日本海軍 昭和二式陸上爆撃機(「瞬星」二二型)

「瞬星」二二型

画:胃袋3分の1

全幅:一二.一メートル

全長:一〇.九メートル

自重:二七七九キロ

全備重量:四二八三キロ(爆撃過荷) 四五九七キロ(偵察過荷)

最高速度:三三二ノット(六一五キロ/時)

上昇力  :六〇〇〇メートルまで七分一九秒

航続距離:(正規)一三三〇キロ、(爆撃過荷)一九二〇キロ、(偵察過荷)二三五〇キロ

発動機:NK9H(『誉』二一型)一基

プロペラ:VDM定速四翅 三.五メートル

燃料:六四〇リットル

潤滑油:五〇リットル

メタノール:一二〇リットル

装備:九九式二号二〇ミリ機関砲×二、同式一号二〇ミリ機関砲×二

(いずれも翼内)

      五〇〇キロ爆弾×一、二五〇キロ爆弾×一、六〇キロ爆弾×ニ

実用上昇限度:一〇一〇〇メートル

 

 

  昭和十四年、海軍は「南方ニオケル島嶼ノ、敵艦載機、重爆撃機等ニ拠ル攻撃ヲ阻害セシメ、更ニ敵艦艇ニ対シテモ有効ナ攻撃ヲシ得ル機体」が提案された。いうなれば拠点防衛のための多目的戦闘爆撃機である。

 しかし、この立案が関心を呼んだわけではなかった。それどころか、否定的な意見のほうが圧倒的に強かった。最大の理由は、戦闘側、爆撃側共に搭乗員の練度が高く、それぞれの専業意識が強かったことにある。言い換えれば「専業者が専門機でやったほうが戦果が上がる。万能機など中途半端なだけだ」ということだ。特に防衛に関して言うならば、それは真実である。

 その為、議論は紛糾した。爆撃や哨戒をするなら実務上複座のほうが有利である。しかしそれでは戦闘機としての性能が落ちる。後になって国際的に認識されるところとなるが、複座戦闘機はおせじにも空中戦で良績を残していなかった。また島嶼防衛となれば、飛行場を作れない拠点でも運用が可能な、水上機の方がよいという意見も根強かった。しかし水上戦闘機や中型飛行艇は考えられてはいたものの、戦力として果たして有効なものかどうかという保証は無かった。航空戦術、戦略、そして飛行機自体が、すさまじい急勾配の進歩を遂げていた時代である。このような事態は止むを得ないことだったかもしれない。

 結局、以下のように決まった。

 

・搭乗員   二名

・最高速度 三二〇ノット(五九三キロ/時)以上

・上昇力   六〇〇〇メートルまで七分以内

・装備   二〇ミリ機関砲×二、一三ミリ機関銃×二(いずれも翼内)

           五〇〇キロ爆弾×一、二五〇キロ爆弾×一、六〇キロ爆弾×ニ

           急降下爆撃可能

・航続距離  一四〇〇キロ(正規)、一九〇〇キロ(爆撃過荷)、

二四〇〇キロ(偵察過荷)

・運動性   零戦と同等

 

 当時としては異例の重武装である。格闘戦も可能な艦船襲撃機という印象を受ける。実際、十四試陸上爆撃機と名づけられていた。戦後の話によると、これは戦略実験機という位置付けがなされていたらしい。製作は昭和飛行機に任されることになった。

 

 さてこの昭和飛行機。これほどまでの性能を有する機体を作れる自信がなかった。そこで空技廠から梶原技師初めとする顧問団を招き、設計に取り掛かった。

 海軍の期待の薄さに反抗するかの様に、設計陣は本機に対し意欲的に取り組んだ。

 まず発動機はMK4C(『火星』一二型)と決まった。本来ならばもっと小型高出力のものを望んでいたようだが、当時これ以外に選択肢はなかった。プロペラは最新式のVDM四翅に決定された。大型スピナーと延長軸、強制空冷ファンを付ける案もあったが、重量増加と技術的な問題から見送られた。

 胴体は小型軽量化を図り、機体上側を絞ったおむすび型の細い楕円形とされ、エンジン径よりも絞り込んだ。設計陣内では「シシャモ型」と呼んでいたらしい。

 当時のトピックとして、胴体中央付近を大きく取って空気抵抗を減少させる理論があった。イルカやマグロの体型を想像していただければよろしいかと思う。これは確かに正しくはあったが、推進式のレシプロ機となるとこの形態はプロペラ風流の障碍となって不都合である。また重量増加や下方視界不良も懸念されたからだが、最大の理由は、当時まだ実用化されていなかった『誉』や新型『熱田』への換装を予定したかららしい。この辺のところは、実験機の雰囲気を匂わせる。

 主翼には特に注意が払われた。肉薄とし、翼端を切り詰め、アスペクト比は低く抑えられた。また失速特性を考慮して中翼とし、取付角水平、途中から上半角を付けた。武装は全て翼内装備としたが、機関砲のドラムがはみ出てしまったため、同部にカバーを装着した。また揚力不足を補うため、フィレットと大型ファウラーフラップを採用した。

  また胴体内爆弾層、セミ・インテグラルタンクを採用、独特の桁構造、稼動翼に対し自社製のサーボ機構も用意した。

 

 一号機は昭和十六年五月に完成した。プロペラの不具合、前方視界不良、安定性不良などが顕在化したが、いずれも深刻なものではなく、開発は比較的順調に進んだ。昭和十七年春までに三号機まで試作された。

 

・最高速度 三〇三ノット(五六一キロ/時)

・上昇力   六〇〇〇メートルまで七分四三秒

・航続距離 (正規)一一五〇キロ、(爆撃過荷)一七〇〇キロ、(偵察過荷)二〇四〇キロ

 

 しかし海軍の評価は芳しくなかった。最高速度はかろうじて三〇〇ノットを越えたが、零戦より多少ましという程度に過ぎなかったし、他の性能は零戦を明らかに下回った。加えて同世代の諸試作機と比較しても、大分見劣りするものだった。かくして、当然のことながら本機は不採用とされ消えていく…筈であった。

 

 しかし戦局がこの機の運命を変えた。

 ミッドウェー海戦後、地上航空兵力の増強に重点を置くことになったのがその理由だが、実のところ、搭乗員、殊に爆撃機搭乗員の消耗が問題視されていた事と、航空機生産数が開戦時の予定を大幅に下回っていたうえ、部品の補充困難、整備の煩雑化による整備力の低下も危惧されていた事情があった。また次世代の十三試艦爆(後の『彗星』)や十四試局戦(同『雷電』)の開発も進捗していなかった。

 

 そのため、多目的に使用でき、搭乗員の高い生還率が期待され、尚且つ困難な状況下での整備力の低下を防ぎうる本機の必要性が強く叫ばれ、海軍は審査終了を待たずして二式陸爆の名称で本機の正式採用を決定、併せて改修を命じた。概略は以下の通りである。

 

・発動機を昭和十七年九月に正式採用となったNK9B(『誉』一一型)に変更。(後に二一型となった)

・推力式単排気管の装備。オイルクーラーの位置変更。

・急降下時の安定性を増す為、安定板・方向舵の拡大と改修。

・水平安定板の角度変更。

・尾翼など胴体後部の補強。これによって発動機架の補強と延長を最低限に留める。

・前方視界向上も兼ねた、カウリングと胴体前部の再設計。

・VDMプロペラの改良。

・武装を九九式二号二〇ミリ機関砲×二、同式一号×二に強化。

・風防の再設計。

・主翼の翼端並びに補助翼を若干延長。

・防弾装備の一部改修。

・航続距離延長の為、燃料タンクの増大。

・各部品の軽量化、部品点数の減少化、並びに製作工程の簡易化。

 

 改修は急ピッチで進められ、試作機は昭和十八年九月に完成した。

 

・最高速度 三三二ノット(六一五キロ/時)

・上昇力   六〇〇〇メートルまで七分一九秒

        航続距離 (正規)一三三〇キロ、(爆撃過荷)一九二〇キロ、

(偵察過荷)二三五〇キロ

 

 自重が二〇〇キロ以上増加したため、上昇力や運動性の向上はさほど見られなかったが、それ以外の諸性能、とりわけ最高速度や高速時、離着陸時、機銃掃射時の安定性は劇的に向上した。海軍は狂喜し、本機を「瞬星」二二型として採用した。(以前の機種は昭和十八年七月の命名法改正に基づき、「瞬星」一一型となった)配備は昭和十九年四月より開始された。

 

 異質の操縦感覚が熟練搭乗員から敬遠されることもあったが、用兵側の評価は概ね高かった。戦闘機に負けないだけの速度と武装、安定した操縦性が本機の支持を集めていたようである。高空性能や運動性、航続距離は「紫電改」に及ばなかったものの、最高速度と上昇力は同機を上回っていた為、迎撃機として本機を嘱望する基地も少なくなかったという。沖縄、台湾、中国大陸などに配備され、艦隊掩護、哨戒任務や強襲爆撃(つまり特攻)に使役されている。

 

 ところが、例によって『誉』の信頼性の低下に本機も悩まされることとなり、海軍は再び改修を指示、発動機は『火星』二五型に換装され、カウリングも一一型を改造したものに戻された。また八〇番(八〇〇キロ爆弾)も装備可能とし、一層の生産性向上も図られた。試作機は昭和二十年三月に完成、「瞬星」三三型として同年五月に生産開始された。最高速度は三二一ノット(五九四キロ/時)と低下したが、自重が一〇〇キロ以上減少したこともあって上昇力と運動性は若干向上した。しかし本機が実戦配備されたのは極少数に留まり、また本土決戦用に温存されたこともあってか、これといった戦績は残していない。

 

 また艦上機型の二四型、排気式過給機(ターボチャージャ)を備えた四五型の開発も企画されたが、いずれも未完成に終わっている。

 

(追記)

 いかがだったでしょうか。当時の航空戦略の目算違いによってこのような機体は作られなかったのですが、もし、日本海軍にとって極めてニーズが高いと予想された、本機のような機種が比較的早い時期に開発生産されていたらどうなっていただろうか?ということを想定して書きました。
開発社はありきたりではつまらんということで、マイナーな昭和飛行機に。架空機ですから実在しない会社でもよかったんですけどね
(^^;技師名は適当です。
比較的これに近い機体は、陸軍にて「キ一一九」の名で戦争末期に企画されたのですが、試作機もできずに終戦を迎えています。