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零戦の後継機種として、海軍では2,000馬力級の発動機搭載のものを予定していた。2,000馬力級の発動機は、中島がNK9Bを、三菱がMK9を開発していたが、栄をベースに18気筒化したNK9Bが、一歩先行していた。NK9Bは、海軍では「誉」として採用されることになるわけだが、その特徴は小型、特に直径が小さいことである。 海軍では、ほぼ毎年「航空機性能標準」を定めており、メーカーに対する試作の命令も、この性能標準を基にしたものとなる。戦闘機に関して言えば、空戦性能が重要視されており、このため低翼面加重が求めらていた。2,000馬力級発動機を搭載した戦闘機は、発動機自体の重量だけでなく、出力に見合った機体の強化、さらに搭載燃料の増大、など1,000馬力の零戦と比べるとかなりの重量増加が必要である。そのような重量機に低翼面荷重を要求することは、主翼の大型化を意味し、バランスをとるためには機体全体を大型する必要がある。 しかしながら、このような大型機は「誉」の小型という利点を、必ずしも生かしているとは言えない。このため空技廠では性能標準とは別に、誉を搭載する「小型艦戦」の研究を行うこととした。これが空技廠十六試艦上戦闘機である。 機体の大きさは、零戦よりやや小型、陸軍のキ42よりはやや大型程度である。しかし、主翼端から2.5mを折りたたむ形式としたため、空母搭載機数は、かなりの増加が見込める。折りたたみ機構は油圧とする予定で、飛行甲板上では主翼を折りたたんだ状態で発艦準備を行い、主翼を伸張しながら発艦位置まで移動すると言う、米軍のF6FやF4Uと同様の形式を予定していた。これにより、一回あたりの発艦機数が増大する。 その他の特徴としては、オイルクーラーを主翼付け根に設置して空気抵抗の軽減を図った程度である。主翼折りたたみ機構の使用により、外翼部分に燃料を搭載しないこととしたため、胴体内に大型タンクを設置している。重量バランスを考えて、操縦席前をタンクにあて、胴体内機銃は廃止して可能な限り大容量を得ている。しかし、後退した操縦席かつオイルクーラー部分の出っ張りにより、着艦時の下方視界は「最悪」と評価されることとなる。 武装としては20mmおよび13mmがそれぞれ2門(何れも内翼部)であるが、外翼部に対艦・地上攻撃用のロケット弾を搭載できる。ロケット弾は射撃用照準機での照準が可能であり、小型爆弾よりは有用性が高いと考えられたためである。 翼面荷重は170kg/m2程度が予想されていた。昭和15年頃には、将来は空母にカタパルトが装備されるものとされていたため、その使用を前提としたものである。結局、空母にはカタパルトは装備されなかったが、その場合の運用方法としては、まず艦爆、艦攻のみを飛行甲板に並べ、発艦。その終了後戦闘機を発艦させ、途中で艦爆、艦攻の編隊に追いつくことが計画されていた。当然、行程のある部分は護衛無しでの飛行となるが、実用上は問題なく、かつ戦闘機の燃料節約にもつながると考えられた。 また、艦隊防空の場合も、常時滞空させるのではなく、優れた上昇力・速力を利用して、敵発見後直ちに発艦させることが予定されていた。 このように、運用思想の変更も伴うため、本機は「試作」と言うよりは「思考実験」に近い。このため、実物大のモックアップが数機製作されるに留まり、飛行可能な機体は作られていない。なお、実際には空技廠は十六試艦上戦闘機の競争試作に参加した訳ではないが、便宜上この名前が使われている。 もし、本機が採用されていたら、「日本版ベアキャット」と呼ばれていたであろう。しかし、本機が戦場に登場するであろう昭和18年末ないし19年初頃には、すでに海軍の戦闘機搭乗員の質は大幅に低下していた。このため、本機のような高翼面荷重の戦闘機を空母で運用するには、非常な困難が伴ったであろうことは、想像に難くない。特に着艦時の下方視界の悪さは、事故の多発を招いた可能性が高い。
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