日本海軍 十三試大型陸上攻撃機
空技廠 G5Y「常山」


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 十三試陸攻に要求された飛行性能を実現するためには、四発機を選択するのは必至であった。しかし、新型機はただの爆撃機であってはならない。雷撃性能が要求されていたのである。そして、現実として十二試陸攻(後の一式陸攻)開発において、雷撃に必要な運動性能に欠けるとして四発機案を排除したのは、他ならぬ海軍であった。海軍航空技術の先導役を自他ともに任ずる空技廠としては、この技術上の矛盾を乗り越えるために、率先して範を垂れなければならないという過剰な意識を持たざるを得なかった。
 四発機の飛行性能を制限する要素…それは(1)正面投影面積が大きく、形状が複雑であることによる空気抵抗の増大、(2)重量物が外方にあることによる運動性能低下(3)大型機ゆえの低荷重係数にある、と開発陣は考えた。そこで、新型陸攻の設計にあたっては、これらの要素を双発機の水準に抑えることが至上命題とされたのである。
 エンジンの基数が増えると、当然ながらそれを収納するナセルとプロペラの分だけ正面投影面積が増える。串型配置のナセルに2基ずつ収納する手法もあるが、入手可能な高出力エンジンが空冷のものしかなく、後方エンジンの冷却不足が避けられないため、これは非現実的とされた。ならばせめてプロペラ分だけでもと考えられたのが、2基のエンジンを接近させて並列に並べ、軸を共用する2基のプロペラを各エンジンから延長軸を介して駆動するシステムである。
 これにより、2基一組の動力部を双発機のエンジンに相当する位置に装備することが可能になり、機体の軸回りの慣性モーメントが減少するため、ロール性能の向上は確実となった。さらに、この動力部が取り付けられる内翼部を思い切って翼厚比20%のものとし、軽量ながらも機動時の高荷重に耐えられる強度のものとした。これは空力的に不利なように見えるが、ナセル及び胴体とのつながりが滑らかになったこともあり、少なくとも要求仕様の速度域内ではメリットの方が勝ると考えられた。また、翼内スペースが拡大したため、当初から防弾タンクの装備が可能になった点も見逃せない。

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 搭載エンジンには、当時最高の出力を誇った中島の「護」が選ばれた。もちろん、減速ギア部は延長軸を駆動するためのギアボックスに代えられたが、前プロペラ駆動用と後プロペラ駆動用とでは軸の回転方向とハウジングの長さが異なるものが用意された。
 降着装置は三車輪式であり、前脚は機種下面にそのまま、主脚はプロペラ後方の主翼下面に90度ひねりながら後方へ引き込まれる。主翼後縁にはスロッテド方式のフラップが設けられ、過荷重時の離陸等のためにエルロンフラップの使用も可能である。
 防御用の銃座は機首、前部胴体上面、中央胴体下面、後部胴体両側面及び尾端に設けられた。試作機においては下面と側面のものが涙滴状のブリスターとなっているが、空力的見地から平面窓型あるいは引込式のものとすることも検討課題となった。また、尾部胴体をなるべく細くしながらも尾部銃座との往来を可能とするため、双垂直尾翼を採用して垂直尾翼支持構造が通路スペースをふさがないようにしている。
 試作機は昭和16年7月に完成をみたが、多くのギアや延長軸を用いた動力システムは地上運転テストでトラブルを頻発し、また、脚収納システムや爆弾倉扉の作動不良、燃料移送システムの設計不良などがあったため、試験飛行は翌年3月まで行えなかった。しかし、テストにおいては、加速性能の高さや雷撃時の操縦安定性の良さが注目され、大容積の爆弾倉による運用兵器の幅の広さも高い評価を受けている。
 なお、本機の愛称「常山」とは、中国において天子巡狩の地とされている山の名であり、ここに住むという攻守兼ね備えた伝説の蛇「卒然」にあやかったものである。


〜諸元〜

翼幅40.00m
全長(機銃除く)29.88m
全高(水平姿勢)6.05m
翼面積203.72u
最大離陸重量33,731kg
発動機 中島「護」32型甲・乙
  離昇出力1,870hp×2
最高速度(高度4,900mにて)472.5km/h
航続距離(魚雷×3)5,310km
同上(偵察・機内増槽使用)7,940km
兵装例
  800kg爆弾×4
  800kg魚雷×3
  500kg爆弾×4+800kg魚雷×1