大日本帝国海軍 特務陸戦隊 九六式特中戦車




九六式特中戦車<きゅーろくしき・とく・ちゅうせんしゃ>

武装

九四式37mm戦車砲
(九五式軽戦車と同品)

最大速度

地上 30Km/H 水上 5Km/H

装甲厚

前面16mm/側面16mm/上面10mm/床面12mm

重量

11.1t

乗員

3名

採用

1936年(昭和11年)

量産

57両


最初に…
南方方面進出時に迅速に資源地帯の確保と敵戦力の駆逐ないし無力化を図る、という考えのもと海軍で大規模な陸戦専用部隊、特務陸戦隊が誕生した。

本車開発について…
特務陸戦隊内部にある太平洋上戦術研究会は揚陸時の陸戦支援を目的として戦車が必要と考え研究および開発をスタートさせる。しかし、特務陸戦隊は予算もなく組織も小さかったため、スタッフは海軍工廠の物好きが勤務時間外に当たり密かに勧められた。が、自力開発は不可に近かったため、既存の技術(戦車)を使用することとされる。

結果、先に陸軍に採用された九五式軽戦車を改良して完成したのが本車となる。見た目は普通の戦車であるが、両端装甲内に空気隔壁を持ち自力で浮かぶようになっている。
推進力はエンジンで発電した電気でスクリューを回す方式が採用された。
地上で最大30km/H。水上で5km/Hと多少、心許ない性能であったが、最初の水陸両用戦車としてはまずまずの出来であったといえよう。

なお、現場で浮き輪代わりのドラム缶を両端に設けて浮力を稼ぎ、揚陸兵士を10名程度車外に乗車させることもできた。

採用は1936年であるが1940年までに量産は終了。
輸送型を含めて総数57両が製造された。
これは0式特中戦車の採用により工場ラインがシフトされたためである。


活躍…(?)

本車の戦場での登場は特務陸戦隊の初陣であった。
1937年の蘆溝橋事件以後の日中戦争により、海軍特務陸戦隊は海軍の独自判断で派遣され(#陸軍からは小馬鹿にされていた)中国各地の海岸都市や河川都市に上陸する。

しかし、戦局の泥沼化と1940年に部隊再編を名目として全部隊は大陸から引き揚げられた。後に昭和15年の再編は本来の目的である南進作戦を目標としたものであったのは言うまでもあるまい。そして、来る1941年に装いも新たに南部仏印進駐に従事。周辺諸島の制圧とフィリピン攻略作戦に参加する。しかし装甲の弱さを露呈した本車はこの戦闘による消耗で35両を喪失。特務陸戦隊も性能差を認め予備戦力として教導部隊に配置転換し本車の活躍は終わる。かに見えたが…

九六式特中戦車改に続く(笑)



コメント
元ネタは特二式内火艇ですが、誕生は同艇より古めになってます。
当時の世情的には太平洋を越えて戦争するなんて考えられなかったんでしょうが、あえて超法規的な手で「特務陸戦隊」というものが開発したということに(笑)(無論、特務陸戦隊は太平洋を越えることを想定していた)

しかし戦場が海(ないし海岸線ないし河)ということを考えれば水陸両用車は戦術的に役に立ったと思うんだけど…やはり技術力の問題が?
あと目的が揚陸歩兵支援という極めて限定的なものなので戦車戦は不得意中の不得意(笑)砲塔は九五式軽戦車仕様なので…。
ただし隔壁部に砂などを詰め込んで防御力を上げることは可能だったりする。(砂の取り除きが大変そうだが^^;)



Su.Moon 2001/8/15