アルスナル・VG−26

VG−26

 1934年7月、フランス空軍は次期主力戦闘機の要求を国内各メーカに対して提出した。
 その要求に応じたのは、モラーヌ・ソルニエ、ドゥボワチーヌ、ブロック、アルスナルの各社であった。
 この中のアルスナル社では、この試作要求に参加するにあたっての社内の会議で、設計技師のマルセル・ドゥランヌから、とにもかくにも「最新鋭に見える」機体を作ろうという意見が出され、社の首脳陣も全員一致でこの意見に賛成した。
 そうなると、まず決まったのが、機体を「全金属製低翼単葉」とすることで、次に決まったのが「引込脚」の採用、さらに「密閉式風防」、そして「フルカバーのエンジンカウリング」であった。
 このうち「フルカバーのエンジンカウリング」については、液冷エンジンでは今や常識となっているので、ここでは「空冷エンジンをフルカバーとすることにこそ意味がある」という判断が働き、エンジンを空冷星型にすることがすぐに決定された。
 その他、「全金属製低翼単葉」と「密閉式風防」については、さほど問題もなく、なんとか実現できそうであった。
 問題は脚だった。
 それまで、低翼単葉機の引込脚など手がけたことのないアルスナル社では、まず、一体どこにどういう方向で引込めばいいのかもわからないというありさまで、この部分の決定のために長い時間がかけられることになってしまった。その間、多くのアイディアが出され、また、アメリカなどの情報も極力集められて、色々なものがデザインされ、そして消えていった。
 その中で結局採用されたのは、細い支柱を組み合わせて後方に折り曲げるタイプのものであった。採用の理由は、「支柱が1本だとなんだか不安」というのと「この仕組み、なんかイイ」という2つであった。
 すべてに「最新」を狙った凝った設計が災いして、当然の事ながら試作は超順調に停滞し、驚くほど遅いペースで進んでいった。他のメーカーの機体がどんどん初飛行していく中、アルスナルの機体はいつまでたっても試作工場から出てこようとはせず、空軍審査担当官の間でも、「アルスナル?残念だったねぇ・・・」という会話が交わされるほどになっていた。
 1938年の夏になり、空軍審査担当官がアルスナルの名前を忘れかけた頃、ようやくのことでアルスナルの機体は完成した。社内テストでは期待通りの高性能を発揮、すでにテストが行われていた他者の機体の性能を上回っており、ドゥランヌ技師を始めとする関係者はすでに採用された気分になっていた。しかし、このときにはすでにモラーヌ・ソルニエ「MS406」の採用が決定れていたため、この連絡を受けた空軍では「とりあえず発注はしたんだから引き取るだけ引き取るか・・・」という雰囲気で、社内テスト完了後にこの機体を受領した。
 「とりあえず見るだけ見るか」とテスト用の飛行場に出かけてきた審査担当官たちは、アルスナル機の洗練された外形と、妙に凝ったデザインの主脚を見て、思わず「なんかイイ・・・」と声を漏らした。そして、当然のことように「さあ、早く飛ばせないさい!」とテストパイロットを急かしたのである。
 飛行性能も彼らを魅了した。抵抗の小さそうな機体は、見た目通りの優れた速度性能と降下性能を発揮した。不慣れな新機軸の採用で重量がかさんで旋回性能は悪かったものの横転性は優秀で、戦闘機としての優秀性も疑いないものであった。
 飛行テストを終えた後、空軍審査担当官たちはアルスナルの関係者とパイロットに対して、「いやいや、これはなかなか良い機体だ。美しさも申し分ない。今日はいいものを見せてもらったよ」と述べた。それから続けて、「これならば製作中の2号機もちゃんと軍で引き取ろう。その点は気にせずに製作を続けて構わない」と述べた。そして、そのまま飛行場から立ち去ろうとした。
 アルスナルの関係者は、その後から「で、量産機のほうはどの程度・・・」と声をかけたが、担当官の一人はこちらを振り向くと、「は!?制式採用はすでにMS406に決まってるよ!?」との返事を返した。
 「そんな・・・では、もう数回見て他の飛行性能も確認されては・・・」
 「なんで?そんな必要はないよ」
 そしてまたもとの方向に向くと飛行場の隅に待たせてある車に向かって歩き始めた。
 しかし、愕然とした表情のアルスナルの関係者たちを見た審査官の一人が、肩越しに首だけ後ろに向けて「まあ、それじやなんだから輸出は許可するよ。好きな国にあたってみるといいね」と言った。そして足も止めずにそのまま歩き去った。

 せっかく、新機軸を盛り込んで苦労して製作したにもかかわらず空軍の採用を取れなかったことで、ドゥランヌ設計技師は落胆のあまり病の床に伏してしまった。社の首脳陣は、こうなったら元だけは取ろうとただちに諸外国に対して輸出の打診を行った。
 その中で、となりのドイツに驚異を感じていたポーランドから「買いたい」との打診があった。これ幸いとばかりになんだかんだといいことばかり並べ立て、とりあえず30機の発注を獲得した。しかしながら、ドイツのポーランド侵攻により、輸出する前にポーランドは破れ、実際の輸出はかなわなかった。
 フランス自体もドイツに宣戦したため、いつドイツが侵攻してくるかわからない状況であった。そのため、とりあえず製作済の10機をどっかに売り飛ばさないと丸損となってしまうため、あわてて二束三文でトルコに売り飛ばしたのであった。
 実は主脚は、凝った設計が災いして非常に故障の多い代物だったのだが、買い取ったトルコでは、「まっこの値段じゃしょうがないか」と、気にもとめず、むしろ、その美しさに「美脚のフランシーヌ」という愛称を与えてかわいがり、終戦時にも3機の残存機があったほどであった。


諸元
全幅   10.85m
全長    8.88m
全備重量 2,960kg
エンジン  ノーム・ローン14N-11 940馬力
最大速度 522km
航続距離 620km


胃袋3分の1からのコメント:
 今回は、文章は胃袋3分の1ですが、基本的なストーリーはノモさんのものです。
 なかなか、おもしろい設定ですね(^o^)