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太平洋戦争開戦後、アメリカが要する4発大型爆撃機「B−17」「B−24」との戦闘で、この両機が難攻不落の機体であることに頭を痛めた日本陸軍は、対大型機用に有効な迎撃用戦闘機の早急なる整備を迫られた。 とりあえず二式複座戦闘機「屠龍」をこの用途に充てることを考えたが、性能的にはとても満足できるものではなかった。そこで昭和17年12月になって、川崎航空機に対し「屠龍」の発展向上型であるキ96の試作指示を出した。川崎側ではこの要求に対し、「屠龍」のエンジンを1500馬力のハ112IIに換装した案を提出、陸軍側に了承され試作に入った。 しかしながら、陸軍はこれで満足していたわけではなかった。早急に整備可能であると思われることから「キ96」にGOサインは出したものの、心情的にはより高性能な機体を欲していた。 そこで、昭和18年に入って「キ96」とは別に立川航空機に対して、より高出力の「ハ45」を装備した双発戦闘機開発を「キ99」として要求したのである。その際、「キ96」とは若干違った以下の要求が出されていた。 1.主に重量軽減の目的から単座とすること。 2.武装は近々量産に移行する新型の37mm砲「ホ204」1門と、20mm砲「ホ5」4門を装備すること。 3.優れた上昇性能と降下性能を有すること。 4.最大速度は640km以上であること。 立川では、中島飛行機の出した「ハ45」の性能数値から、重武装と高い機体強度のための重量増加を加味しても、最大速度を650km以上に持っていくことは容易であると計算し、この試作を楽観視した雰囲気で開発を進めた。このため、機体をオーソドックスな形式とし、設計と試作機の製作は順調に進んだ。 試作1号機は昭和19年2月に進空した。社内テストでは素直な操縦性を示し、安定性・失速特性とも悪くなく、パイロットには好評であった。ただ、エンジン関係のトラブルがいくつか発生したが、それは対して問題視されず、4月に軍に納入された。 しかし軍納入後、高負荷状態でのテストを開始すると「ハ45」の信頼性は一気に低下し、トラブルが頻発することとなった。出力が上がらないエンジンのためテスト成績はすこぶる悪く、最大速度は600km/hと「ハ112II」を搭載した「キ96」とまったく同じという、期待を大きく下回るものとなった。 加えて、機体強度を高めたことにより重量が増加して上昇性能はすこぶる悪く、非武装の試作機の時点ですでに「キ96」にすら劣るほどで、予定されている重武装を搭載するとさらに差が開くことは容易に予想できた。 これではエンジンの信頼性が高い「キ96」の方が全然ましであるという意見が大勢を占めたのと、戦況が逼迫したことにより、昭和20年2月には試作中止が決定され、試作機2機は各務ヶ原の格納庫に眠ることとなった。 戦局はそのまま回復せず、昭和20年8月15日に日本の敗戦が決定し終戦となった。 しかし、陸海軍とも内地のいくつかの部隊ではこれを納得せず、徹底抗戦を主張して譲らなかった。 これに苦慮した旧陸軍首脳部では、人望の厚い黒江少佐を各部隊に派遣して説得にあたらせることとなった。これには急を要したためなるべく速度の高い航空機で回る必要があったが、戦闘機には連合軍からの飛行許可が下りなかった。そのとき黒江少佐は各務ヶ原にいたが、そこには百式司偵もなく、あるのは鈍足の機上作業練習機と輸送機だけであった。 「しょうがないから不慣れだが機上作業練習機にでも乗っていくか」と思い始めた黒江少佐の前にテストのため米軍が格納庫から引っ張り出して整備した「キ99」1号機が曳かれていくのが目に入った。黒江少佐はこの機体のテストも一部担当していたため、非武装であることと、不採用とはいえ600km/hの速度を発揮できることを知っていたので、米軍に頼み込んで飛行許可をとりつけることに成功した。 ただ、見慣れぬ機体が飛来したことにより、各部隊に残っている対空火器に撃墜されることを恐れ、機体を大急ぎで赤十字色に塗り、また、日本機であるとの認識を高めさせるため、エンジンカウリングも日本海軍機のように真っ黒に塗った。エンジンの信頼性に不安があったため、燃料は米軍から「100/130」グレードのものを供給してもらい、ついに「説得巡業」に飛び立った。 急いでいた黒江少佐は、離陸するとすぐに最大ブーストでの上昇に移った。 そのとき、黒江少佐を思いもよらぬ感覚が襲った。体感的にテスト時には感じられなかった強烈な加速を感じたのである。あわてて高度計に目をやると、信じられないような速度で高度計の針が上昇しており、自分の感覚が間違いでないことを悟った。 瞬く間に6000mに達した後、過給器を2速に切り替え最大巡航出力での飛行に移った。ここでまた驚くべき事が起こった。速度計の針が見る見る間に上昇し、燃料満載で最大巡航出力であるのに、ついには640km/hに達したのである。しかも、筒温や爆発はは安定しており、エンジンはすこぶる快調であった。こうなると、どこまで速度が出るのか試したくなるのが人情。迷わずブーストを公称最大にまで上げた。 するとさらに強い加速感とともに速度計の針が上がり始めた。そしてついに、計器速度で728km/hにまで達したのである。 黒江少佐はうれしかった。が、今をそれを喜んでいるヒマはない。エンジンの焼き付きを心配してエンジン出力を最大巡航にまで落とすと、最初の説得すべき部隊へと向かった。そしてその胸中、「日本も技術では負けていなかったんだ」ということを各部隊の兵士に示し、それを説得材資料にできるとほくそ笑んでいたのである。 胃袋3分の1からのコメント: 設定は、またしても胃袋3分の1の仕業です(笑) ただし、今回は「反乱の空気がながれ、あわてて格納庫で眠っていた試作機に、白ペンキをぬって、赤十字マークを付けてお偉いさんが説得」というところと「誉双発(ハ45にしましたが)」というところはノモさんのご指定です。 設定に細かい齟齬がありますが、またまた短時間ででっち上げましたので、無粋なツッコミはご無用に願います(笑) なお、あえて諸元はつけませんでした。みんなで想像してみてください。 もちろんすべてフィクションであるのは言うまでもありません(←言ってるって!) |