級の建造に着手するのだが、いくらもしないうちに合衆国が新型戦艦で対抗建造することは明らかだった。 当時大神工廠の建設・呉工廠のドック増設が進められていたが、いくら貿易での蓄えがあるとはいえ財政的に一度の大量建造は不可能だった。そこで、彼らは〈大和〉級を遥かに凌駕した新型戦艦の建造に決意した。これが〈相模〉級である。 彼らの決意はその主砲・船体に現れた。すなわち、五○口径53cm砲を三連装4基12門とし、それを15万トンを越える船体に載せたのだ。つまり、彼女に対抗でき、かつパナマ運河通行可能な戦艦は、もはや存在しないことになる。 日本技術陣が総力の結晶、〈相模〉級の建造は急がれたものの、対米戦の混乱に巻き込まれ、2番艦〈飛騨〉以下が建造中止、結局1番艦〈相模〉が1944年中頃に竣工したにとどまった。 1944年の捷一号作戦において、本艦は第一遊撃部隊旗艦として参加、オルデンドルフ艦隊を他艦と共同で壊滅させたほか、舞い戻ったハルゼーの戦艦部隊をも撃退させた。これにより押されていた戦局は変わり、日本辛勝で講和がなしえたことは言うまでもない。 戦後は戦力というよりも象徴としての意味合いが強く、長らく現役でありつづけ、現在でも横須賀で記念艦として在籍している。これは有事の際、横須賀地方総監部の司令部になることとなっており、いわば日本の〈ヴィクトリー〉といえよう。 航空母艦の時代になっていながら、本艦の建造を続けたことに対する批判の声もあるが、まぎれもなく最後の戦艦であり、その水上砲戦で武勲を立てたことは日本帝国海軍にとって幸運だったに違いない。 〈相模〉 1944年竣工、1946年予備艦、1948年現役復帰、以来在籍中。 〈飛騨〉 1942年建造中止。 〈未命名〉1942年建造中止。 〈未命名〉未起工。 【作者コメント】 53cm砲搭載の、究極の戦艦です。 ここまで来るといろいろなところでボロが出てきますし、矛盾が出てきますが、まぁそこは大目に。すでにお気づきの方が多いかと思いますが、切ったり貼ったりがあからさまですね。実は、他艦から資材を流用という理由を用いたのは、そうでないと大型艦を登場させられないのです。同型艦を削り、集中建造しなければ就役させることは無理ではないか。たとえ大陸貿易で富を築いていても。日本の工業力をそれほど高くは見ていないので。ある意味では、この戦艦も妄想に近いのかもしれません。 さて、絵の方ですが、簡単にうまくいくなと思いきや。意外に苦労したのが上部構造物でした。こればかりは適当とはいかず、レイアウトやバランスで苦しみました。全工程の60%はそれです。 深まる夏の夜に。 2000年8月9日記。 |