愛知 十三試陸攻 「豊山(ゆたかやまほうざん)」



 十三試大攻の試作要求が出るという噂を聞きつけた愛知時計電機では、大型機の経験なんぞはちっともかなったにもかかわらず、教材となるDC−4があるのをいいことに「コイツの図面を参考にすればできる!」と安易に考え、大型機の分野に進出する絶好の機会と試作の参加を海軍航空本部に願い出た。
 海軍としては、すでに中島に発注を行っていたため、その保険という意味合いで1機だけの試作を許可した。愛知内部では、それを聞いた直後に「ヨッシャー!」という歓声が挙がったという。
 まず、エンジンの選定である。はっきり言って、この当時はろくな大馬力エンジンがなく、試作予定の十三試へ号が1500馬力を予定しているぐらいであった。それならぱと、自社で生産化を予定しているドイツのDB601を基にした十三試ホ号を使用しようということになった。
 しかし、予定されている出力は離昇で1200馬力、高度4500mで1000馬力をちょっと欠ける程度である。これでは、4発にしたところでとても要求仕様を満足できそうもない。そこで考えた末の結論は、2基ずつをタンデムに配置し、エンジンナセルの前面投影面積のみは1基分として空気抵抗を減らすことにより要求仕様を満たそうというものであった。
 プロペラは定速ピッチにする必要性があったが、二重反転にするとドライブシャフトの中を通してピッチ変更用の油圧を送るハミルトン式は使えない。かといって、他に信頼性の高いプロペラピッチ変更装置もなかった。そこで、またまた考えた末の結論は、後部のエンジンが発生した出力を前部のエンジンにつないで、出力を増強させる方法であった。後のターボコンパウンドと同じ発想である。これにより、プロペラは1つのナセルあたり1重で済むことになったが、2400馬力という強大なトルクを吸収するため、5.1mという日本では前代未聞の大直径のものとすることになった。
 ラジエータも抵抗を減らす目的で、主翼の効率低下を忍んで、内翼前縁内部に収納することにした。
 とりあえずこれでエンジン周りの艤装は解決した。しかし、そのしわ寄せで他の部分の設計に無理で無茶な方式を採用する事になっていくのであった。
 その前に、胴体に代表される基本的設計思想を見てみることにする。
 エンジンの艤装でも解るとおり、空気抵抗を減らして高性能化することが基本的思想である。当然、機体そのものも同じ発想で極力小型化/低抵抗化することになる。
 まずは胴体であるが、「不要な突起物の全廃」がまず決められた。このため、爆撃機席からコクピット周りの機首部分は、段差のない外形となった。設置の要求があった、後上部、側部、後下部の銃座にしても、平面窓にして、射撃時に窓枠をスライドさせて開ける手動式のものとした。このため、特に20mmを使用する後上部銃手の負担は相当となることが予想された。しかしながら、すべては性能のために黙殺されたのである。
 主翼も巡航性能を重視して、アスペクト比の高いものが採用された。本来なら高翼面荷重になるはずのところが、機体の小型軽量化がこれを回避する方向に働いた。
 さて、問題のその他の設計部分である。
 まず降着装置であるが、主脚を収納する場所としてはナセルはエンジンに支配されていて使えない。仕方なしに単発機のように翼内に引込むことにしたが、曲がりなりにも4発機であるので、技術的な問題でシングルにしかできそうもないタイヤは、それなりに大きなものとなるため、内翼方向にしか引込むことが出来なくなってしまった。そうなると、その部分に燃料を収納できなくなる。そこで、そのしわ寄せが今度は燃料搭載位置にいったのである。
 結局、燃料はその主要量を胴体内に積むこととなった。しかし、機体がコンパクトに設計されているため、それほどスペースがあるわけではない。こうして、胴体中央部すべてを埋め尽くす燃料タンクというレイアウトが採用されるに至ったのである。この燃料タンクは、前後方向の長さも機関士席直後から後上方銃座直前までの長大なものであったため、燃料消費時の重心位置の変動による飛行特性の悪化が懸念された。そこで、前部・中央部・後部と三分割して、まずは、前部と後部から同量を同時に消費するという方法が採用された。しかも、エンジンごとに燃料タンクを割り当てるという方式にするとエンジンが停止したときに消費の不均衡が発生するため、一度1カ所に集められてから各エンジンに分配するという凝った方法がとられた。このため、爆弾倉は高さの低いものとなり、爆弾倉扉は単純な外開き式となった。また、前部・後部の乗員の移動は、うんていよろしく爆弾倉の天井に儲けられたハシゴ状の横棒を伝っていくというもので、6.5mにも及ぶ長大な爆弾倉を考えると実質的には使えないものであった。

 凝った設計が災いし、試作一号機の製作は難航を極めた。結局、1号機が完成したのは、開戦後の昭和17年4月までずれ込んだ。初飛行はしたものの、機体自体は余裕のない設計のためトラブル続出で、特に燃料系統の不具合は深刻であった。また、居住性の悪さと整備性の悪さがテストを担当した乗員や整備兵に極めて不評であった。
 ただ、性能だけは当初の予定をも上回る素晴らしいもので、特に最高速度には目を見張るものがあった。トラブル解決に時間を費やしている間に完成した熱田三二型を連結した熱田六一型に換装した後は、実に578km/hという、艦爆の彗星一二型に匹敵する最高速度を叩き出すに至ったのである。


全幅:26.21m
全長:22.02m
全備重量:18,250kg
エンジン:熱田六一型 2800馬力×2
プロペラ:ハミルトン式 直径5.1m×2
最大速度:578km/h/5600m
航続距離:攻撃・5100km 偵察:8800km
爆弾:1000kg魚雷×2、または爆弾・最大2000kg
武装:20mm×2、7.7mm×4


胃袋3分の1からのコメント:
 今回は色々と忙しかったのです参加を辞退するつもりでいたのですが、何だがヘンな妄想がむくむくと沸き上がってきてしまいましたので、チャッチャッとでっち上げてしまいました。
 考慮が足りてませんので、色々と齟齬があると思います・・・ってか、必ずあるでしょうが、「ケッ!」と一言呟いてうっちゃってくれれば幸いです(笑)。