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アルミは電気の缶詰と申します。それゆえ、日本に石油とボーキサイトを運んで、それが途中で撃沈されては、鉄でできた戦標船まで失われることになり非効率です。内地も十分電気がある訳ではありません。 石油は蒸留して精製しますが、のこったアスファルトや最後に残るプロパンなどのガス成分は南方の空を焦すだけで国防の役には立ちません。 そこで、蘭印の製油所で電力をつくり、蘭印でとれるボーキサイトを使えば、アルミニウムができると言う寸法です。鉱石を運ぶ、油を運ぶというより、船腹の削減になるのではと、昭和16年に企画院で計画が立てられました。 17年に進出して、設備が整った18年はインゴットの形で運び出しました。その頃には船舶不足が明らかになり、内地では鋳造するにも電力や燃料が安定していなかったとのことで、事前の計画が上手くいったと思います。 19年に入ると南方から送ったインゴットも油も途中で沈んでしまいました。比島が落ち、潜水艦に加えて、飛行艇のカタリナとか B-25などの爆撃機も商船攻撃に加わり、送りだした荷物の1/3も日本に届かず、とにかく酷い有様でした。 そんな折に企画院から替わった軍需省から、「現地で船舶を確保し南支へ航送せよ」と、『実に有り難い』ご連絡をいただきました。そこからは、打通に成功した中国大陸を鉄道で輸送して、満州や朝鮮で使うか、かろうじて海路が保たれている黄海や日本海で本土に送るとのことでした。 それでつくったのがこの「ゆ号」です。 陸軍さんも朝鮮のボイラー工場で輸送目的の潜水艇造っていたそうですが、我々のは湯ではなく油です。 戦後マリアナ海溝を潜ったトリエステ号と一緒で、なにも耐圧でなくても油で充填すれば圧壊しません。アルミは幾らでも在庫がありますから、長さ10mの筒をアルミで造ります。アルミの在庫を届けるのも目的ですから思いきって鋳造しました。アルミの比重は2.7で、計算してちょっと軽めに比重を合わせて造っておきます。でも原油というのはそう厳密に比重が決まっていないので中立のは良いんですが、負の浮力のができちゃうと作り直しです。だから、精製して軽油と揮発油にしました。軽油は0.9・揮発油は0.8が比重です。この後ろに、櫓をくんで、人が乗った推進部分をつけます。アポロの着陸船と司令船の様なものとお考え下さい。非常脱出用に魚雷を溶接しておきまして、普段はディーゼルで進みます。ギアなしの直結です。エンジンも部品をアルミで鋳造で造りました。ソ連はアルミ合金の航空エンジンをディーゼルにして戦車に使っていると言う話で、落ちていた飛燕から型を取りました。 鉛と磁石がないから蓄電池もモーターも出来ません。ギアも削れず、ディーゼルの直結です。 1隻で60tの油と6〜12tのアルミを送り出しました。100隻出して終わりになりました。1000回転位で低速・定速・海面以下高度だからか、一回動けばそう止まるものではありませんでした。漏れた分は潤滑油は注げば良いし、もっとも300馬力出ていたか?6ktで20日ほどで着きました。 機関員は機材がなくてブラブラしてる航空隊の整備の人を頼んで、船員はボカチンくらった商船員さんや水兵さんにお願いしました。 舵は落ちてた飛行機の垂直尾翼と水平尾翼です。ケーブルを戦車兵みたいに身を乗り出してる見張り員さんに引っ張って切ってもらう。水平尾翼は潜蛇です。推進部分はちょっと負の浮力にしてあってですね、いざとなったら石油タンク部分を切り離すと沈むようになってます。ちょうど、胃袋切った時みたいに1/3が活き残るんですよ。潜水中の動力はさっきも言った様に魚雷です。頃合いを見て、鉱さいで作ったブロックを切り離すと、正の浮力になって水面に戻ります。この辺もトリエステ号そっくり。 実際やったという話は聞きませんがね。やはり水上艦はそれほど活発に活動してませんし、潜水艦からは、ほとんど吸気筒しか見えないから、聴音でみつけても確認できないんで攻撃に至らないですよ。 後になって打たせ船みたいに吸気筒に三角帆つけたのが少し見つかったけど、すぐ止めましたから機帆船にするの。だって南方は油を節約する必要ないんですもん。考え過ぎは良く無いですよ。 えぇ、煙突じゃないです。ほとんど水没ですから荒れて波被ってもエンジンがガブら無い様に吸気筒。側舷排気です。 話はそれましたが、結局みつかるときはカタリナとか飛行機ですよ。海がきれいで10m潜っても見えちゃうんですから、アルミにペンキ塗りましたけど足らないからピカピカ光る。折角、非磁性で魚雷や機雷の信管や磁探を胡麻化す事ができるのにね。あっ、米軍は磁探なかったのですか。考え過ぎは良く無いですね。機銃掃射を受けて困ったのが多いそうです。でも、喫水以下だから火が拡がらない、油の浮きで漂泊しているうちに、向こうさんが燃料切れや玉切れで音を上げる事が多かったそうです。さっきの油タンクの切り離しをする前に飛行機がいなくなっちゃうから破孔を木栓で塞いで航海続行です。伊号ほど熱心には攻撃してもらえなかったので、そうそう死人は出てないそうですよ。もっとも死んじゃった人からの報告はないから相手が3番とかロケット弾とかをあててしまうとすぐボカチンであったでしょうね。 引き揚げの船が来る迄、保全命令もあったし、アルミと船を造り続けましたよ。インドネシアの人と食料と船を物々交換して過ごしました。まだ使っている所では使っているようですよ。錆びないですから。肉厚もあるし。最近の鋼鉄船の高張力鋼なんてペラペラで腐蝕しちゃうのと訳が違います。オランダが追い出された後のインドネシアで、またアルミを作るのを手伝いに行った後輩が我々のつくった船に乗ったと話していました。 |