日本海軍 「松」型護衛艦

松
「松」新造時(昭和16年11月)


要目(「松」新造時)
 基準排水量1,200t 全長100.0m 全幅9.4m 吃水3.3m
 出力19,000hp 速力27.8kt 航続距離16ktで5,000浬
 武装45口径12cm連装高角砲2基、25mm3連装機銃3基、
   爆雷投射装置6基(両舷用)同投下台6基(爆雷60発)
 同型艦「竹」「梅」「桃」「桑」「桐」「杉」「槙」「樅」「樫」「栢」「楢」「櫻」「柳」


概要
 昭和12年に軍令部直属の海上護衛総司令部が創設された。
 当初は自前の戦力が無く連合艦隊から旧式駆逐艦などを譲り受けた
が数が揃わず、新たに昭和14年のマル4計画で建造されたのがこの「松」
型である。

 凌波性を良くする為に船体は海防艦より大きく、基準排水量は1,00
0tを超過した。機関は任務の性質上ディーゼルが望ましかったが適当
な物がなく、水雷艇の「鴻」型と同じ物を使っている。ちなみに機関の
配置はシフト配置である。これが後の駆逐艦「旗風」型では半シフト配
置とやや後退しているのが不思議である。
 航続距離は(他の能力もそうだが)目標とされた南方資源地帯と日
本本土間の航行に差支えが無い、を満たしているとされたが海防艦の
「占守」型より短い。
 武装は対空・対潜戦を意識して高角砲を装備し、爆雷の数も当時と
してはかなりの数を搭載する事になった。
 魚雷は、必要や無いよりはマシ、無くても構わないなど意見が分か
れたが護衛総司令部側は戦時に連合艦隊に徴用されるのを恐れて艦政
本部に魚雷の搭載を止めるように要請したので魚雷は搭載されなかっ
た。(そして護衛総司令部の考えは当たっていた)
 対潜戦を重視しているので聴音機や探信儀などの水測兵器も充実し、
後には電探など電波兵器も積極的に搭載された。これは海上護衛総司
令部司令長官、及川古志郎大将の意向で護衛総司令部に所属する全て
の艦船・航空機に共通している事だった。
 なお、昭和18年から「松」型の各艦は指揮・通信能力を向上させるた
めに艦橋などの設備を拡張している。

 マル4計画では護衛に対する無理解からか4隻しか計画されなかった
が昭和16年のマル戦計画では10隻が計画された。もっとも、護衛総司
令部としてはまだまだ数が足りず、昭和17年からは建造の主軸を護衛
艦からより量産が効く海防艦に移され「鵜来」型では史実より多く、40
隻以上が建造され、後に「海防艦第1号」型などが続いている。

 一方、実戦では昭和18年に入ってから輸送船の被害が目立ち始める
と護衛総司令部は各部からの反対(稼航率が下がると言うもの)を押
し切って大抵の航路では複数の輸送船と護衛艦艇で船団を組ませてか
ら航行するようになった。これで被害は大方予想範囲内(戦前のもの
より大きく上方修正している)に落ちついた。しかし昭和19年にもな
ると敵の魚雷の信頼性の向上やレーダーなどの装備により再び被害が
大きく増加した。日本側の電探は性能が低いので中々敵潜を補足する
事は出来なかった。昭和19年後半に差し掛かると成果が出てきたが船
腹の減少を止めるまでには至らなかった・・・。


コメント
 ようやくあの滅茶苦茶駆逐艦「旗風」の時代に追いついてきたのでほ
っとしています。(笑)
 護衛艦とはまた苦しい表現です。駆逐艦なんて付けると連合艦隊に
“盗”られそうだし海防艦は何となく嫌だった(ぉぃ)ので思いつい
たのが護衛艦です。
 某国の駆逐艦、その他モドキではありません。(爆)
 昭和12年に海上護衛総司令部、無理です。特にそれらしいきっかけ
はありませんし。(知らないだけと言う可能性もありますが・・・)
 あと、船体の大きさはさり気なく史実の「松」型と同じになっていた
りします。


 (2001年4月14日)