■ 帝國陸軍 航空工廠(立川) 4式襲撃機(キ92) 〜鵺〜 ■

『鵺』・標準塗装
『鵺』・正面&地上

●機体寸評●
本機(キ92)は欧州で陸軍直協任務に活躍していた『Ju-87』に刺激され、対地襲撃機として開発が行われるも、作業中止が言い渡された『川崎 キ66 急降下爆撃機』の後継機として昭和18年2月より開発が行われた機体である。
本機は非常に特殊な襲撃機であり、日本航空史においても特異な形態を持つ飛行機の1つであると言える。

●発動機●
発動機は稼働率を第1に選定が行われ、空冷発動機『ハ112U』が選定された。
本機はこの『ハ112U』を機体重心位置に装備、機体後部のプッシャー式推進プロペラを延長軸で回転させる野心的な設計であった。
本機設計の難関は発動機の冷却、及び延長軸に集中した。
冷却問題は機首前面を大きく開口、空気取り入れ口とし、そこから取り入れた空気を強制冷却ファンによって中央部発動機へと誘導・冷却する方針とされた。
発動機の放熱フィンから熱を吸収した冷却空気は排気ガスと共に機体中央側面に設けられた凹式可動排気口から機外へと排出された。
この可動式排気口は独逸の傑作戦闘機Fw190を参考に設計され、非常に優れた空力特性を発揮するに至った。
海軍の局地戦闘機『雷電』最大の問題であった延長軸の振動問題は本機の上にも影を落とした。
しかし『雷電』が発動機の減速比変更に糸口を求めたのに対し、本機はプロペラ形状の変更での解決を目指した。
より安易な方法であるこの考えは幸運にも成功し『雷電』と比較して非常に短時間での問題解決に成功した。
本機設計陣は延長軸を中空とした際の不均等な肉厚から発生する振動を解決する為に重量が増加しても、いたしかたなし、との見地から延長軸を鋳造製とした。
この延長軸は鋳造製を考慮して細く製作され、減速歯車は機体後端、プロペラの直前に置かれた。
発動機選定と、まるで逆行するかの如き駆動方法の選定には陸軍航空工廠がライバル視していた海軍空技廠で開発中の18試陸上偵察機『景雲』の存在が大きく影響を及ぼしたと言われている。

●設計●
発動機に関する問題点に対して、機体設計自体は非常に優れた物であると言える。
本機は最初から量産性を重視し、当初より多くの工数減少を念頭に設計が行われた。
機体外鈑の大部分がブリキ、鋼、及び木製で重要戦略物資ジェラルミンの使用はごく一部へと抑えられているのも特徴的である。
補助翼や方向舵・昇降舵は羽布張、更にプロペラは木製シュワルツ式(可変ピッチ)とされ、極力戦略物資の使用減少が計られた。
主翼は胴体下面に爆弾倉を持つ事から中翼配置とされ、隠蔽豪内に格納可能な様に折り畳み機構が設けられた。
この主翼折り畳み機構は海軍で開発中の特殊攻撃機『晴嵐(M6A1)』を参考とした主翼全面を回転させ後方に格納する方式を採った。
やむなく中翼配置を採用した本機ではあったが主翼の外鈑を強化合木板(桁は鋼製)とし、直線部を多用する事で工数の減少を狙っている。
主翼内に武装を搭載しなかった事は工数減少に貢献した。
本機は中翼配置を採用した事によって、本機は主脚を油圧で胴体内に引き込む配置となった。
この胴体引き込み配置は主脚幅が狭い事、脚が長くなる事、また馴れない前輪式を採用した事などから当初より着陸性能の不安が指摘された。
そこで脚は重量軽減よりも頑強を第1とし、鋳造製の肉厚な物の使用が決定された。
しかし量産型では戦争後期の劣悪な材料事情から鋳造脚部のトラブルが多発したのは残念な出来事であった。
本機の胴体は3分割可能で、それぞれ搭乗席後端(機首)、発動機(胴体)、機体後端(延長軸)へと容易に分解できた。
この分割方式は機体組立、及び整備等に便利で多大な時間の短縮に貢献した。
特に機体中央部の発動機・延長軸の保守が容易となり、機首発動機装備機と同じレベルでの整備が可能となった点は評価が高かった。
プッシャー式にプロペラを装備する本機は搭乗員の脱出にも新機軸が採られた。
海軍の18試試作局地戦闘機『震電』と同様に炸薬式プロペラ爆砕装置が装備され、脱出時の搭乗員巻き込みを防止した。

本機の機体設計は航空工廠で実行され、立川飛行機が主製作会社に選定された。

●防弾装備●
本機は燃料タンクを主翼内部、胴体中央部(発動機後部)に持ち、また別途に機体下部爆弾倉内部に増加燃料タンク(500リットル or 250リットル)を搭載可能であった。
この増加燃料タンクを装備する場合は、当然ながら爆弾との選択となる。
当初より強襲を目的とした襲撃機として開発が行われた本機は、増加燃料タンクを含めて防弾を非常に重視していた。
本機は重要戦略物資の使用を可能な限り抑える設計を根本としており、防御の大部分を装甲鋼板による直接防御を採用している。
搭乗席及び発動機、燃料タンクに装備された装甲板厚は最大10m/m、搭乗席前面の防弾硝子の厚みは45m/mにも達し、これらの装甲板総量は実に390kgにも及んだ。

●武装●
固定武装としてホ5(20m/m)、ホ105(30m/m)を胴体内に各2門づつ装備する。
弾数はホ5が各250発、ホ105には各100発とされ、弾を含めた全固定武装の総重量は365kgであった。
更に本機は機体下部に大型爆弾倉を持ち、内部に500kg爆弾1発(もしくは250kg爆弾2発、250kg爆弾1発と250リットル増加燃料タンク、500リットル増加燃料タンク)が隠蔽搭載可能である。
翼面下には懸架装置は装備されなかった。
また、本機は胴体後方側面に脚部と動力を兼用する油圧式ダイブ・ブレーキを装備し、急降下爆撃(最大70度)が可能であった。
この際の爆撃照準器は射撃照準器と兼用とされた。

●公試●
本機は昭和18年2月の設計が開始され、翌昭和19年4月に試作1号機が進空した。
公試では奇異な容貌を払拭する良好な飛行特性を示し、関係者を一安心させた。
発動機の冷却不足も観測されなかった。
試作機は公試と平行して数々の改良が実行され、多くの問題点が解消されていった。
この間に製作されたプロペラは実に5種の多種にも及んだが振動問題は一応の解決を見たのは僥倖と言える出来事であった。
その後も小改良が行われ、機体の円熟性が増されていった。
昭和19年8月、最終公試が無事終了し即日、本機の量産化が決定された。
しかしこれ以前の昭和19年7月末、振動問題解決と共に本機の量産計画は航空総監の芝村少将によって進められており、この決定はあくまで書類手続き上の物であったと言われている。

●運用●
完成した機体は優先的に最初の装備部隊である浜松の『飛行第5121戦隊』へと送られた。
この『飛行第5121戦隊』は航空総監の管理下で『浜松教導飛行師団第3教導飛行隊』を根幹に新編成された部隊で、本機(キ92)2個中隊(定数18機、予備4機)装備する軽編成部隊として誕生した。
『飛行第5121戦隊』は召集した学徒飛行生を中心とし、整備員の多くも学徒召集兵から構成された平均年齢の極めて低い部隊で、装備機と相まって実質的には実験部隊と言っても過言ではなかった(誤植と思われるが戦隊記録には僅か8歳の兵員氏名【東原 恵_伍長】が記録されている)。
戦隊指揮官には善行 忠孝大佐が就任し、航空総監の高級指揮官 芝村 勝吏少将の全面的協力を得ていた。
本戦隊の部隊章は何故かユーモラスな『黒猫』が描かれており、他部隊からは『黒猫戦隊』の愛称で呼ばれていた(この絵のモデルは善行大佐の飼い猫『ハンニバル』であると言う)。
『飛行第5121戦隊』ではこの新型機の未習飛行ならびに急降下爆撃訓練、対地射撃訓練に昭和20年3月下旬まで従事した。
4月1日の米軍沖縄上陸に際し『飛行第5121戦隊』は急遽、九州の大洗飛行場へと進出した。
『飛行第5121戦隊』はこの地で夜間飛行訓練を約1ヶ月に渡り実施し、その後、大洗飛行場から熊本飛行場へと移転し沖縄航空戦に参加した。
『飛行第5121戦隊』は主に薄暮・夜間攻撃任務に就き、そのまま終戦までこの激戦を戦い抜く事になる。
沖縄上空の制空権は既に喪失しており、味方戦闘機による援護を望めない現状で『飛行第5121戦隊』が採りうる戦術は挺身特別攻撃を除くと、薄暮・夜間攻撃しか残されていなかったのが現実であった。

その他の生産機の大半は本土決戦用に内地各所に分散温存され、本格的な本機装備部隊は編成される事はなかった。

●評価●
本機の生産は機体分割や徹底した工数減少が設計当初より考慮されていた為、優れた量産性を発揮した。
しかし量産体制が整った後も長大な延長軸とその軸受けの生産遅延が本機量産の足枷となったのは残念であった。
各種部品は転業工場や町工場を動員して製作され、木製部分の生産には日本楽器や大型家具店が中心となって進められた。
これら外注部品の品質管理は困難であったが、何とか昭和20年1月(一説では昭和19年末)には本格的な量産体制へと入る事が可能となった。
本機の木製部分の接着剤は、海軍で制作中の『試製99式練習用爆撃機22型(明星)』製作会社である松下飛行機より陸軍に提出された資料を基に製作した物で、非常に優れた性能を発揮した。

多くの工場から送られた、ちぐはぐな部品の集合体である本機を誰言うとはなく『鵺』と呼び始めたのはこの頃からであると言われている(飛行5121戦隊内部では本機を『士魂』と呼んでいたと言う)。

『飛行第5121戦隊』での本機の評価は概ね良好であった。
地上・空中を問わず、ずば抜けた視界の良さは現用機の随一との搭乗員の賞賛を得た。
部隊内から航空工廠へ上告された問題点の多くは当初の通り延長軸、及び脚部へと集中した。
特に整地されていない飛行場での運用では脚部故障が相次いだと報告された(搭乗員の技量や、夜間及び薄暮での離着陸にも多くの問題があったと言われている)。
懸念された延長軸の振動問題は工場から送られた機体を部隊内でもう一度組み上げ、延長軸・軸受け部の再調整研磨を行う事で対応した。
この作業には熟練工(整備技術将校_原 素子大尉指揮)が細心の注意を持って当たり、調整後は余り問題が報告されなかったと記録されている(現在ではこの問題減少報告を疑問視する研究者も多い)。
また爆弾を最大搭載した状態での速度・運動性能の低下は大きく、制空権を喪失した状態では非常に危険を伴った(公式には記録されていないが『飛行第5121戦隊』では最大搭載を禁止したとの整備員私記【茜 大介_伍長の日記】も残されている)。
しかし、これらの欠点を遙かに凌ぐ発動機の安定性・重防弾性・素直な操縦性への評価の高さを搭乗員の多くが挙げている。
また本機の強力な火力も非常に好評で、20m/m(ホ5)×2、30m/m(ホ105)×2の火力は日本機中最高水準に達する物であった。
本機の対地支援攻撃による味方陸兵への精神的効果は高く、本機が上空に現れると士気が大きく向上したと伝えられている( 実際、沖縄の地上部隊指揮官からは多くの感状要請が大本営へと打電された記録が現存している)。
また、未爆装状態で敵戦闘機と交戦、これを撃墜した報告例も多数挙げられ、本機の多用途性を表す好事となった。
『飛行第5121戦隊』では善行戦隊司令搭乗の4式重爆『飛龍』(空中戦闘指揮仕様)の陣頭指揮の下、未爆装の部隊が上空警戒にあたり、爆装機爆撃終了後はこの部隊と入れ替わりに未爆装部隊が地上掃射を実施する作戦が多く取られ、戦果を拡大している。
大日本帝國陸軍は本機によって直協襲撃機を完成させたと言えるだろう。

本機の米軍呼称コードは当初、戦闘機との認識から『ブータニアス』と男性名が付けられた。
しかし後に爆撃機と判明した為、女性名『アラダ』へと改変されている。

本機を語る上で何にも増しても特筆すべき事象は戦中に開発・生産・部隊配備が実行された事、その1点へと集約されるだろう。
本機の総生産数は不明、陸軍に納入された機体総数は俗に51機と言われている。


●各種増加試作型●
本機の増加試作型には大きく分けて3つの派型が見られた。
『キ92甲型』もしくは『2型』と呼ばれる型は、発動機を排気タービン付きの『ハ112Uル』に換装した高々度迎撃機仕様である。
この『甲型』は機体の大部分をジェラルミン化したのを皮切りに、胴体下部の爆弾倉と機首のホ105(30m/m)、ダイブ・ブレーキを完全廃止し、一部防弾装備を撤去して機体重量を軽減、胴体上面(背面)にホ105(30m/m)×2を斜銃式に搭載、推進効率向上を狙ってプロペラを金属製に変更した対重爆撃機迎撃を主任務とする機体であった。
しかし本機には予圧式操縦席は装備されておらず(酸素瓶のみ)、高々度能力には一部不安を残す設計でもあった。
『甲型』は終戦時に2機が完成し、他に1機が完成直前であったと言われている。
終戦間際、甲型試作1号機が公試中に疎開先の新潟上空にてB-29爆撃機2機と遭遇、この内の1機を撃墜したとの資料もあるが米軍側は否定している(一説ではこの2機のB-29は新型特殊爆弾【原子爆弾】搭載機で新潟爆撃任務中であったとの流言飛語がまことしやかに流布したが米軍はこれを完全否定している。戦場伝説の好例と思われるが今後の研究が待たれる)。

次の『キ92乙型』もしくは『3型』と呼ばれる型は発動機をより高出力な液令X型『ハ74-01』へと変更した機能向上型(重戦闘爆撃機型)で、終戦時には機体設計がほぼ終了していたと言われている(発動機を除く試作機が完成直前だったとの記述も存在する)。
この『乙型』は終戦時に多く図面・資料が徹底的に焼却処分された為、詳細は未だに不明である。
機体は実質的に新設計と言っても過言ではない程の変更が加えられていたと言う。

本機はその機体設計から早期より噴進式発動機(ジェット機関)の搭載が計画された。
俗に『キ92丙型』、『キ92−4型』、『噴式鵺』、『鵺改』と呼称される機体で、発動機には『ネ230』の選定が決まっておりには、機体胴体内に1基が搭載される予定であったと言われている(一説では『ネ20』2基を胴体内に並列に搭載、もしくは同発動機を主翼下部ナセルに懸架した機体が終戦直前に完成していたとの記録も存在する)。
しかし、この各『丙型』の公式図面・写真は1枚も現存せず、現在では上記の各『噴進式』は戦後に完全に創作された機体とする説が非常に有力である。

『鵺』・第5121戦隊塗装

●キ92_機体諸元●
全長 : 8,96m(ピトー菅含まず)
全幅 : 11,00m
全高 : 4,28m(プロペラ・着陸脚含む)
自重 : 2,950kg
全備重量 : 3,930kg
発動機 : ハ112U 3式1500hp
最大速度 : 570km/h(高度6,000m)
航続力 : 1,300km(増加燃料タンク無し)
武装 : ホ5(20m/m)×2(各250発) ホ105(30m/m)×2(各100発)
爆弾倉 : 500kg爆弾 or 250kg爆弾×2(もしくは相当量増加燃料タンク)
乗員 : 1名


●飛行第5121部隊所属エース機解説●
『鵺』・壬生屋機塗装
■壬生屋 未央_少尉機■
上記は『飛行第5121部隊』第1小隊指揮官である壬生屋 未央少尉の機体で、尾翼に大きく『破邪』の文字が書かれている。
壬生屋少尉の生家は代々続く由緒正しい古武道の大家であり、少尉自身も剣の達人で胴着と日本刀『鬼しばき』を手放さなかったと言う。
尾翼に描かれたパーソナル・マークは少尉自身が記入した物である。
少尉の実兄もこの戦争で戦死しており、自ら進んで軍へ入隊している。
少尉は格闘戦の猛者で、進んで敵陣へと果敢に突撃し、格闘戦によって終戦までに16機の米軍機を撃墜している。

『鵺』・滝川機塗装
■滝川 陽平_少尉機■
上記は『飛行第5121部隊』第2小隊指揮官である滝川 陽平少尉の機体で、尾翼にはユーモラスな『てるてる坊主』が描かれている。
このパーソナル・マークを描いたのは整備隊の『森 精華』伍長で、雨期に入って雨がちな沖縄の天候を晴らす為と言われている。
雨天では幾ら整備万全でも航空機が飛べず、地上支援が行えない・・・この『てるてる坊主』は、沖縄で戦う同胞を思って描かれたのだと伝えられている。
滝川少尉は常に鉢巻と飛行眼鏡(ゴーグル)、白いスカーフを装着し、顔の絆創膏をトレード・マークとする熱血漢で、空戦ではホ105(30m/m)による遠距離からの神業的狙撃を得意とした。
整備部隊の新井木 勇美_伍長の一言『少尉、ハッキリ言って速水少佐と張り合うのは少尉には無理です。そんなんじゃ直ぐ死にますよ。何て言いますか・・・誰かを後ろから支えるって生き方ってのも良いモンですよ』を聞き、名脇役(サポーター)たる存在に目覚めたという。
その後は地上襲撃部隊の護衛任務に活躍、合計13機の米軍機を撃墜している。

『鵺』・複座型_速水機塗装
■速水 厚志_少佐機■
『飛行第5121部隊』所属機中、最も特殊な機体が上記の複座型、速水 厚志少佐の機体である。
この機は本来単座である『キ92』を陸軍航空工廠で複座型化して胴体下爆弾倉扉を取り外し可能とし、三菱製『イ号1型甲空対地誘導弾』及び、川崎製『イ号1型乙空対地誘導弾(キ148)』を搭載・運用できる様に改造した試作機である。
複座化するに伴い重心バランス調整の為に胴体を延長、機体強度を得る為に機体のジェラルミン化を推進すると共に主翼・尾翼面積を増大させ、発動機をより高性能な『ハ43-31』へと積み替えた性能向上型であり、単座型とは大きく内容が異なる。
総重量1,400kgにも及ぶ『イ号1型甲乙誘導弾』搭載時の離陸には、専用離陸脚(離陸後、投棄)とロケット促進離陸装置(RATO)が使用された(『イ号1型乙誘導弾』装備時は自力離陸可能)。
本機以外に、この様な改装を行った機体は存在しない。
よって特別な型式番号も与えられず、ただ『試製複座型』とのみ呼称されていた。
新たに増設された後部座席搭乗員は『イ号誘導弾』の無線誘導任務を担当する。
既に生産中止が決定していた『イ号誘導弾』の大部分は本機と共に『飛行第5121部隊』へと送られた。
本機の運用は極めて高い技量が要求される事から操縦員は速水少佐、誘導員には技術士官である芝村 舞中尉が専属で当たった。
本機のパーソナル・マークは『破魔矢』で芝村中尉によって尾翼に描かれたという。
速水少佐の操縦技量は対空・対地とも人間離れしており、まるで大空を踊るかの如く舞ったと言われ、兵達はこの機体を畏敬の念を込めて『絢爛舞踏』と呼んだと伝わっている(目撃者の多くが理論上あり得ない機動を試製複座型が易々とこなす様を見て不思議を通り越して、言いようのない畏怖・恐怖を感じたと証言している)。
学兵から異例の出世を遂げた速水少佐の最終戦果は、本機が実戦投入された5月末〜8月15日の終戦までの僅か3ヶ月で艦艇撃破39隻(空母2隻、軽空母5隻含む)、戦車撃破306輌、航空機撃墜67機を数え、被弾ゼロと言う常識を遥かに超越した偉業を挙げている。
上記の戦果により速水少佐は『功特級金鵄勲章(金鵄勲章の佐官授与最高上限は2級である。更に最上級は1級で特級は存在しない。そして、金鵄勲章は太平洋戦争中では戦死者のみに与えられる勲章であった。しかし軍は速水少佐の武功を重んじ特別制定を決定、生存者授与が実行された)_以下、下級略す』『武功徽章_甲(計12回)』『武功徽章_乙(計8回)』『個人感状(計39回)』『賞詞(計45回)』『特進(計2回)』を授与され、少尉での実戦突入以来、僅か3ヶ月で少佐へと累進している(速水少佐の例外的なこの出世の影には芝村少将の強力な後押しがあったと言われている)。
特に『功特級金鵄勲章』授与の模様はラジオを通して全国へ放送され、国民・兵士の士気を大いに向上させたと言う。
この並外れた武功から速水少佐を軍上層部は『決戦存在』と言い、ある者達は『龍』と呼んだ。

普段は『ぽややん』としていて趣味は『料理』、その優しげな顔にはまだ幼さが色濃く残る速水少佐・・・だが、戦場では『死を告げる舞踏』を舞う存在(『あしきゆめ』と戦う為に産まれてきた存在)へと一変する。 速水少佐のそのギャップは埋めがたい物があったと伝わっている。
同期の滝川少尉は速水少佐に『最近、少佐の側にいると自分は怖いです。少佐は無邪気に笑っていますが、次の瞬間には笑ったまま自分を殺せるんじゃないかと思ってしまって・・・すいません・・・少佐がいなければ、自分は既に死んでいると言うのに・・・ですが、少佐があの苛烈な戦場で嬉しそうに笑っている様に自分には見えましたので・・・』と語ったという。
速水少佐のエピソードで最も名高いのは『熊本上空攻防戦』の1日で単独撃墜35機の未曾有の大記録であろう。
米軍将兵は速水少佐機を特別に『ウィング・オブ・サムライ(士翼号)』と呼び、恐れたと言われている。
本機は終戦(熊本撤退)と共に破壊されたが、九州に上陸した米軍は必死に捜索し、残骸の全てを回収すると本国へと持ち帰り入念な検査を実行している。
この検査によって本機の機体下地塗装の全面に渡って緻密な紋様が描かれていた事実が判明したが、それにどの様な意味があるのかは理解する事ができなかった。

全くの余談だが速水少佐には『髪の毛が蒼く輝いた』『全身を青白い光が舞うように包んでいた』『肩に民族衣装を着た美しい小人が乗っているのを見た』『少佐の背中に12枚の光翼を見た』等の人とは思えぬ噂話が数多く伝えられている(後日、『飛行第5121戦隊』に所属していた来須 銀河_中尉は速水少佐の周りを舞う『青白い光』は『あしきゆめ』と闘って散っていった戦友の魂であり、自分達の想いを代行する少佐を守護していた、少佐の人外の強さは多くの同じ想いを抱き死んでいった戦友達、この世界に支えられていたからだ、と語ったという)。
これは終戦と共に誰にも告げずに何処かへ旅立った速水少佐の存在が既に兵達の間で伝説化していた事を示す出来事ではないかと思われる(実際、速水少佐に関する戦前・戦後の詳細な資料は発見されておらず、今後の研究が待たれる_一説では少佐の両親は米軍内通の罪で特別高等警察によって処刑され、少佐自身も特別施設へと収監されていた過去を持つという)。

●試製複座型_機体諸元●
全長 : 10,67m(ピトー菅含まず)
全幅 : 11,00m
全高 : 4,28m(プロペラ・着陸脚含む)
自重 : 3,192kg
全備重量 : 4,548kg(最大過荷重: 5,272kg)
発動機 : ハ43-31 2050hp
最大速度 : 625km/h(高度6,000m)
航続力 : 1,550km(増加燃料タンク無し)
武装 : ホ5(20m/m)×2(各250発) ホ105(30m/m)×2(各100発)
爆弾倉 : イ号1型甲空対地誘導弾×1、又はイ号1型乙空対地誘導弾(キ148)×1、又は800kg爆弾×1、又は500kg爆弾×1、又は250kg爆弾×2(もしくは相当量増加燃料タンク)
乗員 : 2名(後席_『イ号1型甲(乙)空対地誘導弾』誘導要員)


■設計技師olympiaから一言■
皆様、お久しぶりです。olympiaです(ホントにお久しぶりです・・・胃袋三分の一様、長々と投稿できず、すみませんでしたm(_'_)m)。
今回は『襲撃機』が描きたい!と唐突に思い、Fw190を参考に考え始めました。
とりあえず、Fw190をひっくり返したり発動機位置を変えたりと散々やりたい放題の暴挙を加えて完成しました。
空冷単発機を始めて描きましたが、見ての通り非常に怪しい機影・・・更に凄い設定の数々(イ号1型甲誘導弾装備状態で飛べるのか?等)・・・もはや突っ込み所満載ですが趣味暴走状態な為、なにとぞ大目に見て下さい。

えっ? 飛行5121戦隊? 速水少佐ですか?
・・・詳細はPSゲーム『高機動幻想 ガンパレード・マーチ(アルファシステム)』をプレイした方には、ご理解いただけると思います(未プレイの方、すいません)。
5121戦隊(ガンパレ)を描く為に創られた機体となっていますが、ご了承下さい(怒っちゃ『めーなの』)。

このガンパレ、一部ではギャルゲーのレッテルを貼られていますが、プレイヤー次第で大きく遊び方も変わります(自由度が非常に大きい)からミリタリー・ファン、硬派シミュレーション・ゲーマーの皆様も楽しめる作品だと思います(特に『電プレ別冊D』の『シバムラティックバランス』&『絶望の日』は幻獣撃破総数が1,000を越えるハードさが楽しめます)。
世界設定・学園モード・戦闘モード共にハッキリ言って私は思いっきりハマりました。
多くのグッっとくる台詞が目頭を熱くすること請け合いです。
とっても良いゲームだと私は思います♪
皆様も一度、プレイされてはいかがでしょうか?
一押しです。

最後に本機製作に当たり、助言を頂きました『山賊改』氏、『TAKA』氏に感謝を・・・(何故か芝村風に言ってみたり)。

それでは失礼いたします。
olympiaでした〜♪