メッサ−シュミットMe292G-2c"NachtKraehe"

NachtKraehe
NachtKraehe

機体名:メッサーシュミットMe292「クレーへ」(上図はG-2c型、以下要目も同機のもの)
乗員:2名(操縦士1、通信・索敵士1)
全長:10.5m
全幅:12.3m
自重:4500kg
全備重量:6800kg
エンジン:DB605D(離昇出力1475hp)2基、加速用追加ブースター2基(火薬燃料、推力500kg、作動時間45秒)
最大速度:675km/h(高度5000m、レシプロのみ使用)・758km/h(ブースター点火時最終到達速度)
航続距離:1000km(標準)、1800km(最大)
武装:MG108*2(プロペラ軸装備)、MG151/20*4、各種装備(爆弾または増槽)800kgまで
電子装備:ネプツーン空対空レーダー、各種通信装置、方位電波探知機など


・開発前史
 この機体の開発は、メッサ−シュミット社が双発戦闘機Bf110の後継機開発計画を開始したことから始まる。
 いうまでもなく、このときに本命として開発されたMe210系列は、恐ろしく不安定な機体となり、とんでもない駄作機として歴史に名を残すことになった。
 だが、このころ、同社の新人・アルトマン技師は、別の面からこの種の双発機の実用性について考えていた。
 すなわち、本来目的とされている「駆逐機」ではなく、双発の大馬力を生かした一撃離脱戦法をとる「高速襲撃機」としてなら、この種の機体は十分有効ではないか、ということである。
 この思想は、後に(というより、同時期ともいえるのだが)、アメリカ・ロッキード社のP38系列によって有効性がある程度実証されるのだが、当時はまだ旋回砲塔を取り付けた多座戦闘機が双発戦闘機の本命とされていた。そのためか、彼が双発戦闘機の試案として設計した機体は、検討の対象にはなったものの、正式採用されることなく終わった。
 しかし、時期が時期であり、また軍からの要求仕様からは外れるものの将来的には何か使い道が出来そうだ、とメッサ−シュミット社の首脳が判断したため、とりあえず1機だけプロトタイプ機を作ることになった。
 この機体は、Me192V-0と呼ばれ、1939年8月に完成した。その後、同年12月まで各種飛行試験が行われた。速度性能を重視して設計された機体のため、Bf109E系列と同じDB601系エンジン搭載にもかかわらず、水平飛行でも速度は軽く時速600kmを超え、急降下ならば、状況によっては時速850km以上をたたき出した。運動性は、やはり戦闘機の設計だけあり、双発機としては良好の部類に入った。
 これらの高性能の理由は、双発機でありながら、機体サイズをせいぜい大型単発機程度まで切り詰めている事であったとされる。
 しかし、これほどの高性能機ではあったが、軍の機体開発方針と明らかにかみ合わない機体であったため、試験終了後はこの機は会社の機体倉庫に放置され、また開発チームは別の機体(中には社内競合機であるMe210も)の設計・改良に回されてしまった。だが、当のアルトマン技師は、すでに(密かに)この機体の強化・改良案に取り組み始めていたのである。


・飛び立つカラスたち
 1941年6月、軍は、いったんは開発が中止状態になっていたこの機体を、新設された対地攻撃飛行団用の襲撃機として採用することに決定した。双発機でありながら高い運動性を誇り、また速度性能が高いことに期待したがためである。
 しかし、Me192はもともと空対空性能に重点がおかれた機体であり、対地攻撃仕様に装備を変更する際には機体の強化・改良が必要とされていた。アルトマン技師は、それまで密かに暖めていたこの機体の強化バージョンを提示した。改良点と言っても、機体構造を若干強化したこと、エンジンをDB603系に換装したことなどのマイナーチェンジでしかなかったが、同年9月にMe192Vを(直接)改造して作られた試作機は、ほぼ期待通りの性能を示し、機体設計の優秀さを証明した。
 かくして、この機体は新型対地襲撃機Me292として採用されることとなり、先行量産型(A-0型)12機が発注されることとなった。同時に、この機体の愛称は「クレーへ(カラス)」と呼ばれることが決まった。 

Kraehe原型

 このタイプA-0は、襲撃機というよりは戦闘機の性格を多分に残しており、主武装は機首に4丁装備されたMG151/15のみとなっている。試作機をとりあえず量産してみた、と言った感じの機体であり、そのためか爆弾架すら装備されておらず、半ば訓練用としてドイツ本国の基地に配備されていたが、このことが皮肉にもこの機の未来を本来あるべき方向へ向かわせることになる。

 1942年3月のある日、ベルリン方面にイギリス本土から一大昼間爆撃隊が襲い掛かってきた。総勢100機近い大編隊であった。そのとき、たまたま訓練中のMe292A-0の4機編隊がこれを至近で目撃した。幸いにも、その時この部隊は実弾演習中であり、若干ながらMG151/15の弾が残っていたのである。指揮官は攻撃を決断した。
 敵は、後方からの敵機の出現に慌てたのか、護衛隊形を若干崩した。Me292隊は、隊形から飛び出してしまった不運な数機を盗みうちのように襲い、短時間で4機のB17を撃破、自らは無傷と言う戦果を上げたのである。
 さらにその3日後には、今度は正規の命令を受けて、敵爆撃隊170機に対し迎撃戦を行うことになったが、このときは高空からの一撃強襲でもって、3機のB17を叩き落し、そして自らはまたも損害皆無だったのである。そしてこの攻撃で護衛隊形に隙が生じた結果、直後に襲い掛かった迎撃部隊本隊150機の攻撃により、この爆撃隊は全滅状態に陥ったのである。

 このころ、すでに本格襲撃機仕様のA-1型、発展型のB型、C型が生産ラインに乗り始めていた。A-1型は武装をMG151/20*4に強化し、爆弾架を追加したタイプだったが、空軍司令部はこの機体を急遽迎撃機に回すことに決めた。同年9月ごろには、爆弾ではなく増槽を抱えたこの機体が、戦車ではなく重爆に対して、少数ながら奮戦を始めていた。

 B型はA型のエンジンを空冷仕様(BMW801系)としたものだが、Fw190とエンジンがかぶったため少数生産にとどまった。生産されていたものは全機東部戦線に回され、それなりに対地攻撃に活躍したとされる。

 C型は、武装・装甲を強化して対戦車襲撃機としての機能を高めたタイプで、初期生産型のC-1型でも20mm*2、37mm*1、爆弾各種1000kgまで、という重武装であった。しかし、この程度の武装ではHs129対地攻撃機と役割がダブってしまい、存在意義がなくなることから、多銃装備の掃射機の方向へと発展していった。そして、最終生産型のC-4型は、機体下部にMG151/20*4と37mm*1、それだけならともかく、腹部に爆弾各種500kg(20mmガンポッド4基を積んだ例もあり)、さらには両方のプロペラ軸にまでMG151/20を仕込み、さながら武蔵坊弁慶を思わせる?超多銃掃射機となったのである。もちろんこの型は重量過多で運動性が極端に悪化したため、実際にはあまり使い物にならなかったらしい。
 しかし、アフリカ戦線では、この機体はその重武装・高速を生かした奇襲襲撃で、かなりな戦果を上げ、連合軍側からは「空飛ぶミンチメーカー」として恐れられたという。また最終発展型のG型には、C型系列の設計で得た機体強化・軽量化のノウハウが随所に生かされていたという。

 その他の発展型として、主翼を延長し、武装を外して高高度高速偵察機としたE型、A型を改造して軽武装強行偵察機仕様としたF型が、それぞれ少数生産されている。


・恐るべき闇夜のカラス
 1943年の夏ごろになると、連合軍側に強力な護衛戦闘機であるP-51が出現し始めた。それまでMe292隊は、事実上丸腰(かつ鈍足)の爆撃隊にほぼ一方的に攻撃を加え、損失をはるかに上回る戦果を上げてきた。しかし、このP-51は,Me292自身に匹敵する速度と十分な格闘性能を持ち、なおかつ戦略爆撃隊を護衛できるだけの長大な航続力も持ち合わせていた。Me292もこの頃にはエンジンを強化したA-3型が主力となっていたが、これまでと違って、爆撃隊に十分な護衛機がついたため損失が相次ぎ、さしもの「高速」襲撃機も、次第に苦境に立たされ始めたのだった。
 本来このような迎撃任務は、このころにはほぼ原型が完成していたMe262ジェット戦闘機が受け持つはずだったが、ヒトラーの「電撃爆撃機」構想の前に、実際に必要だった迎撃機型の開発は遅れに遅れていたのである。
 やむおえず、空軍はMe292系列の性能向上型の開発を進めることにした。すでにある程度の準備が行われていたこともあったが、作業は急ピッチで進められ、発案から3ヶ月という驚異的な速度で試作機が完成した。これが、この機体の最終量産型であるMe292G系列である。
 A型からの主な改良点は、エンジンをDB605系列に換装、プロベラを大直径4枚プロペラに変更、そしてエンジンナセルを延長し、そこに短時間(約1分前後)ではあるが、爆発的な加速が得られる火薬燃料式ロケットブースターを追加装備したことである。
(他に、燃料タンクの容量を若干減らす代わりに防弾設備を強化したこと、大加速に耐えるために機体構造の一部を見直したことなど。)
 そして最大の特徴は、この型から機首にネプツーンレーダーが装備可能になり、夜間戦闘機としての使用もできるようになったことにある。

 Me292G型のデビューは1943年10月のデュッセルドルフ夜間防空戦である。このときはG-1b(夜戦仕様)型が12機出撃したが、連合軍側のチャフ散布作戦により新装備のレーダーはまったく使用不能になり、ドイツ側は従来どおりの目視肉薄戦闘を強要された。
 この戦闘では、G型に新装備されたブースターが意外な方法で威力を発揮した。多量に撒かれたチャフのため、襲撃しようにも(肉眼・レーダーともに)水平高度からは目標が捕らえられなかったため、当初とる予定の戦法だった水平方向からの一撃離脱を諦め、従来どおりの高空からの一撃離脱攻撃に切り替えた。ここで追加装備のブースターが威力を発揮し、他の機体よりもはるかに短い時間で上昇を完了、敵後上方の絶好のポジションに潜り込んだのである。
 チャフの照り返しを背景として黒く浮かぶランカスターの影に向かい、「ナハトクレーへ」(夜のカラス、Me292夜戦型の愛称)が獲物をついばむように襲い掛かる。20mm機銃4門の重火力を浴びせられたランカスターが、あるものは翼を折られ、またあるものは胴体に風穴を空けられ、応戦の暇もなく落ちていく。
 この日、Me292隊は合計でランカスター10機、モスキート1機を落とした。が、自らは1機を落とされ、また濃密なチャフ雲の中で視界を失い、敵機に空中衝突してしまった機も2機あったという。この戦訓から、チャフなどによるレーダー妨害が行われた状況(または悪天候)下でも十分な夜間迎撃力をもつ機体の開発が強く望まれることになる。

 Me292G型は、連合軍(特に戦略爆撃隊)からは恐怖の的となった。見てくれはレシプロ機のままだったのだが、攻撃時にはブースターを吹かして(瞬間的に)時速800km近い速度を得ており、この猛速にはさしものP-51も追跡不可能だった。しかも、襲撃時には機体後方から轟々たる炎を噴出していることから、「ドイツ軍にジェット式迎撃機、すでに出現!?」というデマ情報まで流れたという。
 それまで減り続けていた連合軍爆撃隊の損害は、Me292G型が出現してから再び急増しはじめた。だが、それでも連合軍が投入できる機体数に対しては、Me292隊の規模はあまりにも小さかった。しばしば大きな戦果をあげることはあっても、所詮は多勢に無勢であり、1944年中ごろになると、Me292昼間迎撃隊の損失は次第に増大していった。

 そんな中、各部隊のMe292隊主力を結集した精鋭部隊であるJG32(第32戦闘飛行団)が同年7月に結成された。同飛行団は、Me292各型総計72機を有し、Me262の数が揃うまでの間、常に迎撃部隊の第一線に立ちつづけ、終戦までに数多く(650機以上。連合軍側資料では560機以上)のB-17やB-24を撃墜したとされる。


・最強夜間戦闘機「ナハティガル」
 G型にはいくつかのサブタイプがあり、主なものはG-1a、G-1b、G-2a、G-2c、G-4がある。G-1系列は武装がMG151/20*4、つまりA型系列と同じであるタイプ。G-2系列は座席を複座化し、武装を強化(両プロペラ軸にMG108*1ずつを追加)した重武装タイプで、特にG-2c型(冒頭図)は終戦まで夜間戦闘機隊の主力として活躍した。

 そして最後のG-4型は「ナハティガル」(ドイツ語でナイチンゲールのこと)と呼ばれた強化夜戦型で、わずか10機前後しか作られなかった、夜戦エース専用の機体であり、Me292夜戦型の決定版であった(下図)。

    強化夜戦型・Nachtigall

 G-4型はG型の設計を受け継ぎながらも、装備的にはほとんど別機といっていい。武装はG-1型のそれに、さらに「シュレーゲ・ムジーク砲(MG151/20*2)」を追加し、両翼端にはR4M「オルカーン」57mmロケット弾6発ずつを装備可能だった。
 エンジンは出力強化されたDB605J(離昇出力1580hp)に取り替えられているのみならず、ブースターまでもMe163と同じワルター式ロケットモーターに換装した。そのためエンジンナセルは機体に対して異常なほどの長さになっている。
 そして夜間戦闘の切り札として、機首に600mm赤外線ライト(上向きに照射)、後部座席に赤外線暗視装置「ヴァンパイア」を装備した。これにより、シュレーゲ・ムジーク砲については、どのような気象状況においても(射程内ならば)正確な射撃が期待出来るようになったのである。(なお、シュレーゲ・ムジーク砲の射撃は後席からも行えた。)
 この改装により機体重量は700kg以上も増大したが、ブースターの出力も強化されたため、瞬間最大速度は時速860kmにも達し、そのジェット戦闘機に匹敵する猛速のため、連合軍(特に夜間爆撃隊)に恐れられた機体となった。
 あるときは機体後方に妖しく光る青白い炎を吹きながら爆撃隊を彗星のように襲い、またあるときは姿すら見せずに次々と敵機を屠り去ったのである。
 最初の2機がJG32で実戦配備についたのが44年の11月で、しかも生産された数が少数だからよかったものの、連合軍側にとっては、この機体はまさに本物の吸血鬼に勝るとも劣らない災厄となった。終戦までに(ドイツ側資料によると)G-4型は総計11機が実戦で使用され、空戦による損失は6機(残る機体のうち3機は地上破壊された)。それに対し、連合軍機は90機以上(そのうちランカスターが55機以上、B-17が10機、モスキートも3機以上)が撃墜された、とされている。
 この件に関する連合軍側の資料は少ない(不意打ちで撃墜された機体が多く、何にやられたか分からないことも多かった)が、連合軍側による推定では、確実に分かっている損失の分に加えて、行方不明機などの記録とドイツ側の記録をつき合わせた結果、少なくとも65〜70機は「ナイチンゲール」に撃墜されている、という結論が出ている。いずれにせよ、時期を考えれば、これは驚異的な戦果である。


・カラス軍団の最後
 1945年。ようやく各迎撃部隊にMe262戦闘機型の正式配備が始まったが、時すでに遅く、連合軍の攻撃はこんなことでは手のつけられないところまで来ていた。
 しかしそんな中でも、少数機ではあったもののMe292隊の奮戦は続いていた。JG32の精鋭たちもであったが、JV44に配備された機体は、Me262との共同作戦を行い、圧倒的な連合軍機に果敢に攻撃をかけ、多大な戦果を挙げたとされる。
 両機はパイロットの好みからすると一長一短で、最高速度はMe262が圧倒的に上だったにもかかわらず、緊急時の加速性能や運動性が優れているMe292を使うパイロットは少なくなかったという。中にはMe292とMe262の双方を任務に応じて使い分けたパイロットもいたらしい。
 連合軍側からすると、両機は近距離からならともかく、遠くからでは簡単には見分けがつかず、しかもどちらも厄介な相手だったから、そのため連合軍戦闘機隊はMe262・292双方を目の敵にして追いまわした。しかし、(燃料がある限り)どのレシプロ機よりも優速だったMe262と違い、トップスピードが出せる時間が短いMe292は、P-47Mなどの高速機ならば、(状況次第では)追いついて撃墜できたのである。その結果、精強を誇っていたJG32も、同年3月末には稼動機数が10機以下まで激減し、少数機によるゲリラ的攻撃を繰り返すのがやっとと言うありさまとなった。

 終戦時、稼動可能だったMe292はわずか24機、うち夜戦型15機、昼戦型7機、偵察型2機。終戦までのMe292の総生産数は、各型合計で1250機。機体の生存率は2%以下であった。
 しかし、レシプロ双発でありながら、最後の最後まで対爆撃機戦に奮戦した、この機体に対する連合軍の評価は高かった。

 そして現在、奇跡的に残っていたA-0型1機と、第32戦闘飛行隊所属だったG-2c型・G-4型それぞれ1機ずつが、完全に整備された状態で英国戦争博物館に保存されている。


・コメント
 今回の御題?は「機体名からその飛行機の用途を予想する」と言ったところです。
 (ちょうど『競争試作』の逆ですか?)
 この機体製作のきっかけは、某有名衣料品店で売られていたシャツの柄に、「Me292G-2c Team No.032」といったロゴが入っていたからです。このような形式番号を持ちそうな機体について想像を膨らませた結果、この機体を構想することになりました。
 とりあえず、型番から「これは1944年ごろに登場しそうな機体か?(設定では少し早くなりましたが)」とだいたいの予想をつけ、「アルファベットがGだから、Bf110GやFw190Gの例もあるし、夜間戦闘機かな?」という理由で、双発の夜間戦闘機にしてしまいました。
 実は最初に考えた案は、出来上がってからあまりにもHe111に似すぎていることに気付いて廃棄しました。その反省を踏まえて作り直したものがこの機体です。でも、「あっ、Me262そっくり!」なんて言わないでください。意識して似せてみただけです。型番も似ているし(爆)。
 他の2タイプの機体は、ひとつは「G型があるなら当然A型もあるはず」ということで作り、もうひとつは「ドイツの夜戦といえば、やはり…」ということで、無理やり複座にして斜め銃もつけてみたものです(それにしては強すぎたかも…?)…。

 みなさんも、このような「御題」に挑戦されてはいかが?