大日本帝国海軍14試特型内火艇甲・乙型(略称:特艇)

特型内火艇甲型
特型内火艇乙型

 全長:9米74糎(波切板展開時)
 全幅:3米2糎
 乾燥重量:18噸
 用途:甲型:敵前強襲上陸において沖合いの輸送艦から陸戦隊員を海岸へ輸送
    乙型:先行上陸しての偵察・甲型の支援
 武装:甲型:九七式7・7粍車載機銃×1
    乙型:九八式47粍砲×1 九七式7・7粍車載機銃×1
 搭乗員:甲型:乗員2・兵員12
     乙型:乗員4・兵員2

 昭和10年の大慶油田発見以来黒竜江に展開し、ソ連と小競り合いを繰り返していた帝国海軍陸戦隊(昭和12年陸戦総隊設立)はさまざまな装甲車輌を開発した。
 その中でも、陸戦隊本来の任務とされた敵前強襲上陸に使用する装備についての研究は盛んに行われ、その中でもっとも完成度の高いといわれるのがこの14試特型内火艇である。実際に数百両が量産され、実戦にも投入された。
 当初は履帯式の装甲車両とする予定であったが、陸海軍間の取り決め(海軍が独自に強力な戦車を開発して黒竜江省などで運用したことから陸軍側が逆上し、この時期海軍は履帯車両の開発を禁じられていた)に拘束されてやむを得ず装輪式とすることとなった。
 軟弱な砂浜で足を取られないためにはば56糎の大型タイヤを6輪装着し、車体は全溶接構造である。
 車内容積を有効に活用するためにタイヤハウスが車体下部に埋め込まれたかたちとなっているが、おそらくこの形をとったのは本車が先駆けではなかろうか。車体は生産性を考慮して比較的単純な形状である。
 甲型では車体中央に兵員室が設けられ、出入口は前輪と中輪の間のドアか上部4カ所のハッチを使用する。
 乗車兵員は2人がけ+3人がけ×3列の 11名で、ドアから前に後ろ向きに2人掛け、後ろに前向きに3列が配されているが、明らかにこの兵員配置は急速な降車に差し支える。いくら特型内火「艇」であるからといって、カッターと同じようにしてしまうのはいかがなものか。
 最前列右側は銃手の位置である。兵員室上に銃塔がもうけられ、7・7粍機銃を1挺配備している。同時期の陸軍の兵員輸送車がオープントップな上に事実上非武装であるから、非常に先見性に富んだ車輌であろう。
 装甲は車体前面が25粍、側面が19粍もあるが、エンジンがいいので地上最高速力は60キロとなかなかのものである。
 防御と防水の観点から天井を密閉したため兵員にあたえる精神的影響を考慮して兵員室両側面にヴィジョン・ブロックが装備されている。しかし実戦ではここを対戦車ライフルなどで撃ち抜かれる被害が続出し、塞がれることになった。
 乙型は甲型の車体をそのまま流用しているが、上部が低く抑えられて兵員室に砲塔を搭載して戦闘室としている。陸軍の九七式改・九八式中戦車と同じ47粍砲を装備しており、若干の対戦車戦闘能力を有している。
 砲塔には車長と砲手が搭乗し、砲手が装填を行う。バスケット砲塔ではないが、砲塔と同時に回転する椅子が備えられている。47粍砲の弾薬は220発を搭載可能。砲手の手の届く範囲に50発が収納されている。
 戦闘室の最後部に二人分の座席が備え付けられていて、偵察要員などを搭乗させることができる。
 車体後部には航空機から転用された水冷エンジンが搭載されている。スペックダウンされているにも関わらず出力は570馬力となかなかの物で、これが本車の高性能を実現している。ただし燃費はあまり良くなく、燃料タンクはかなりの容積があるにも関わらず航続距離は600キロ前後とふるわない。
 水上での移動は後部に装着されたスクリューを使用する。車体後部に埋め込まれた様になっており、若干推進効率を犠牲にしても安全性を確保しているようだ。水上速力は8ノット。

 日英同盟にしたがって対独参戦した日本にとって、明らかに不利なアフリカ・英本土での戦況(1942年まで日米の武力衝突を理由にアメリカが参戦しなかった)に介入するには陸戦隊以外の部隊はなく、まだ試作段階にいた本車も制式されずに量産が決定された。海軍は履帯式の15試特型内火艇(のちの三式特型内火艇)を開発していたために、本車はそれまでのつなぎと考えられていたからである。
 スエズ運河への緊急展開で初陣を飾った本車は、北アフリカで装輪車特有の高速を活かして大活躍した。
 ドイツ・アフリカ軍団将兵をして、「来た・殺した・壊した・去った」と嘆かせた陸戦隊長距離偵察遊撃部隊は、形を変えて現在も存続している。
 逆に、英本土では悲惨な結果に直面している。乙型が、戦車代わりに使われて大消耗してしまったのだ。
 本車は決して駄作ではないが、装輪車であるがゆえに扱い方を間違えるとひどい結果を招きかねない。
 それでも、三式特型内火艇の生産の遅れからかなり長期間生産され続け、ノルマンディー作戦にも投入されている。浮力を稼ぐために装甲と装甲のあいだに設けられた空白のせいで成形炸薬弾への対処に有利であり、残敵掃討などに重用されたのはまったく皮肉なことだ。
 三式の数が出そろうと、本車の大半は終戦を待たずに廃棄された。強力な武装と装甲を備えた三式内火艇と肩を並べるには、本車はあまりに非力だったのだ。
 その後、アメリカとの再びの武力衝突や朝鮮戦争・黒竜江省の喪失などが陸戦隊の出番は多かったが、本車はその最前線には一度も姿を見せていない。





 何だか歴史そのものに手を付けた結果、滅茶苦茶な状態になってしまいました。
 本車を総合していうと、「装輪であったが故に活躍し、装輪であったが故に淘汰された」車輌でしょうか。
 本当に、他の皆様の作品をみると自分の力量のなさにあきれかえりそうになります。
(居眠り将軍)