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【歴史的背景】 西暦1929年、ニューヨーク・ウォール街で起こった株の大暴落は瞬く間に世界中に波及し、世界を混乱と停滞のるつぼに叩き落とした。 このような事態に対し、欧州列強は自国産業保護を目的としたブロック政策を施行、有力な市場を持たぬ合衆国と対立が深まった。合衆国は保護貿易撤廃を掲げ、機会均等の門戸政策を提唱するが、膨大な戦債を抱え苦しむ欧州列強にはとうていうけいれがたいものだった。 合衆国と欧州列強、とりわけ英国との関係は悪化し、貿易問題をめぐって両国は対立の度合いを増していった。いつしか戦争という解決策まで真剣に論じられるようになった。 ここでサー・ウォルシンガムを輩出した島国はここで一計を案ずる。 大西洋をはさんで戦雲が漂い出した1935年。ロンドンにおいて海軍軍縮会議が開かれた。先のワシントン海軍軍縮会議の真の標的が日露戦争以後急速に伸長する日本海軍にあったことはいうまでもない。 だが、今回は合衆国だった。表向きは恐慌で崩れ行く経済救済を表看板にしていたが、ホワイトホールの思惑は世界の五指にはいるであろう強大な海軍力になんらかの足枷をはめることだった。 英国は本気で戦争に備えるつもりなのだ。 英国は、同盟国・日本が自分たちの肩を持つことは十分承知していた。日本もまた合衆国を仮想敵とした戦争計画を練っていたからだった。 加藤友三郎率いる日本側全権は楽観的な見方で会議に臨んだ。合衆国の海軍力を削ぎ、あわよくば自分たちも分け前にあずかれるだろう。これはまたとない機会といえた。 しかし、英国は老獪さを存分に発揮した。ホワイトホールに仕える外交官たちは二枚舌を使い分け、補助艦保有比率 日:英:米=8:10:9で交渉を妥結させたのだ。 日本は強過ぎず、弱過ぎず。日本海軍の一部で猛反発が起こったが、英国の軍事交流強化の申し入れ等もあって、反発の声は徐々に弱くなっていった。 こうして日本と中華民国、そして英国三国のトライアングルが完成した。日本にとって、それは意図しないものではあったが、そののち、対米戦において絶大な威力を発揮することになる。もっとも、この当時誰一人としてそれに気づいてはいない。 中華民国では蒋介石率いる国民党が軍閥に向けて軍事攻勢をかけていた。袁世凱亡き後の北洋軍閥は三派に分裂していたから、北伐は比較的容易に推移した。 統一に向けて王手をかけた蒋介石が次に望んだのは強力な軍事力、とりわけ海軍だった。というのも、1841年のアヘン戦争以来中国は要地を列強に割譲しており、軍事力の近代化が愁眉となっていたらからだ。 【建造】 1915年に竣工した装甲巡洋艦〈海陽〉級も旧式化し、海軍の象徴としての戦艦が渇望されるようになった。しかし、内戦による国内経済の疲弊で財政的な余裕もなく、戦艦建造は一時危ぶまれた。 そこに手を差し伸べたのが日本であり、また英国だった。海軍休日による戦艦の建造中止で造機技術の中絶を恐れた両国は、中華民国海軍に供与する戦艦の建造に資金的・技術的努力を惜しまなかった。(とりわけ日本からすれば、仮想敵たる合衆国に対する隠し財産になりうるという点で魅力的だったし、英国は広大な市場への足がかりを欲していた) こうして建造されたのが〈鄭陽〉級である。保守整備の観点から日本に建造が依頼されたが、後に外交上の配慮から英国にも1隻発注されている。 日本戦艦の特徴である艦首材の形状を踏襲しているように、随所に日本的な部分が見られるが、英国戦艦と同じ平甲板方式の船体構造を採用している。 主砲は40.6p四五口径砲を連装4基、計8門、副砲として15.5p六五口径砲を三連装4基、計12門搭載。日本の〈長門〉級と同クラスの攻撃力を誇る。 長年にわたって蓄積された造機技術により、本級は30ノットを超える最初の戦艦となった。この韋駄天ぶりはすぐに勃発した第二次世界大戦でも遺憾無く発揮され、海軍作戦に多大な貢献をもたらした。 既述のように1番艦〈鄭陽〉は日本に、2番艦〈漢陽〉は英国に発注された。 このため、1番艦と2番艦とでは艦容が著しく異なる。これは艦隊でも異彩を放ち、新米水兵の識別訓練に好都合だったと伝えられている。 時すでに戦雲が漂っており、両国とも来る戦争に備え各種水上艦艇の整備を急ピッチで進めていたため、本級の建造はかなり遅れ、2番艦〈漢陽〉に至っては第二次世界大戦勃発のわずか三日前に引き渡された。英国による接収を免れた彼女は長い途につき、その後1番艦〈鄭陽〉とともに第1戦隊を組み、対米戦を戦うことになる。 ちなみに、艦名は明の遺臣鄭成功から来ていて、割譲地奪還の夢を新造戦艦に託したといわれている。 【リニューアルに寄せて〜作者コメントに代えて】 出来が悪いと感じたのでリニューアルすることにし、岩本氏の作品を参考にしながら描きました。 戦艦〈加賀〉、〈六甲〉級を見ながら、いろいろと手直ししています。 さて、リニューアルしようにも、悩みました。1930年代後半に竣工する日本海軍の水上戦闘艦はデザイン的に完成の極致に達していると思われます。大和級の艦橋や煙突がどの大型艦でも使われた可能性が高いのです。それはつまり、どんなフネを描こうが、大体似たり寄ったりになってしまうのです。 金剛代艦を参考に、1930年代に起工/竣工した戦艦をイメージしてみましたが、やはり大和に似てしまう。前部艦橋と煙突を大和から、後部艦橋を長門からもってきて、時代に合わせてみました。 2番艦〈漢陽〉はふとした思い付きから描きました。戦艦クイーンエリザベス級の上構を持ってきています。イギリス戦艦を彷彿させる艦容になりました。好き嫌い別れるかもしれないと感じています。 歴史的背景については、異論あるとは思いますが、設定上どうしても必要と考えました。日本と英国が同盟関係を維持してくれないと、2番艦〈漢陽〉が成り立たないからです。ご理解のほどよろしくお願いします。 それではまた。 1999年12月24日。1900年代最後のクリスマスイヴの朝に。 よーすけ |