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第二次世界大戦半ば、連合国側についた日本はドイツ極東潜水艦艦隊による津軽海峡通商破壊に苦しんでいた。 津軽海峡には日本有数の産炭地である北海道と本州を結ぶ大動脈、国鉄青函連絡船が走っている。しかしこのうちのほとんどの船は大正から昭和初期にかけて建造された速力が17ノット程度の船なのだ。速力も並み程度で武装もしていない商船はUボート艦隊にとって格好の標的である。 そのため大戦当初は大湊に常駐していた駆潜艇を護衛に付けていたが、極東潜水艦艦隊が日本海にその主な狩場を変えたため駆潜艇もそちらへと回ってしまい、ついに1943年12月23日、青函連絡船は貨物船『第6青函丸』の一隻を残して全船Uボートの餌食となり、乗員乗客1037名が死亡するという大戦災となってしまった。 この襲撃を悔やんだ国鉄と海軍は『駆潜能力を持つ連絡船』という構想を打ち立て、建造中であった貨物船『第11青函丸』『第12青函丸』、さらに大破した『第6青函丸』の船首船倉を潰し53.3p三連装魚雷2門を、船尾に水中爆雷を装備させた。 そして襲撃後わずか1年で、船尾の車両甲板開口部から駆潜水上機を射出する世界初の『仮想水上機母艦』として設計された『洞爺丸』クラス4隻が竣工した。 搭載機は水偵4機、駆潜機が8機。商船としては初めて艦本式タービンを装備し、軍艦用の大きなレーダーと船尾の水上機クレーンを持つ特異な客船でもあった。 洞爺丸クラスは全船大湊に配属され津軽海峡のハンターとして、終戦の1947年までにドイツ潜水艦を35隻(38隻?)撃沈し、終戦後もクレーンをつけながら青函航路の女王として君臨したのであった。 1968年に退役した長女の洞爺丸はイタリアのホテル業者に売却され、海上ホテルとして現在もその姿を見る事が出来る。 また同年に退役した三女の羊蹄丸も記念船として戦艦長門とともに大湊軍港に保存されている。 要目 全長:125.8m 全幅:18.86m 基準排水量:3,860t 満積排水量:4,050t 主機:艦本式オールギヤードタービン2基2軸 主缶:ロ号艦本式水管缶(重油専焼)6基 出力:8,350hp 最高速力:30.4kt 武装:53.3p三連装魚雷2門、水中爆雷、25o機銃4機、射出機1機(圧縮空気式) 搭載車両・搭載機:ワム型貨車21両・常用9機、補用6機 旅客定員:992人 運行要員:140人 起工・進水:1943年12月31日・1944年7月22日 製造所:三菱神戸造船所 同型艦 『大雪丸』『羊蹄丸』『摩周丸』 なお、内海の定期航路船なので航続距離の項は省かせていただく。 作者より ろしあ革命です。 青函連絡船を空母にしてしまおう!というネタはかなり昔から自分の中にあって、このたび実物(?)のものにしてしまいました。 架空艦にする際、基本スペックが本物とかなりかけ離れてしまったり、ドット絵がうまくかけなかったりしてますがその辺は目をつぶってください。 実際の洞爺丸は1954年の台風で函館港内で沈没してそのままスクラップなんですが、それはあまりにも可哀想なので、この洞爺丸はその速力を生かして台風の中を突っ切り、無事青森までたどり着いたという裏設定を持たせました。 しかし、本当にこの船で潜水艦がやっつけられるのか小一時間・・・。 |