18試艦上戦闘機「震風」

18試艦上戦闘機「震風」

                             作画:JT 設定:SADA

 昭和16年末、海軍は愛知に対し16試艦攻の要求仕様を提示した。
これは、新型大馬力エンジン、誉を使えば、艦爆にも魚雷を抱かせられるだろう・・・
つまり、艦爆と艦攻の一本化が図れるだろうという思想の具体化に当たる。この思想は米海軍
より3年進んでいたと高く評価してよい。
そして、検討中の艦上偵察機の要求(後に彩雲となる)がまとまりそうなことから、この艦攻
の任務からは偵察用件が外され、単座での設計を可能としていた。

 昭和18年半ば、試作機は完成する。しかしこのころ、零戦の強さにもかげりがみえはじめて
いた。だが、次期主力たる雷電は振動問題に先が見えず、次期艦戦の烈風はようやく設計が開
始されたばかり。焦った海軍は16試単座艦攻流星の戦闘機化を命ずる。

 これが18試艦戦で、層流翼の採用、外翼に99式 2号銃の追加、さらに爆弾倉の撤去を行った
のが主な改変点である。

 徹夜の連続による突貫作業の結果、試作機は速いペースで出来上がり、ほぼ烈風と同時期に
初飛行を迎えた。烈風が予想を下回る低性能機であったのに対し、18試艦戦は速度が574km/h、
上昇力は6000mまで7分45秒とそれなりの結果を出し、抗力減少の甲斐あって流星を上回る航続
力まで持ち合わせたと会ってはたちどころに制式が決定し、「震風」の愛称も決定する。

 試作機はさらに横空で審査が続けられ、1945年 2月15日、16日の艦載機関東空襲においては
同じく審査中だった紫電改と共に出撃、両隊あわせて16機の確実撃墜をものにする。米軍の記
録によると未帰還は両日合わせて約80機であるため、たった7、8機の紫電改と震風隊が、百機
は下らぬであろう関東一円の防空部隊の戦果のおよそ2割を上げたことになるのである。

 活躍の期待された震風であったが、愛知航空機はその後、震災と空襲によって生産力を失う
終戦までに生産された機数はわずかに30機だったという。生産されたほとんどの機は343空に
運ばれ、足の長さを買われて偵4隊が強行偵察を行う際の護衛に消耗していったという。残存
機は存在しない。

諸元:18試艦上戦闘機「震風」 略符号:B7A2−A
全  幅: 14.4m 
全  長: 11.49m 
全備重量: 5.79t
発 動 機: 中島「誉」21型空冷星型複列18気筒 2000馬力(ハ45−21)
最高速度: 307ノット(570km/h) 
上 昇 力: 7分45秒/6000m 
航 続 力: 1204海里(2230km)
兵  装:99式2号銃4丁
乗  員: 1名 

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この機体自体は流星を単座化した安直な物ですが、流星を単座化する理由が思いつかなかったこ
ともありSADAさんへ設定を依頼することになりました。

SADAさんへ
こんなすばらしい設定を考えていただき本当にありがとうございました。
設定自体かなり早い時期にいただいていたのに、私の勘違いと仕事のためにこんなに遅れてしま
って本当に申し訳ないです。
ではでは、SADAさんとの共作、皆様に楽しんでいただけたなら幸いです。

PS:機体の略符号ですがB7A2−Aで本当に良かったのかな?
   紫電が「N1K1−J」元になった強風に「N1K1」これに陸上戦闘機の機種記号「J」
   を付けただけなので、流星の誉21搭載型の「B7A2]に艦上戦闘機の機種記号「A」を
   付け加えただけなのですが・・・・

誤字脱字はご勘弁くださいm(_'_)m

                                                2001/04/01 JT