≪前章:戦前のバス業界とウミノ工機≫
初期の日本のバス車輛は,その殆どがアメリカを主体とした輸入車,及びノックダウン
生産車で構成されていた。シャーシはフォードやシボレーなどの物を使い,ボディを国内
で架装するという例が多かった。日本自動車,東京瓦斯電,梁瀬などのディーラーを兼ね
たメーカーの他に,倉田製作所,脇田自動車工業所,後藤車体製造,そしてウミノ工機な
どのボディメーカーが行っていた。
そのような中,鉄道省では「省営バス」構想を立てた。これは1922年に改正された
鉄道敷設法の予定線の大半がローカル線であり,当面は自動車による輸送が望ましいとい
う考えに基き,国鉄自身が鉄道輸送の一環として自動車事業を兼業すべく開設するとした
ものである。この時に打ち出された鉄道の先行・代行・短絡・培養という目的は「省営自
動車の四原則」と呼ばれ,後々までその考え方は受け継がれている。
省営自動車は,日本の自動車工業を育成し,自立させる事を目的に車輛の全てを国産化
する事にした。開発は商工省主導で進められる事になった。1928年の事である。当時
国内で軍用などの実用車を製造していたのは石川島播磨造船所,東京瓦斯電,ダット自動
車,ウミノ工機の4社であった。石川島の生産するウーズレー(英国車,東洋での製造販
売権を取得)やダットの軍用保護自動車に指定されたトラックシャーシをベースにしたバ
スが1925年ごろから東京・大阪市営や池上電鉄などで使用されており,あとはウミノ
工機が中四国向けにフォードの生産・販売を行っていた(横浜にあった日本フォードから
の委託)。鉄道省ではこの4社から試験車を提出させて(逆に,メーカー側が試作車を造
って売り込みを掛けたというニュアンスの資料もあり)性能試験を行い,結果省営バスの
スタート時点では石川島自動車製作所(スミダ),東京瓦斯電(TGE)が採用された。
1930年の事である。
採用を蹴られたウミノ工機は,ここで立場的に少し苦しくなった。ダット自動車も同じ
く不採用組だったが,ダットは軍用保護自動車という事で極めて安泰であった。だが,広
島という地方都市の中小メーカーに過ぎないウミノ工機にとってはかなり重要な事であっ
た。中四国に確固たる地位を築きつつはあったが,それでも中小メーカーである事には変
わりはない。何より,「省営自動車に蹴られた」という事実は,技術力が自慢のウミノ工
機にとってプライドを大きく傷つけられるものであった。
ここでウミノ工機について多少説明しておく必要があるだろう。同社は1901年,明
治34年に設立された。当初は「町の小さな工場」といった感じの会社で,三菱などの下
請業務を中心に行っていた。この頃は,工場は広島市の外れの荒手という小さな漁村に構
えられていた。
ウミノ工機の方針が現在に至るまで続いている車輌製作というものに変わったのは,1
912年(大正元年),広島に路面電車が開通したことによる。この時、ウミノ工機は広
島電気軌道から電車生産の受注を受けている。設計こそ大阪の藤永田造船所であったが,
この時の50輌の電車生産が方向性を定めたと言ってもいいだろう。
ウミノ工機がバスボデーの生産を開始したのは1915年の事である。外車のシャーシ
に架装されたボディは,電車で培った技術によりそれなりの好評を博した。
1917年,広島電気軌道は広島瓦斯と合併し,広島瓦斯電軌となった。この時,ウミ
ノ工機も関係会社としてこのグループに参加する事になる。いわば,広島瓦斯電軌の社内
工場的役割を担う事となったわけだ。
電車のほかにバス事業も手掛けていたウミノ工機だが,1925年,とうとう車体製作
にも手を出す事となる。横浜に設立された日本フォードから,西日本における生産・販売
権を得る事に成功したのである。この頃,各地で路線バスの開設ブームが爆発していた。
需要は幾らでもあったと言っても過言ではなかろう。この時,同社はバス用の工場として
広島市の北にある安佐郡長楽寺村にウミノ工機長楽寺工場を設立した。田んぼの真ん中に
出現した大きな工場から,フォードコマーシャルのシャーシにバスボデーを積んだ小型バ
スが次々と出荷されていった。
そして,前述の省営バスへの試作バス納入へと話は続くのだが…結果は,前述の通り。
結構な自信を持っていただけに,社内の落胆ぶりはかなり大きな物があった。
しかし,これしきの事で彼等がへこたれるかといえば,そんな訳が無かった。
「二度と国鉄なんかにモノ売ってやるか!」
そういった反骨精神まで生まれる始末だった(なお,戦中戦後通して本当にウミノ工機
は国鉄に対して全く売込みをかけていない。これは,海野車体とJRという現在の関係に
おいても継続している)。
そのような中,新規事業として一つの提案が出た。それが,イブクーロ王国陸軍が要求
していた「軽戦車」である。
≪第一章:ウミノ暴走事始≫
この話が飛び出てきたのは,ウミノが省営バスに不採用を食らった直後である。ウミノ
の主任技師である飛楠臣(ひくす・おみ)――彼は,熱心な軍事マニアでもあった。ウミ
ノ工機は,1920年に三菱が受注したイブ国巡洋艦にも関係していたのだが,飛楠は中
でも最も重要な関係者であった。その飛楠がふと軍事雑誌でイブ国の記事を見付けたのが
発端だったのだ。
記事を見付けた彼は,早速社長の下へと駆け込んだ。この当時,ウミノ工機は創業者の
海野定吉によるワンマン会社といった感じが強く,まどろっこしい重役会議よりも海野自
身に計画を持ち込んだ方が早かったのだ。
さて、海野は如何なる反応を示したか――
―――――――――――――――――
しゃっちょー:『了承』
―――――――――――――――――
即決だった。ワンマンの面目躍如といった所だ。この「0.5秒即決」を後になって知
った重役達は,最早呆れ過ぎて物を言うことすら出来なかったという。
しかし,海野が何も考えずに「了承」したわけではない。彼等は本来軍事車輌について
のノウハウが無く,不利な勝負になる事は重々承知していた。それでも,何故海野は了承
したのか−−それは,飛楠の提案が余りにも突飛な物であったからである。そして,それ
はまたウミノ工機にしか出来ない物であったのだ。
この計画を,飛楠は「ハーフバス計画」と呼称した。名称からして,あからさまに怪し
いものであった。
さて,その怪しき計画とは…!?
≪第二章:計画解説≫
はーい,ボクドザえもん。
『…そのネタ,前にも使ったわよ。』
え?そだっけ。。
『ったく。まぁ,そんな事はともかく…』
ちとここらで,飛楠技師の考えた計画をワシ海野土左衛門と
『山本洋子で解説したいと思います。』
総員,拍手ーっ!
≪どんどんぱふぱふ♪≫
『…何?今の音。』
耳の錯覚だ。気にしたら負けだ。
『そうね。さて…まず,この計画の骨子は?』
平時はバス,有事の際はバスに早変わり!ってな車輌だな。
『要するに,平時民間用に売っておいて,有事になったら国が接収するって事?』
まぁ,そうなるね。
『でも,それじゃ買う人が少ないんじゃない?接収されちゃったら,まず無傷では帰って
こないだろうし』
だから,そうなる事を見越して,購入時には国の補助が出るようにするんだ。助成金を
国が出す代わりにいざとなったら貰うけんね,という約束を取り付けるのだ。
『なるほど,そうすれば導入しやすくなるわね。』
あと,この計画にはもう一つ利点があってね,価格を実質的に引き下げる事によって車
輌の普及を助けるという効果もあるのだ。なんつーてもこの当時自動車ってのは高嶺の花
だ,だが,かといっていつまでも「鳥」に頼る訳にもいかんでしょ。近代的国家には、自
動車の民間普及は基本事項じゃけぇね。
『モータリゼーションを引き起こすって訳か。』
そだね。民間に車輌を普及させる事によって修理工場やガススタンドなどのインフラ整
備も自然と進む事になる。乗用車普及への足掛かりともなるのだ。
『当面はウミノからの輸出って事になるんでしょ?』
まぁね。いきなりイブ国に生産しろっつーても無理な話だ。最初は輸出,そしてノック
ダウン生産を経由して,最終的に全面的に現地生産とする――まぁ,こういう事だな。
『それにしても,なんかここまで話聞いたらあからさまにメインは戦車じゃないって印象
受けるんだけど,気のせい?』
気のせいじゃない。と言うかだ,イブ国の軽戦車要求自体が「本当に戦車欲しがってる
のか?」という所から見なけりゃならん。
『どういう事?』
えっとな,この当時の世界標準戦車っていえば?
『ルノーFT…でしょ。』
その通り。取り敢えず,ただ「戦車がほしい」ってのなら,ルノーFT買っておけば一
応は「世界標準」になるわけ。戦車後進国が持つには必要十分以上だ。
『確かに,わざわざ自分の所で苦労して新しく戦車設計する必要性なんてないわね。』
だろ?っつー事踏まえて,考えてみよう。何でイブ国は戦車を要求したのか?ってとこ
をね。
『技術吸収?』
と,ワシは思う。飛楠技師も海野社長もそう考えた訳だな。んでよ,技術吸収するのは
いいが,じゃあそれは何のため?
『国の発展,でしょ。』
うむ。そじゃね。国の発展には,軍需だけじゃ駄目なんだ。民需が発展しないと底の浅
い経済になっちゃう。まぁ,つまるところ戦前の日本だな。
『それを今のうちに防ぐ…って事?』
そうなるね。この計画がもたらす最大のメリットだ。自動車生産能力なんてのは,国家
としての基本じゃけえね。
『自動車生産能力は将来の航空機生産能力にも繋がるわね。』
これを機に規格統一もしちゃえば,軍事的にも非常に有利だ。無論、恩恵は軍事だけで
はなく民需にも絶大な物を与えるじゃろうね。
『未来に繋がる計画(笑)』
国を一つ新しく作るようなもんなんだ,「我流理想国家」を作れる可能性がある事に気
が付いた彼等が止まる訳がないね(笑)。
『暴走はまだまだ続く,と(笑)』
≪第三章:飛楠と愉快な仲間たち≫
さて,計画の骨子は定まった。あとはさくさくと設計を進めていけばいいだけだ。さく
さくと設計を行う飛楠アーンドその部下。ちなみに,一番先に開発が進められていたのは
ずばり「バス」であった。彼等にとって,あくまで戦車はオマケなのだ。
バス自体の設計はすぐに纏まった。フロントエンヂン・リヤドライブ,そしてバス用低
床フレーム。9m級の車体は,実に手堅く纏められていた。だが,戦車時の事を考えてラ
ヂエターは後面配置となっている。電動ファン付きのラヂエターは,世界的に見ても充分
先進的なものであった。ボデーは前面窓がやや傾斜した流線形,当時の流行を考えたもの
である。そして,その構造はリベット式は採用されず,骨格を組み立てそれに鉄板を溶接
するという所謂「スケルトン構造」となっていた。これは大きく時代を先取りしたもので
あり,軽量化と生産性の向上,高ボデー剛性を実現する大変先進的な方式であった。
で,戦車への改装だが,当初はバスやトラックのボデーに追加装甲を取り付ける,とい
う案が出ていたのだが,それは重量過大になるという事で中止になった。このシャーシは
全長9m,側面積は大きい。側面装甲を15oとした場合でも,想定された重量はかなり
のものだった。重量過大は走行性能に多大な影響を及ぼす。また被弾面積の拡大というの
も戦闘用として宜しくない。よって,戦闘用ボデーは新たに載せかえるという方式を取る
事になった。これは,「モジュール化」のハシリと言えよう。この設計により,この車輌
はモジュール換装によって多彩な武装を搭載できる事になったのだ。
足回りだが,フレームに転輪を追加して,履帯を装着するという方式である。前輪は履
帯装着時には固定され,中径の転輪となる。履帯を装着する際は,前輪の前に小径の誘導
輪が設置される。
で,問題なのは後輪の駆動輪だが…履帯を履いている場合,駆動輪が接地しているのは
色々と問題がある。それに,この車輛の場合,リアサスがリジッドだという事も問題であ
った。履帯を履いた場合,非独立懸架というのは都合が悪いのだ。かと言って,リアサス
のリジッドというのは生産性・保守整備の面から言って絶対に外せない。という事はどう
するか…答えは一つしかない。履帯を履いている時には接地させない様にするしかないの
だ。これは,小型動輪・懸架装置固着で対応させる事となった。なお,懸架装置を固着さ
せる際は当然の事ながらサスは上がるギリギリの所まで上昇させる。これは,サスのリー
フ部を弄るだけで簡単に出来るようにしてあった。構造を簡単にしないと,民需には売れ
ないのだ。
因みに,操行だが――これは,小型動輪の中にクラッチブレーキを組み込む事によって
解決することになった。まぁ,これだけの図体をイギリスの空挺戦車テトラークのように
「前輪操行」させるわけにはいかない。妥当な判断であった。組み込み式クラッチブレー
キなら民間での保守整備も心配要らない。軍が使用する際に組み込めばそれで万事事足り
るのである。
ここまではトントン調子で順調に設計は進んでいた。だが,大きな問題が二つあった。
その一つが,エンヂンであった。
当時の標準的バスエンヂンといえば,せいぜい100psもあればいい方だった。それ
で十分事足りていたのである。だが,今度の車輌ではそうもいかない。一応、軍事車輌と
して運用に耐え得る程度の機動力は確保せねばならない。飛楠が計算した戦闘時重量が,
約18t。まともに動かすには300psは欲しかった。当時手に入る300ps級エン
ヂンといえば,航空機用しかなかった。しかも,国産という条件が付けられる。以上の条
件を満たしている発動機といえば−−三菱イスパノ,これだけであった。
三菱イスパノとは,文字通り三菱がライセンス生産をしていたイスパノ=スイザのエン
ジンの事である。日本の初期航空史には決して欠かせない,名機であった。だが,そのイ
スパノも生産が始まってからもう10年以上,デリケートな航空機エンジンとはいえ,熟
成が進んでいるぶん信頼性も高いだろう――飛楠は,そう踏んだ。問題なのは,三菱がそ
れを承諾するかだけである。
三菱の回答:『了承』
簡潔であった。もっとも,これには飛楠のネームバリューがあることを忘れてはならな
い。前述の通り,飛楠は1920年のイブクーロ巡洋艦建造の際,密接に関わっていたの
だ。三菱の中での人脈は今でも繋がっていた。中でも,佐世保の酢道技師との関係が効い
ていた。酢道といえば,三菱の中でもかなり有名な人物である。イブクーロ巡洋艦の件で
はともすれば要求を満たしていないともとれかねない艦を,その突出した論戦能力により
採用させてしまったという「前科」を持っていたからだ。当然,三菱の内部でも酢道と真
っ向から喧嘩しようなどという馬鹿は居なかった。飛楠もどちらかというと酢道に通ずる
所があり(要は「プッツン」),類は友を呼ぶ形式で彼等は親しかったのである。
飛楠から「計画」について話された酢道。勿論,酢道が乗らない訳がない。それどころ
か、どこか非常に積極的でさえあった。その酢道の「ノリ」が,もう一つの大きな問題―
―武装の問題解決へと直結していたのである。
「で,武装は決まったのか?」
酢道の問いに、飛楠は首を振った。とりあえず,37o砲とか考えているのだが――と
だけ,答える。
「その37o,供給先は?」
無言になる飛楠。そう,それが問題だったのだ。ウミノはバスや電車の会社。モータな
どの電装品関係には強いパイプがあっても,武器関係とは全くと言ってもいいほど繋がり
が無い。
それを察したのか,酢道がニヤリと笑った。
「俺がいい奴を紹介してあげよう。彼なら,恐らく問題ないだろう」
時間はまだあるよな,と飛楠に断り,酢道は電話をかけた。何回かのやり取りの後,電
話を切る。
「これから来てくれるそうだ。せいぜい,活用するといい」
にやにやとした酢道に、飛楠は曖昧に「…はぁ」と言うだけだった。
暫くして,部屋の扉がノックされた。酢道が答えると,一人の男が入ってきた。
「ども,須田といいます。」
男は,そう名乗った。
≪第四章:解説端折り対談≫
『え〜っと。』
どした?
『この「須田」って人,もしかしてあの…』
ん?ただの武器屋さんの営業マンだぞ。
『本当に?』
…多分。
『コラ(−−#』
んな事は気にするなぁっ!
『で,結局武装は?』
この飛楠・須田対談の結果,武装は37o砲仕様と81.4o四連装砲仕様が「ウミノ
お薦め仕様」となった。
『37o砲ってのはともかく,81.4o砲四連装って…?』
まぁ,迫撃砲だな。軽いから,沢山積める。
『須田さんオススメね(笑) 』
そゆことだ(笑)。
『装備法は?』
まぁ,普通の砲塔とそんなに変わる所は無いね。敢えて言うならば,迫撃砲って装填手
が立たなきゃならんでしょ,だから砲塔がちと高くなって,迫撃砲の装備部分は車内に潜
る事になった。まぁ,砲塔下のラックに載っけるって言えば早いかな。
『四連装って,束ねてあるの?』
そうなるね。上から見たら丁度「田」の字型だな。この「田」の回りに人が4人待機し
とって,戦闘においては――
『4人必至こいて弾込めまくる?』
あったりー。
『でも,これだけ広い室内だと弾は沢山積めるだろうけど,装填手が大変なんじゃない?
発射速度も落ちるだろうし。』
だかんね,下に砲弾運ぶ奴がいるんだ。
『…流石,バス。』
それと,砲弾運ぶ奴がチョクに装填手に渡すんじゃないぞ。一応装填手の横には≪給弾
装置≫――「ゴンドラ式立体駐車場」みてぇな奴だ――があって,それに乗せるのだ。ゴ
ンドラ式給弾装置くらいなら,そんなに重量も場所も食わんからな。
『結構考えてあるのね。』
そりゃそーだろ,何せ須田さんも”メインはこの迫撃砲です”って――
『コラぁっ!!!』
大丈夫,この車輛の多用途制の説明にはなってるっ!多分っ!!!
『…いいのかね,本当に。』
でも,強いぞぉ,迫撃砲仕様。この制圧能力は只者じゃない。
『そりゃそうだろうけどね(笑)。それはそうと,エンジン。反則じゃないの?』
選定自体に至って問題はない。設計は古いが,その分熟成されているからな。
『でも,300psってバスにしちゃ破格よね。』
破格?んな陳腐な言葉で済ませていいのか(笑)?
『…え?』
実例出した方が早いな。下のバス,何か分かるか?

『三菱エアロバスね。ハイデッカー仕様かしら。』
その通り。三菱P−MS725S。1982年に出たこのバスは実に優れた設計で,日
本のバス史上一,二位を争う程の名車だった。2000年になっても,コイツはまだあち
こちで現役選手として一線で活躍している。
『80年代の高速バス隆盛をバックアップしたのもこの車よね。』
そうだ,コイツがないと高速バスはあそこまで発展しなかったのだ。…で,だ。コイツ
が積んでる直噴V8ヂーゼル,出力ナンボか覚えてる?
『え〜っと…400くらい,なかったっけ?』
ブーッ。答え:高出力仕様の8DC9型でようやっと320ps。
『…あら?』
ハーフバスの出力は?
『…300ps。』
さてさて,エアロバスとハーフバスの全長を比べてみよう。
『エアロが12m,ハーフバスが9m…って。。』
(にやそ)
『…ハーフバス,化け物か?』
因みに,2000年10月現在,大型路線バス短尺車――10mクラスのバスで,高出
力車でやっと300ps行くか行かないかだ。超短尺車――9m車になると,230ps
もあれば御の字ってとこじゃな(笑)。
『余裕の走行性能だ(笑)。』
ついでだ。足回りについても解説しちまうぞ。まず,普段の状態だが…基本的に,普通
のボンネットバスの足回りを使って3軸にしたような感じだな。
『駆動輪は後後輪?』
そだな。後後輪は設置圧を高めるためリーフリジッドだ。まぁ,早い話が普通の車軸式
か。これによって,横動揺を抑える働きもある。
『後前輪は?』
これは,積層リーフを使ったトレーリングアームだ。要は独懸じゃね。荷重分散用と思
ってくれればいいだろう。独懸だから路面との追随性もいい。
『前輪も独懸って書いてあるけど。』
転輪として使用するんだから,仕方無いわな。まぁ,前輪独立懸架で操安性はさらに上
がってるよ,キシシシシっ。
『…なんかどっかで見たとあるような設計ね。』
にはは,バレたか。こりゃな,1985年に発表された三菱の3軸シャーシと基本的に
同じ考え方なんだ。まぁ,あっちはエアサスだがね,当然。因みに,日本で最初に大型バ
スで前輪独懸採用したのも,↑にある三菱MS7だな。まぁ,小型バスでは結構早い時期
からトーションバー式採用してたのもあったらしいがね。
『どこまで時代先取りすれば気が済む訳(笑)?』
さぁ,どこまでだろね(笑)。
『当然,走行性能はいいんでしょ?』
まぁね。余裕のパワーに理想的軸重配分,走行性は極めて優秀だ。そして,日本の道を
基準にして設計してあるから悪路走破性も申し分無しだ。
『この頃の日本の道路って凄かったらしいわね。』
舗装部分が殆ど無かったんだからなぁ。広島に至ってはメインストリートでさえ無舗装
だったんだ。イブクーロが日本以下の状況とは思えない(爆)。
『道路が問題なのは,今も昔も全然進歩してないのね,日本って。』
情けない話だ。
『そういえば,転輪って追加されるのよね。』
そじゃね。5軸追加で計6軸となる。…これって,どういう意味があるか,分かる?
『…メインはバスの方でしょ?』
ふふっ。
『軸数同じで大きな荷重に耐えるには,サスを固めて耐荷重を増やすしかない。でも,戦
車時の重量に耐えるサスはバス状態−−即ち軽量な状態では硬すぎる。それは乗り心地の
悪化に直結する。よって,重荷重時に軸数を増やすという方式の方がバスとして都合がい
い−−って事じゃない?』
大正解。文句無しだな。まぁ,この車輌の場合はどの道履帯を装着せにゃならんかった
から軸数は増やさざるをえなかった訳だが,取り外しが効く転輪というアイデアはこの発
想が無かったら多分採用されとらんかったじゃろうね。
『以上の工夫により,オンロードでもオフロードでも快適な走行性能を実現っ!(笑)』
その通りだ(笑)。
『で,武装については?』
武装は,まぁ自由度高いからねぇ。取り敢えず,「ウミノお勧めセット」のスペックを
参考として書いといたから,それ適当に見ておいて(笑)。
『本当に戦車か?これ(笑)』
装甲なんかも,まぁ特筆すべき部分はない。これもスペック見ての通りだ(爆)。
『手抜きするなぁっ!(^^;』
だって,あくまで重要なのって計画そのものだもん。戦車なんて,ただのダシに過ぎん
のよ(核爆)。
『臍噛んで死になさい,一度(笑)。』
ワシ,出臍じゃないもん(爆)。
≪第五章:さぁ,提出です!≫
試作車輌が出来たのは1931年8月の事であった。驚異的試作スピードだ。試験の結
果、車輌として特に問題がない事が明らかになった。後は,イブクーロに持っていくだけ
である。
取り敢えず,バス仕様・トラック仕様・37o砲仕様・81.4o砲仕様の4種が作ら
れた。当然,これら4種の間には完璧な互換性があった。ただし,バス・トラック仕様と
戦車仕様では,外見は全くといってもいいほど異なっている。
イブクーロに到着したウミノの面々。イブ国人の対日本人感情は巡洋艦の事もあり実に
良好であった。イブ国陸軍の検査には,王子自身も立ち会っていた。軍事的素養豊かな王
子に,飛楠や海野はこの戦車のイブクーロに対する貢献性,そして有用性を力説した。試
作車が4台というのは他のメーカーにはない入れ込みようであり,そこも王子を始め関係
者に好意的に見られる事となった。当然,4台の間で部品の取替えを行い,バスやトラッ
クから容易に戦車へ改造できるという利点も大いにアピールした。その部品取り替えの簡
便さは,イブ国関係者を大いに驚かせたという。
だが,敵は強敵揃い。ウミノ工機の野心的作品は,どこまで通用するのであろうか!?
≪ウミノUT10型9m高出力低床シャーシ(通称「ハーフバス」)諸元≫
◎バス仕様
全長…9.00m 全幅…2.49m 全高…2.95m
自重…8,250s 定員…50名(含立席・全ロマンスシート仕様)
エンヂン…ウミノEA100(三菱イスパノ)水冷V型8気筒18.5l:300ps
変速機…前進4段,後進1段 最高速度…90q/h(公表値)
懸架装置…積層リーフトレーリングアーム(前輪・後前輪),リーフリジッド(後後輪)
◎37o砲搭載仕様
全長…8.51m 全幅…2.55m 全高…3.00m
自重…18,750s 乗員…5名
エンヂン…ウミノEA100(三菱イスパノ)水冷V型8気筒18.5l:300ps
変速機…前進4段,後進1段 最高速度…40q/h(公表値)
武装…37o戦車砲×1,7.7o機銃×1
装甲…30o(前面), 15o(側面)
懸架装置…積層リーフトレーリングアーム
◎81.4o砲搭載仕様
全長…8.51m 全幅…2.55m 全高…3.26m
自重…17,950s 乗員…9名
エンヂン…ウミノEA100(三菱イスパノ)水冷V型8気筒18.5l:300ps
変速機…前進4段,後進1段 最高速度…45q/h(公表値)
武装…81.4o砲四連装×1(迫撃砲),7.7o機銃×1
装甲…30o(前面), 15o(側面)
懸架装置…積層リーフトレーリングアーム