ロシア王国 駆逐艦
  ランドィス  Ландыш


 1918年、日本の支援を受けたグリゴリー・セミョーノフを首班とする白衛軍がアナスタシア皇女を女王に迎えて沿海州に「ロシア王国」を樹立します。
 日本は直ちにロシア王国と「統括的な防衛協定」(傀儡支配の雅語表現)を締結、その一環として供給された駆逐艦が本艦で、ベースは日本の二等駆逐艦ですが、新鋼材の採用により機能を拡充しつつ大幅な軽量化に成功している点が特徴です。

 赤みがかった色から「ツヴェト・ザカータ」(夕焼けの色)と呼ばれるその特殊鋼はロシア人技師ウラジミール・リピンスキーにより発明されますが、生産に入る前にロシア革命が勃発、彼は革命軍に処刑された為にその製法は失われていました。
 しかし、彼の娘ターニャ・リピンスカヤは九死に一生を得て日本に脱出、以後、父の遺志を継ぐべく小樽の運河造船所で研究を行ない、彼女を支える日本人青年の協力もあって製法を見出します。当初は造船所サイドは新技術を渋る向きもありましたが、日本人青年の親戚の新聞記者が記事にしたところ、大反響を呼び造船所サイドも折れて本艦の建造に漕ぎつけました。

 12センチ単装砲3基、発射管を艦橋の前のウェルデッキに配置するなど、基本的には若竹型がベースですが、発射管は3連装となり、また中部砲を廃して後部砲を背負い式にするなど戦闘力の向上を図っています。
 当然ながら軍機兵器である一号機雷は供給されませんが、その関連装置を取り外すと不自然なので、スプーンバウはそのまま、機雷敷設軌条は通常機雷の敷設軌条が一号機雷用に似せて取り付けられています。

 北洋での行動が主となるので、船体は軽い耐氷構造とし、艦首部分などはオリジナルに比べて厚めの鋼板が使用されています。
 また、寒冷地用の考慮としては艦橋および前部構造物の一部がエンクローズされ、艦内の配置もなるべく表に出なくても済む様に工夫されていますが、全通となった後の占守型海防艦ほどは徹底したものではなく、魚雷発射管などにより分断が生じています。

 1931年、ロシア王国で内乱が発生、海軍も政府側と共産軍側に二分して戦う事になります。このとき、艦名の前に「ベールルイ」(政府側)「クラースヌイ」(革命側)を付加して付いた陣営を区別するという事が行なわれ、<ランドィス>は革命側に荷担した為に<クラースヌイ・ランドィス>と呼ばれました。
 1932年のオホーツク海戦で大破。内乱終結後はロシア王国海軍に復帰、太平洋戦争では主にオホーツク海・日本海の哨戒任務に就きますが、終戦間近の北海道大空襲で函館港に停泊中に空襲に巻きこまれて大破着底し、戦後解体されました。

ランドィス  Ландыш 造船所小樽運河造船所。1922年6月、竣工。1945年7月15日、函館港停泊中に空襲を受けて大破着底、戦後解体。



要  目  (新造時)
基準排水量730トン
全長88.4m
8m
主機艦本式オールギヤードタービン 2基2軸
主缶ロ号艦本式水管缶 3基
出力21500馬力
速力36ノット
航続距離14ノットで3000浬
兵装12cm45口径単装砲 3基
7.7ミリ単装機銃 3基
53cm魚雷発射管3連装 2基