要目(終戦時)
基準排水量:32,500t
全長:236.5m
全幅:28.6m
喫水:9.6m
主機:艦本式オール・ギアード高圧タービン4基 4軸
主罐:ロ号艦本式重油罐8基
出力:195,000hp
最大速力:34.5kt
航続力:9,500浬/20kt
乗員:1,380名
武装:50口径30.5cm3連装砲4基
61cm魚雷発射管4連装4基(次発装填装置付)
40口径12.7p連装高角砲10基
25mm3連装対空機銃28基 同単装14基 13mm連装対空機銃2基
搭載機:水上偵察機3機
装甲(最大)舷側250mm(傾斜角15°)
甲板126mm
主砲300o
同型艦:なし
略同型艦:『利根』『浅間』『磐手』『吾妻』
『出雲』『常磐』『八雲』
巡洋戦艦『高雄』戦歴
本艦は魚雷兵装を持つことから『雷装戦艦』とも通称される巡洋戦艦である。その性能を吟味しても
特に抜けて優れていると言えるような艦ではなかったが、高い速力を利して各地の海戦で活躍した殊勲
艦として知られている。
邪国紀元1022年に締結された第二次三霧湖海軍軍縮条約により、邪国海軍は保有できる重巡洋艦
として『妙高』型以前の8隻のほかに、かろうじて建造中の『愛宕』型3隻を認められるにとどまった。
これは当時の邪国政府が邁国との協調を重視(この政策に関しては「仮想敵との中途半端な協調」と批
判が集まっている)していたからなのだが、邁国との戦争を想定して、軍備の増強を図っていた海軍に
とっては大きな痛手だった。
この事態に対応すべく、海軍は10,000トン級の大型軽巡『最上』型の建造計画を発令した。だ
が、これらの艦の主砲をいずれ20.3cm砲に換装するにせよ、戦艦戦力の補完とすべき夜戦部隊の
旗艦任務を担う重巡洋艦の不足は、海軍としても不安を感じずにはいられなかったようである。
ところで今回の条約により、邪国海軍は『金剛』『比叡』を練習戦艦にすることを強いられていた。
ただ、代艦として排水量35,000トン、主砲35.6p砲を上限とする戦艦2隻の建造が認められ
たので、軍令部は艦政本部に対し、将来不足すると思われる重巡戦力を補完可能な高速戦艦の設計を命
じた。この計画で建造される艦は、軍令部が同盟国パー国の巡洋戦艦シャルンホルスト級に対抗できる
艦を欲したということもあり、当然その任務には通商破壊活動も考慮されることになったのである。
かなりの多用途に対応できることになるであろうこの大型艦設計の要求に、艦政本部は悪戦苦闘を余
儀なくされた。艦政本部としては軍令部の思惑がどうであれ、文字通りどんな任務にも対応できるとい
う、ある意味中途半端な艦を作る気がなかったからである。そのため何の任務に重点を置くかで本部内
でも対立があったが、結局彼らは2つの案を軍令部に提出することになったのである。
提出後にそれぞれ甲案、乙案と呼ばれるようになったこの計画は、甲案は対艦戦闘を重視した艦隊戦
重視型、乙案は航空設備を充実させることで偵察能力を強化し、通商破壊任務を重視したものであった。
そして軍令部はこの2つの計画を「文字通り甲乙つけ難い」と判断し、この両案を基にした艦を1隻ず
つ建造することにしたのである。
紀元1024年1月、一足先に甲案を元に計画された仮称『795号艦』が起工された。
仮称『795号艦』は紀元1026年12月に進水し、『高雄』と命名された。これは軍縮により建
造中止となった『愛宕』型4番艦の艦名である。同時に一等巡洋艦に類別されたが、主砲口径が小さか
ったために、戦艦に類別することがためらわれたのがその理由であった。その後も工事は順調に進み、
紀元1028年9月27日、邪国海軍史上初となる超大型巡洋艦『高雄』は完成したのである。
『高雄』の主砲は30.5p3連装砲4基である。この30.5p砲は50口径で、もともとは邪国
海軍が陸軍の依頼を受けて、重要拠点に装備する要塞砲として製作したものである。海軍も盤攻城、虎
麦港に沿岸砲として装備していたので、砲弾の供給にも問題なしと判断された。それに元来が速射性能
を重視して製作された砲であり、20.3cm砲を装備した重巡と撃ち合うには最適の砲と考えられたの
である。
また、本艦の武装においての最大の特徴は、次発装填装置付61p4連装発射管4基という重雷装が
施されていたことである。これは30.5p砲では対戦艦戦になった際に力不足と考えられたからでも
あるが、元々が重巡洋艦戦力の補完を目的とした計画から出発した名残であったとも言えるだろう。た
だ本艦の運動性は大型艦にしては高かったから、実際雷撃の機会もあり戦果も残しているぐらいだから、
決して無駄ではなかったのだろう。被弾による誘爆の危険も否定できなかったが、発射管および予備魚
雷の周囲には二酸化炭素噴出式の自動消化装置が取り付けられており、実戦でも特に問題は生じなかっ
たようである。
対空兵装は、副砲を兼ねる12.7p連装高角砲が8基。片舷に4基ずつ装備され、その配置は射界
を広くとれるように工夫されていた。他に25o連装機銃が8基、13o連装機銃2基が、完成時の本
艦の対空兵装となっていた。このあたりが十分といえないのは、開戦前の計画による建造であるから致
し方のないところであった。
防御に関しては、過度の装甲を施すことで重量の増加を招くことを避けたいという事情もあり、戦艦
としては最低限とされた。とはいっても、舷側装甲には傾斜が施されていたし、甲板装甲も『長門』型
と同等の厚さを持っていたから、実際の防御力は戦艦の水準を満たすに十分なものだったのである。ち
なみに最上甲板は当初リノリウムだったのだが、開戦直前に本艦が火災事故を起こしてしまったことで
耐火性に疑問が生じ、すべて取り払われた。よって戦争時の上甲板はすべて鉄甲板である。
なお、本艦と『利根』に装備された機関は、航空母艦『翔鶴』型に予定されていた機関を高圧化した
ものであった。当時、駆逐艦『雪風』型に超高圧機関が搭載されていたが、大型艦が装備する始めての
高圧機関ということもあり、その扱いは決して簡単なものではなかったようである。ただ、これも開戦
前までには安定しており、十分な性能を持った高速戦艦として艦隊に配備されるはずであった。
ところがこの艦と『利根』の完成後、この2隻をどこに配属させ、どのように運用するかで問題が生
じた。戦艦としては足が速すぎるし、巡洋艦としては大きすぎるというのがその主な原因であったが、
当初予定していた水上艦による通商破壊が、対邁国戦においては多少無理がある(カバーすべき海域が
多くなりすぎる)と考えられるようになったからである。結局、開戦前にこの2隻で第八戦隊を編成し
ていたが、その扱いは連合艦隊でもなかなか難しいようであったらしく、完成後しばらくは放置に近い
状態で、実質飼い殺しという形になってしまったのである。
だが開戦の直前、高速夜戦部隊として第二艦隊が再編成されたことが両艦の運命を変えた。艦隊司令
長官の塚原武俊はこの両艦の高速性能を高く評価し、それを有効活用するための戦術計画を立案するよ
うになったのである。艦隊旗艦の栄誉は『利根』に奪われたが、その性能を生かす場を見出すことがで
きたのである。
そして『高雄』は開戦以降、ツツガムシ島夜襲作戦、到島沖海戦で第二艦隊の主力艦として活躍、ツ
ツガムシ島をめぐる周辺海域での海戦では敵巡洋艦を圧倒、その破壊力を示した。その結果、本艦を基
礎とした巡洋戦艦『浅間』型の建造計画が決定されたのである。これは軍令部でも本艦の汎用性が高く
評価されるようになったということの証だろう。そして『浅間』型の建造開始直後に本艦は入渠、高角
砲を2基追加、25o機銃をすべて3連装化して増設するなどの工事を行っている。この改装が終了し
た後の諸元が上記のそれであり、これが終戦時の『高雄』の状態となった。なお改装中に、『浅間』型
に準じて艦種が一等巡洋艦から巡洋戦艦に変更されている。
休戦明けの中部大東洋海戦から第二次露島沖海戦までの一連の戦闘でも、『高雄』は第二艦隊本隊の
主力として活動を続けた。結局、総旗艦『大和』や遊撃隊旗艦『利根』ほど目立つ存在にはなり得なか
ったが、強国邁国と苦しい戦いを続けた邪国海軍にとって、本艦が貴重な存在であったということは想
像に難くない。最後の決戦となった第二次露島沖海戦では大破した『大和』に変わる旗艦を努めて戦い
の終結を迎えたが、本艦も中破に相当する損傷をこうむっている。
その後の講和条約と同時に、邪邁両国はそれぞれの戦艦、空母の大半を廃棄する条約を締結した。こ
れにより主力艦の大半を廃棄することになったが、その中で保有を認められた『高雄』は、同じく保有
を認められた『利根』、『浅間』型3隻と共に、邪国海軍最大の戦闘艦艇となったのである。
『高雄』は終戦直後に魚雷兵装の撤去などの小改装を行い、その後は3番主砲を撤去してミサイルを
装備するなどしたが、紀元1054年10月『浅間』型に先だって除籍、解体されている。
その艦歴は、足掛け26年あまりという長いものであった。
作者より
A‐140です。私にとって初となるオリジナル設計艦の投稿となりますが、原
案が出来上がっていたにもかかわらず、かなり手間取ってしまいました。もう少し
早くできると思ったのですがねえ…。
ただ、先の『大和』で上面図の練習をしておいたおかげで、今回は比較的上面図
に手間取らなかったと思います。出来にもほぼ満足しています。もちろん、こちら
の掲示板において皆様の暖かい励ましを頂いたことが励みになり、このようなよい
結果を導き出すことができたことは言うまでもありません。この場で改めてお礼申
し上げます。
この艦の設定の元ネタは『大和』のそれと同じで、私の自作小説に基づいていま
す。「重雷装の巡洋戦艦」というのは一度やってみたかったネタだったからです。
ただ、そのためというだけではないにせよ、勝手気ままというか、ある意味ご都合
主義的な設定が目立ちます。重巡『高雄』を建造中止にしてしまったり『比叡』の
みならず『金剛』までも練習戦艦にしてしまうとは…。まあ、この艦のみならず、
自分の好きな艦名を自分で作った艦につけるため、かなり無茶はしていますが。
(補足:史実の『比叡』と同じく『金剛』も開戦前に戦艦に戻しています)
さて、次回は文中の乙案『利根』を投稿する予定です。本当は本艦と、発展型と
なる『浅間』型と同時に投稿したかったのですが、文章が間に合わなかったのでこ
ちらを先行させます。競作を怠けて(というか、昭和10年計画という時点で私の
原案が破綻してしまったのですが…)作った作品ですが、ご期待いただければ幸い
です。
2001年 10月12日 投稿
なお、本艦製作にあたっては、似た形状の艦をすでに発表なさっていた若宮 隼
さんのご理解と励まし。および WarBirds 内の質問コーナーでSUDOさんに超甲
巡の防御に関する詳細な説明(本艦設計にあたり参考になりました)を頂きました。
お二方には、あらためて厚くお礼申し上げます。
(それでも、あれこれといじっているうちにだいぶ艦型が変わっています。最初は
もっと似ていたと思います)
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