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概 要 三菱に発注される予定だった局地戦闘機開発は、九月に堀越技師に計画要求案を内示してはいたが、三菱は今後も艦上戦闘機開発に専念させるべきとの意見が出たため、改めて昭和十四年十二月に中島と空技廠に開発の指示が下った。 十四年以降、試作発注は原則的に一社特命で下されることになっていたが、前々から空技廠は速度記録機を研究的に試作する提案をしており、これを研究的半実用機として試作する方針が決定した。 昭和十七年一月に入り試作一号機が完成、追浜飛行場では狭いため陸攻用の木更津基地ヘ運ばれ初飛行に成功した。 審査のため並べられた両社の機体は対照的で、空技廠側が小型化と空力的洗練を設計コンセプトのもと愛知アツタ液冷発動機を使用して前面面積を押さえたスマートな機体に仕上げられていたのに対し、中島の機体は陸軍のキ−44をベースに空技廠機よりも小さな主翼と大馬力空冷発動機火星を装備した頭デッカチな胴体との組み合わせは一見奇異な感じを与えるものだった。 対照的なシルエットとは裏腹に両機の性能は伯仲していたが空技廠機がやや優勢と判定され採用に傾きかけていたが、一つの大事件が二つの機体の運命を逆転させることとなった。 ドゥリットル強襲である。この日審査中の両機も迎撃に上がり撃墜までには至らなかったものの中島機は模擬弾ながら二十ミリ機銃をB25に打ち込んだのに対し、空技廠機は七.七ミリ機銃のみの攻撃にとどまった。 空技廠機は二十ミリモーターカノンと七.七ミリ機銃2挺装備の予定だったが、振動問題や銃身の加熱によりモーターカノン搭載が実現できず現段階では九六艦戦並みの打撃力しか無く、改装を行おうにも速度を優先するあまり主翼を薄くしたためスペースが不足しており二十ミリ機銃搭載の改修に時間がかかることが予想され、液冷発動機の整備にも不安の声があがった。 このため早期に実戦投入できる中島側に軍配があがり、昭和十七年十二月、二式局地戦闘機として正式採用となったが、面目を保つためか空技廠機も採用とされた。 その後も改修は続けられ、十八年末にはようやくモーターカノンの搭載も目処がつき内地の部隊への配備が始まったが、空技廠での小規模生産のため最後まで中島機の補助機的扱いだった。 だが、一部の搭乗員からは弾道性能の優れたモーターカノンや液冷発動機装備による前下方の視界のよさから重用されたと伝えられる。 ちなみに正式名称は二式局地戦闘機六二型であるが、使用部隊からはエンジン記号の後半の「1B(ワンビー)」と呼ばれることが多かった。 諸 元 乗 員:1名 動 力:愛知「アツタ」二二型 プロペラ:金属製定速可変ピッチ3翅プロペラ直径3.02m 全 幅:10.00m 全 長:9.00m 全 高:3.28m 主翼面積:17.80u 自 重:2,050kg 最大速度:624km/h 巡航速度:400km/h 降着速度:150km/h 上昇時間:5,000m/5’50” 上昇限度:11,000m 航続距離:750km、 武 装:20mmモーターカノン×1、7.7mm×2 |