日本帝国海軍 特設巡洋艦〈神州丸〉 Imperial Japanese Navy Marchant Cruiser “Shinshu-maru”

「神州丸」

【建造経緯】
 来たる東京オリンピックに向けて空前の大規模公共投資に沸いていた西暦1930年代後半の日本では、あらゆる産業がその恩恵を受けていた。零細業者でさえ一夜成金になれたのは、当時の国土開発政策もあるが、やはり好調な日華貿易が大きかった。
 当然、誰もが強気の経営であった。東洋汽船の首脳は、主力船〈興国丸〉級の採算の悪さには眼をつぶり、それどころかさらなる大型客船を投入することを決意した。これが〈神州丸〉級である。建造を急ぐために〈興国丸〉級の線図を流用しているため、外観にはそう大差はない。
 もちろん、助成金制度の適用を受けるために、本級はすでに計画の段階から軍事使用を前提とした設計がなされていた。驚くべきことに、本級は軽巡クラスとの交戦を想定されており、船体の70%にも及ぶ舷側装甲帯を持ち、しかも船内を可能な限り細分化してあった。これは戦艦等の大型水上戦闘艦に見られる集中防御方式を参考にしたものである。これにより、今まで大部屋だった3等船室は個室となり、居住性も著しく増した。それゆえ、大勢の旅客を集客できたと伝えられている。
〈興国丸〉で名を馳せた韋駄天ぶりはここでも変わらず、速力30ノットは客船としても異例のものといえよう。
 本級の建造は1939年から順次開始され、4隻が竣工。全てが特設巡洋艦として対米戦に参加した。二万三○○○トンの船体ではあったが、武装搭載スペースがそれほどでもないため、武装は〈興国丸〉とさして変わらないが、特設艦としては異例なことに各種射撃指揮装置が搭載されている。その充実した武装であるがゆえに、本級は各種哨戒任務や強行揚陸任務に投入され、その活躍ぶりは正規艦艇に優るとも劣らない。
 本級の中でとりわけ有名を逸話を今に残しているのは〈神州丸〉であろう。
 休戦協定中のさなか、南洋を単独航行中の本艦は、合衆国の高速軍隊輸送船〈ラファイエット〉と遭遇したが、本艦はこれを追跡することもなく、ただ
「貴船ノ航海ト安全ヲ祈ル。再会ノ日マデ壮健ナレ」
 と発行信号をするのみで、汽笛と共に立ち去った。
 同じ客船同士の友誼だから、と艦長は口にしたが、彼こそ客船〈神州丸〉の元船長であり、自他と共に認める生粋の船乗りであった。

〈神州丸〉 1939年竣工、1941年徴用・特設巡洋艦籍に編入、1945年徴用解除
〈崑崙丸〉 1940年竣工 1941年徴用・特設巡洋艦籍に編入、1943年戦没。
〈蛟龍丸〉 1940年竣工 1941年徴用・特設巡洋艦籍に編入、1945年徴用解除
〈播龍丸〉 1941年竣工 1941年徴用・特設巡洋艦籍に編入、1944年戦没。

【作者コメント】
 またもや特設艦艇です。前作〈興国丸〉の拡大改良型です。
装甲を持たせるというのは経済性重視の商船では考えられませんが、時代が時代ですし、退役海軍軍人が中核の国策会社ですから、可能性はなきにしもあらずといったところでしょうか。もっとも、そんなに強いフネではありません。
 最後の逸話はなにか心温まるものとしたかったから。そう。実は、そのためにこの客船もどきを出したのです。
 
 2000年8月15日記。