
諸元(1940年竣工時「スードゥ・ギョークェン」) 基準排水量 32600t 全長 240.0m 全幅 28.5m 喫水 8.6m 機関出力 165.000hp 速力 33.2kt 航続力 7200海里/18kt 乗員 1260名 武装 30cm砲(L48) 連装 4基 12.7cm高角砲(L40) 連装 10基 25mm機関砲 3連装 12基 水偵 6機 装甲 舷側300mm 甲板120mm 主砲330mm 同型艦 「スードゥ・ギョークェン」「フイクッス・ギョークェン」 1933年にドイツ海軍で就役した装甲艦「ドイッチュラント」は、その「戦艦には速力で勝り、巡 洋艦に対しては火力で圧倒する」という設計思想が列強の大きな関心を集め、一種の装甲艦ブームとで も呼ぶべき現象を引き起こした。この現象はフランスが同級に対抗するために36年に「ダンケルク」 級を竣工、ドイツ自身も38年には「シャルンホルスト」級を配備する事で新世代の巡洋戦艦というべ き艦種が確立したことでさらに加速、アメリカや日本、ソ連などがこれらに対抗する建造計画を立てた のみならず、東南アジアに植民地を有していたオランダや洋上の島国であったヴィントスラント、イブ クーロ等、海軍を重要視しながら戦艦を保有するのが困難だった各国も限定的ながら戦艦にすら対抗可 能なこの種の艦を自国の主力艦とすべく保有を画策することとなる。ちなみに、このようにイギリス、 イタリアを除くほとんどの主要海軍国が建造を計画していたが、これらの国の中でドイツに建造を依頼 したオランダは第二次世界大戦時ドイツに占領されたことで計画が自然消滅、イギリスとアメリカに建 造を打診していたヴィントスラントは二次大戦の勃発で政治的な問題が発生する事を恐れて計画を中止、 自国で建造を計画した日本の「超甲巡」は37年には基礎設計が完成したものの、既に「三笠」級巡洋 戦艦の建造を皮切りに戦艦の建造を再開しており、最終的な運用思想がまとまらなかったこともあって 実際の建造は取りやめている。 さて、イブクーロ王国であるが、太平洋上の島国であるという地理的な条件や弩級、超弩級戦艦を保 有する南米各国に対抗する必要上から36年には「ダンケルク」に匹敵する大型装甲艦2隻の配備を決 定、アメリカ、ドイツ、日本の各国に建造を打診した。最終的には巡洋艦、駆逐艦の配備で実績のあっ た日本が建造で建造されることとなる。同時に日本が「超甲巡」を計画していたことから当初はその略 同型艦を建造することで計画が進展したが、「超甲巡」の基礎設計ができあがった時点で全体図を提示 したところ、イブクーロ王国国王ノイッチ2世がこれに難色を示したのである。すなわち、水雷戦隊指 揮艦兼火力支援艦という方針で設計していた「超甲巡」は戦闘時の被発見率を抑える必要上艦上構造物 が小さくまとめられており、これがイブクーロ王国が現在保有している巡洋艦の後継艦として見た場合 には国威の掲示という点で非常に不適切であると指摘されたのだ。また、肝心の日本が最終的に「超甲 巡」の配備計画を中止した事もあり、イブクーロ王国向け装甲巡洋艦はまったく独自の設計で建造する こととなった。 かくして基礎設計からやり直しとなった計画であるが、ノイッチ国王はこれに対し、当時日本が保有 していた「高雄」級重巡洋艦の艦容をいたく気に入っていたために、「高雄」級を参考に進めることと なった。確かに、実戦で目標になりやすく、かつ、当時の日本艦が重装備に拘りすぎて凌波性、傾斜時 の復原性の低さで問題を抱えていたことなどから一般には評価の低い「高雄」級の艦橋構造であったの だが、平時においてはその堂々とした艦容は軍艦ファンの間で評価が高く、また、訓練にも非常に便利 であったこともイブクーロ王国にとっては好都合であったのだ。また、「超甲巡」の計画中止で問題と なっていた主砲も「榛名」級改装の為に連装砲塔を開発することが決定しており、これを4基搭載する ことで決定した。かくして、基本的な設計思想がスムーズにまとまった事で再度の設計は38年初頭に は完成、今度は問題もなく建造に着手することとなる。 かくして一番艦「スードゥ・ギョークェン」が40年2月に、二番艦「フイクッス・ギョークェン」 が同年6月に引き渡され、イブクーロ海軍の主力として配備されることとなった。43年にはイブクー ロ王国が連合国側に立って第二次大戦に参戦したことで両艦共に欧州に派遣され(当時正式に参戦して いなかった)アメリカ義勇艦隊や自由フランス海軍と共同で船団護衛や地上支援などに従事、特に44 年11月の第二次北海海戦では輸送船団護衛部隊の一員として自由フランス海軍「リシュリュー」と共 に優勢なドイツ巡洋戦艦隊と激戦を繰り広げている。 戦後もイブクーロ王国海軍の旗艦を交互につとめていた両艦であるが、第二次大戦で砲戦を主体とす る軍艦の時代は既に終焉を迎えており、防空艦、ミサイル搭載艦として数度の改装をへて、最終的には 「スードゥ」が77年、「フイクッス」が80年に除籍となった。 作者より 唐突に書きたくなった装甲巡洋艦で、一度やってみようと思ったイブクーロ海軍ネタです。背景にリ アリティーを持たせるために本文中で借用させていただきましたイブクーロ王国関連の作品、具体的に はイブクーロ王国巡洋艦及び同駆逐艦の二作品、及び登場した架空国家としてイブクーロ、ヴィントス ラント両王国について目を通しておくと本作品についてもわかりやすくなるかと思います。また、その ほかには国王ノイッチ二世は、第9回競争試作時に示された経緯の中でワシントン会議に出席したノイ ッチ王子、各艦名は本文中にある巡洋艦、駆逐艦をデザインしたSUDOさん、FIXさんのペンネー ム、及びお二人が所属しております郷研連盟をもじって命名させていただきました。これらに関して作 品及びお名前を快くお貸し下さりました両名にはこの場を借りて深く御礼申し上げますm(_ _)m さて、この艦ですが、最初は本当に「超甲巡」改良型のつもりだったのですが、面白くなかったのと 軍艦メカ図鑑「日本の巡洋艦」「日本の駆逐艦」(グランプリ出版)を買ったこともあって「高雄」級 重巡のシルエットを元にしてデザインし直してみました。それにしても、「高雄」級の艦橋って本気で でかい。背の高さを考えなければ戦艦並なんじゃないかと思ったりして。実際、今回のでも外見上それ ほど大きさは変わらなかったんじゃないかなぁ・・・・・・ それではこの辺で。次回投稿は今度こそ競争試作・・・・・・の前にほぼ完成している作品が一つあ るんですけど・・・・・・ 明石耕作 |