日本陸軍 二式加農列車砲 黄光

日本陸軍 二式列車砲 黄光


次第に泥沼化がすすむ日中戦争において、日本軍は中国人民の強烈な抵抗にあい、 点(都市)と線(鉄道)を確保するのがやっとの状況だった。

しかし、戦局の拡大につれ、日本軍のもっとも頼りとする補給線・鉄道も、 ゲリラ的な砲撃や破壊工作が相次ぐようになり、物資の輸送が大きく滞るようになった。 そこで、陸軍は装甲車両の新造を決定、 それに付随する形で列車砲も新しく作られることとなった。

この砲の主な開発目的は敵要塞の砲撃にあったが、 沿岸部からの対鑑攻撃用としても使用可能なように射程距離を長くすることが求められた。

実際に出された性能要求は
・口径 30cm程度 ・最大射程 50000m以上 ・射撃速度 15発/時以上 ・重量 220t未満 ・燃料や人員の都合上蒸気機関の使用は避ける ・車体にある程度の防御力をもたせること(装甲列車と組み合わせての運用のため) ・一応自走できるようにしておくこと
であった。

開発は、車体(台車、砲座)は南満州鉄道で、クレーン部と砲本体は三菱重工で行われた。 台車は国鉄の技術供与を受け、90式24cm列車加農砲のものを改良し、 装甲をつけることでできあがった。 砲座は満鉄が独自に調査していたドイツのものを参考にし、防御力を多少強化した。 肝心の砲であるが、これは当初は軍艦のものを流用することも考えられたが、 陸軍の意地で(笑)新しく制作されることとなった。 砲の材質はニッケル・クロム鋼で、砲口が三層、砲尾が五層構造と、 戦艦の主砲並みの手間をかけているため、 砲身自体の製造(調査・研究はのぞく)に三ヶ月も要することとなった。 エンジンは試作超重戦車で使用される予定だった、 1100馬力のものを1300馬力に改良した空冷ディーゼル二基を搭載し、 本車両単体で30km/時の連続走行ができるようになっている。

1941年11月、各工場から輸送された各部分を満鉄工場で組み立て、 二式装甲列車とともに陸軍に引き渡された。 この車両は装甲列車とともに前線に積極投入され、敵要塞や基地攻撃に参加した。 陸軍の機械化部隊が故障に悩む中、本列車はあまり故障がなく、 自軍の機械化部隊のかわりに敵の車両を相手にいくらかの戦果を上げたりと 結構な活躍ぶりだったようである。これに気をよくした陸軍は本車両の制式化とともに 新たに五編成(装甲車両とセットで)を発注したが、戦局の悪化に伴い実際に完成したのは 始めの一両を含めて四両だった。 (装甲車両は三両しか完成せず、残りの一両は本土決戦用として日本に輸送された)

しかし、大型砲は中国奥地ではうまく機能せず、またゲリラによる線路爆破などで 次第に活躍の場がなくなり、三両のうち二両がマレー半島沿岸に対鑑砲撃用として、 一両が対ソ防衛用として満州に配置されることとなった。 また、本車両には専属の九八式直協偵察機が割り当てられ、目標確認・着弾修正に当たっていた。

二式装甲列車への組み込み例↓    二式装甲列車画像 二式装甲列車への組み込み例

諸元 全長     : 33.2m 全幅     : 3.87m 全高     : 3.6m 重量     : 212t 砲種     : 283mm速射砲 砲身長    : 21.3m 最大射程  : 52,000m 射角     : 0〜60度 初速     : 1,220m/秒 発動機    : 空冷ディーゼル1,300馬力×2 最高速度  : 40km/時 終戦まで四両完成(計画六両)




なお、満州防衛用として配置換えになった三号車は、 後に戦闘による損傷により大改造を受け、 砲座の改良、装甲の増加が施されている。 しかし、重量の大幅な増加により、巡航速度は20km/時に低下していた。

日本陸軍 二式列車砲 三号車(改造後)

作者からのコメント: 初参加でいきなり列車砲です。 見たまんま独逸のK5Eですが、そこのあたりのご指摘はご勘弁を。(をい これが犯している最大のミスは、X-マン氏の試製1式列車砲にもありましたが 列車砲はあくまで心理作戦と要塞攻撃(沿岸砲として使うならば対鑑砲撃も)が 主目的であり、機動的な作戦で日本軍を翻弄する中国軍には ほとんど効果がないということです。 こんなデカブツ作るようだったら戦車を何両か作った方が断然いいでしょう。 わざわざコレ専用の砲を一から作るなんて、実際はあり得るはずがありませんが、 空想はタダですので。(それでいいのか!
・・・失礼しましたが、これからもどうぞよろしくお願いします。