陸上攻撃機「富嶽」G11M1(一一型)

三菱 富嶽

 陸上攻撃機「富嶽」G11M−1(一一型)諸元 全長・・・46.5m
全幅・・・65.3m
全高・・・17.5m
自重・・・46,000s
全備重量・・・200,800kg
発動機・・・三菱重工業「土星」一一型空冷4列36気筒4,350馬力×6
最高速力・・・695km/h
航続距離・・・14,500km(攻撃過荷重)
武装・・・30mm連装機銃×6・
爆弾最大24000s

 本来なら三菱が受ける事になっていた十七試艦偵を中島に盗られた 三菱の「復讐陸攻」。この機体も十七試陸攻として中島が受けていた のだが、三菱が自己負担で設計を開始した。主務者は、双発陸攻の九 六式陸上攻撃機、4発陸攻の一式陸上攻撃機の両攻撃機を成功させた 本庄技師であった。開発には、中島と史上最悪の関係にあり、三菱と 親しかった川西飛行機の開発陣も参加した。大型機を得意とする2社 のコンビでも、この空前の大型機の設計にあたってはかなり苦労した。 発動機は中でも最大の懸案事項で、最初はハ−104−24(最大出 力2350馬力)の使用を予定していたが、大型な機体には役不足で、 丁度この頃正式化されたばかりの、ハ−104−26を2基つなげた ようなハ−124−11「土星」一一型(最大出力4350馬力)を 使用する事となった。それが装着された試作初号機(零号機は発動期 以外は同じ為、地上破壊用の強度試験機となった)は、海軍が中島に 出した要求を遥かに上回った(何故機密書類である筈の要求書の内容 がバレているのかは分からないが、兎に角彼等は知っていた)。中島 が要求書通りの二十一年九月迄のスケジュールを組んでいたのに比べ、 三菱・川西連合軍は十九年十月に完成させた。当初海軍は中島の十七 試陸攻に相当入れ込んでいた為、三菱機を拒み続けた。しかし、三菱 は一計を案じた。即ち、陸軍航空隊に売り込んだのである。陸軍は大 型重爆を喉から手が出るほどに欲しがっていたので、三菱の提案に乗 ったのである。それを知った海軍航空本部、超重爆の保有を陸軍に先 を超されてはたまらんと即日80機の発注をした。三菱の作戦勝ちと 言った所か。そして、三菱は愛称を中島が長年温存していた「富嶽」 としたのである。
         −1996年発行『航空機名鑑』(光栄)より抜粋−
                          (嘘800馬力)

       でわでわ。流浪の「かDo」より。城北高校万歳!!
               (嗚呼公私混同・・・)