
|
昭和12年4月、三菱の設計した「キ15」の一機は朝日新聞社に買い取られ、「神風号」となってロンドン往復飛行に成功した。これは平均時速300km/hという素晴らしい記録で、一気に「神風号」の名前を全世界に響き渡らせた。 これを見た「東京スポーツ倶楽部」の会長「猪木寛二郎」は、「バカヤロ、コノヤロ!朝日新聞にだけいいカッコさせられるか!かかってこいコノヤロ!ヨッシャア、うちはあれ以上のものを造らせるんだ!ダー!」と叫び、朝日新聞に対抗して、昭和15年に控えた東京オリンピックの連絡機としてドイツまでの往復飛行を実施するという名目で、比較的ヒマそうにしてた昭和飛行機に急いでその製作を依頼した。 昭和飛行機では実力からいっても、とっても「キ−15」を越える機体など設計できる自信がなかったため、「キ−15」をそのまんまマネっこする事に方針を決定した。しかし、それでは「キ−15」を越える機体になどならないのは明白だったため、機体をやや小型化して重量ならびに空気抵抗を軽減して対抗することにした。 そうして1機だけ造られた機体は、軽量・小型化したことが幸いして、「キ−15」のような悪癖が少なく、性能的にも最大速度で12km/h上回るなど、当初の目論見がまんまと成功した。また、エンジンも同じであったせいもあり、軽量化されている分航続性能も良かった。 機体はすぐに「東京スポーツ倶楽部」に納入されたが、「キ−15より優れている」という事実だけで猪木会長は大満足し、彼が最も愛する言葉である「闘魂」をその機名にする事を決め、「東スポ闘魂号」と名付けられた。 さて、ドイツまでの往復飛行は、藤波、長州、両飛行士を乗せて、昭和13年6月に実施された。その飛行では期待通り「神風号」を上回る318km/hの平均速度でドイツまでの行程を翔破し、猪木会長を大喜びさせた。そして、彼はこのままこの機体をオリンピック時の聖火輸送に使うことを考えたのである。 ところが、昭和14年9月に欧州で大戦が勃発したため、東京オリンピックは中止となってしまった。こうなると、使い道の無くなったこの機体に猪木会長は急速に興味を失い、二束三文で陸軍に売り飛ばしたのであった。 買い取った陸軍では、九七司偵と同様の任務に使用したが、九七司偵に比べて悪癖のない分、現地部隊ではむしろ好評であったという。 諸元 全幅 11.2m 全長 8.1m 自重 1220kg 全備重量1850kg エンジン ハ8−I 空冷星型9気筒 550馬力 最大速度 492km 航続距離 2520km 胃袋3分の1からのコメント: 設定は、またもや胃袋3分の1です。ごめんなさい(笑) ちょっと悪ノリが過ぎていると思われる方があるかもしれませんが、実はこういうのが大好きな性分なのでしょうがありません(笑)。 また、機会があったらこういう設定を書いてみたいぞ!ダーーーー! |