アメリカ海軍艦上戦闘雷撃機 グラマンFTBF「ストレイキャット」

ストレイキャット

諸元 全長    : 10.00m 全幅    : 14.00m 自重    : 4,500kg 全備重量  : 7,000kg 乗員    : 1名 発動機   : ライト R-2600-8 空冷星型複列14気筒         離昇出力1,700hp×2 最大速力  : 672km/h 海面上昇率 : 1,350m/min 航続距離  : 2,000km(標準)         3,500km(大型増槽使用時) 武装    : 12.7mm機銃×4(機首)         20mm機関砲×2(両翼付根) 搭載量   : 2,000ポンド爆弾または魚雷×1         5inHVARまたは250ポンド爆弾×4  1940年4月1日、グラマン社ベスページ工場でXF5Fが初飛行に成功した。 飛行したのは良いのだが、これがとんでもない難物機。こりゃダメだ、改良 しても見込みなさそうだな。っていうのが、グラマン社上層部・XF5F設 計陣の一致した感想だった。とはいえ、そのまま見捨てるわけにもいかず、 改良は続けられたわけであるが、一方でXF5F設計陣はXF5Fの問題点 を洗い出しながら、完全な別作の設計を片手間(社内の認可を得ていない、 非公式な作品のため)に開始した。  1941年5月に陸軍から、続く6月に海軍から社内名称G-51の発注を受けたグ ラマン社は、XF5F設計陣に対し、その開発資料をG-51開発陣へ引き渡す ように命令した。冗談じゃない。データ収集だけして俺達はお払い箱かい! XF5F設計陣は反発した。ただ開発資料を引き渡すのはしゃくにさわる。 そこで、XF5F設計陣は上層部との交渉を開始した。資料引き渡しの代償 に、もう一機、双発艦戦を設計させろというのである。しかし同じ社内で、 二種の双発艦戦の設計を同時に進めるには問題が多い。そこで講じられた一 計が、双発機の大出力を生かした大搭載をもって雷撃機を兼務する、戦闘雷 撃機の開発提案という形式だった。  グラマン社上層部は見事に騙された。ついでに海軍当局も騙された。複数 の任務を兼務できる艦上機が本当に開発できれば、運用機数に制限のある空 母の戦力の向上が見込めるからである。かくしてG-51双発艦戦に対抗すべく、 XF5F後継機は艦上戦闘雷撃機を隠れ蓑に開発が開始された。1941年8月 のことである。  XF5F後継機、今やXFTBFと新たな機種記号を与えられたこの機体 は、非公式にすすめられていた設計が実を結び、正式な開発開始からわずか に120日後、1941年12月7日に初飛行に成功した。偶然にも真珠湾奇襲、その 当日のことであった。おかげで海軍関係者の出席数はがた減りであったが。  XF5Fの改良時に徹底的に問題点を洗い出していたこと、あるいは新型 機開発のための予備試験をXF5Fの改良試験の項目に潜り込ませていたこ とから、XFTBFの試験/海軍への引き渡しは順調に進んだ。魚雷1本搭 載時の海面高度速力が500km/h台後半を記録するという、隠れ蓑のはずであ った雷撃機としても高性能を示すという嬉しい誤算があったが、一方で、着 艦時の視界不良という問題が指摘された。根本的な解決にはならなかったも のの、操縦席の位置を若干前方にシフトすることで、一応の改良を完了し、 制式採用が決まったFTBFであったが、同じグラマン社のF6F、TBF が、平凡ながらも堅実な性能を発揮し、次期主力艦載機の座を射止めていた。  FTBFはXF5F譲りの上昇力、大アスペクト比の主翼から繰り出され る、双発機としては驚異的な旋回性能が特徴だった。なおかつグラマン社の 伝統とも言える、単純で頑丈な機体構造も継承していた。一方で双発機ゆえ の慣性モーメントと大アスペクト比の主翼の相乗効果からか、横転性は若干 低かった。  1943年夏、FTBFは艦載機ではなく陸上機としてソロモン海方面に配属 された。上昇力を生かした迎撃機、搭載力を生かし日本艦艇/輸送船攻撃と 標的を問わずに戦闘に駆り出され、好成績を収めた。やがて、米軍の戦略が 攻性防御から限定攻撃へと移り変わるにつれて、魚雷のかわりに大型増槽を、 主翼下に小型爆弾を装備して、長距離戦闘爆撃機として使用される機会も増 えてきた。単発機と比べればやはり少々鈍重であるFTBFであったが、戦 闘爆撃機としては極めて優秀であり、上昇力と機体の頑丈さを生かしてダイ ブ/ズーム戦法をとれば、大型単発戦闘機に引けを取らない力を発揮した。  このことに着目した陸軍では、かつてXF5Fの陸軍版に与えていたP− 50の機番をFTBFに与え、制式に採用した。P−50は1944年以降欧州 方面で、長距離戦闘爆撃機として活躍の場を得ることになる。  当初は双発艦上戦闘機の意図で開発されたFTBFであったが、結果的に は陸海空と、痩せた「野良猫」の名に相応しい、獲物を問わぬ意地汚さを発 揮することとなった。  より高性能を狙って第二次世界大戦には出遅れたG-51、すなわちF7Fと は異なり、FTBFは活躍の場を得ることに成功した。太平洋と欧州は、空 とぶ「野良猫」の餌あさり場と化したのであった。