日本海軍 - 競争試作・十三試大攻
全長22.7m(機銃除く) 発動機火星12型
全幅34.00m 出力/基数1530ps/4基
全高5.8m 速力410km/h
翼面積131平方メートル 正規航続力3000km
軽荷重量18200kg
乗員11名 (C)Amagi
薄暗い倉庫の中、彼女は永き眠りの中にあった。 大日本帝国海軍・十三試大攻。 埃の中にも、剥き出しのジュラルミンの肌は薄暗い中で微妙な輝きを見せ、整備すらば直ちに飛行可能状態となるかもしれない。 機首の機銃座、単発機の如き風防。 左右に張り出した垂直尾翼も、他の日本機と微妙に違うデザインだ。 ふっと懐かしさがこみ上げてくる。 見知った顔が、風防越しに手を振ってそうで軽く操縦席を見遣った。 だが、積もる埃に半ば不透明となった操縦席の内部はうかがえない。 それにしても、無様なもんだ。 海軍の輿望を持って製造され、敗戦後も残っていた理由が「大きすぎて焼却できなかった」だなんて。 そんな国に、こんな機体を使いこなせる筈も無かったのだ。 苦い思い出が胸の中にじんと蘇ってきた───

「おい、ニールマン。ルンケが倒れた。突然で悪いが日本行きを頼むよ」
40年前のある朝、いつものように出勤すると社長は唐突にこう告げた。 寝耳に水の発言に目を白黒させる私を尻目に、社長は荷物と旅券を私に手渡す。 翌日には乗船して祖国を発つと言う慌しさ。 如何に柔軟な思考回路を持っていた私も、この時ばかりはただ混乱するばかりだった。 何しろ日本と言う国のことも良く解らないのだ。 だが《浅香丸》なる船はゆっくりと岸壁を離れ、そして徐々に大海に乗り出して行く。 祖国が海の向こうに消える。 不安を抱きながら船室に入り、何故に私がと愚痴りながらルンケの物だった荷物を改める。 カメラや筆記用具、日用品に混じってふと日独辞典の背表紙が目に付いた。 ひょぃと少しばかり使いこまれた辞典を取り上げる。 すると、1枚の紙切れが落ちてきた。
「親愛なるニールマン技師。貴君は───」
昨今の情勢はナチズムに侵され、ユダヤ人は遅かれ早かれドイツから排斥されるであろう。 だが、私は貴君のような有能な技術者がただ祖先の違いだけで放逐されるのを見過ごすことは出来ない。 だから、日本に逃れよ。 貴君の才覚があるならば、如何に同盟国とは言えど強制送還も出来るまい。 そんな文章が小さな紙切れにしたためられていた。 書いたのは多分、ハインケル社長本人なのだろう。 あの慌しさも、手際の良さも、全て仕組まれていたのだ。 私をナチスの魔手から救い出すため。
最後の一行に従い、タバコを用いて丁寧に紙を焼き捨てる。 そして私は、社長に最大の感謝を捧げた。

日本に到着した私は陸軍関係者に出迎えられ、そしてやや小型ながらスッキリした少女のような機関車の先導で岐阜に案内された。 我が恩師がかつて勤めていた川崎航空に赴くためである。 川崎と私とは書類上は技術協力と言う形だったが、 社長の話が通っているらしく私は一つのチームを与えられて事実上設計開発チーム主力の一人となった。 そして、新たな設計者の腕試しと言う事で丁度発令された海軍の大型攻撃機の設計を任された。 何でもアメリカから購入した大型機が失敗作だったから、独力で開発を頼むよと言いたいらしい。 しかしDB601と言いHe100と言い失敗作の大型機と言い、輸入ばかりで日本の航空技術はどうなっているのか。 そこで私は、まず日本の航空機を知ることから始める事とした。 最初に見たのは川崎きっての名設計者土井武夫技師の九九双軽。 丁度我がHe111に良く似た機体で、後下方への機銃の配置はむしろこちらのほうが優れてるよう感じられた。 ところがこれ以上の大型の機体となると我が国のユンカースG38をライセンス生産した九二重爆ぐらいしか無い様だ。 もっとも、海軍には九七大艇なる大型の飛行艇があったが。

「うーん」
私は少しばかり唸った。 今度の大型攻撃機は事実上日本にとって未経験の分野になるのだ。 日本は私の予想以上に機械化が遅れている。 研究所レベルでは土井技師を始めとして多々の有能な人材が居るのに、この状況は何だ。 3000kgの搭載量と5500kmに及ぶ航続距離だって?、と問い返したくなる。 まして用途に《雷撃》までオマケが付いてくる。 高々度から投下できる追尾魚雷を開発したのかと思ったが、 実の所はそのまま具現化されたら四発の大型機になるにも関わらずソードフィッシュの如き超低空雷撃を企図しているらしい。 正気かとも問い返そうと思ったが、高慢ちきな海軍の担当者の表情がゲーリングそのものだったのでやめにした。

とりあえずも私は基礎設計に取りかかる。 まず考えたのが搭載量を魚雷2本に絞ってやろうかと言うものだった。 機体を小型化することにより低空での機動性を確保しようかと思ったのだ。 だが水上機屋を除く他の設計者と違い、私は小型とは言え四発のHe116の経験がある。 それに、いきなりBf110みたいに要求を無視した変な機体を作るわけにはいくまい。 日本の高官に悪い印象を与えて強制送還されたら私の命運はそこで尽きるのだ。 最終的に、私は要求書に極力添う形で四発の大型機を作ることとした。

エンジンは迷うことなく三菱の《火星》に決定。 中島なるメーカが試作中の1800馬力級のエンジンもあったが、我がDB601を遠路はるばる買いに来る日本のことだ。 それに日本独自に開発したエンジンはまだ数える程しかない。 開発能力は相応に低いだろう。 そんな、いつ完成するやも見当がつかない物を希望的観測だけで採用するわけには行かない。 次いで、機体サイズ。 アスペクト比の大きな主翼、胴体内の配置は土井技師の九九双軽も参考にまとめる。 特に計器板や操縦席周りに関しては日本人の体格もあるので殆ど流用とした。 それにしても恩師を同じくするためだろうか。 土井技師の機体からはその用途と工夫が容易に見て取れた。 だが、垂直尾翼に関しては機体相応に大きな物を胴体後部におったてると非常に高くなる事が解っていた。 我がドイツならともかく、日本の状況を見ている限り高い高い足場を組んで点検整備をする事になるのは見えている。 それならばと水平尾翼の両端に取り付け、整備性の向上を計った。 また、形状も簡易なものにして工数や部品点数の削減を図っている。

細かい部分で、私は無駄な工作の極限や部品点数の削減、部品の加工方式にも気を使った。 だが、その反動として機体重量は増加し、相対的に搭載量は減殺されてしまう。 それでも搭載量は3000kgと指定されている。 結果的に燃料が減らされることとなったのだが、今度は航続力が低下する。 どう計算しても要求書にある5500km以上の航続距離は不可能。 色々考えた末、爆弾倉内部に増加燃料タンクを搭載し、魚雷2本を抱えた状態で何とか4200kmの航続距離を確保することとした。 まさに苦肉の策である。 しかし、日本では防漏タンクすら開発されていない。 これはそのまま一斉射食らえば火達磨になって落ちることを意味している。 自動消火装置でさえ研究段階で放置されていたのだ。 そんな機体が戦闘機の護衛も無く、敵中深く侵入して爆撃するなど、かの破天荒なイギリス人でも考えるまい。 要求書のように航続距離が長い事自体は良いかもしれないが、 現実に運用するにあたっては戦闘機の護衛の付き得る範囲内で十分だろう。 そう私はそう結論付けた。

こうして誕生した試作機は、私としてはいささか物足りないものとなった。 それでも基礎設計から全てを自力でやったのは初めてで、少しばかりヨロヨロしながらも飛び立つ姿にはえも言われぬ感動も覚えた。 なお、離陸直後のフラつきは方向舵の調整の不備によるもので、1週間程度で解消することが出来た。 もう一度機体を見まわす。 問題の方向舵が見える。 機体が頑丈だっただけに空中分解なんて事も無かったがバフェッティングが起こるとさすがのテストパイロットも軋む機体に不安を感じたらしい。 かく言う私も原因究明の為に試乗して経験しているが不規則に揺れミリミリギシギシと軋む音を聞いているのはあまり気持ち良い物ではなかった。

ふと、轟音が格納庫を震わせるた。
白と濃淡2色の青に塗装された双発の大型機。いや、今となっては中型機かもしれない。 それが旋風の如くさっと滑走路を駆け抜けた。 あの音、あの尾翼の形状はこの十三試大攻の実質上妹分にあたる日本唯一の国産旅客機YS−11だろう。 あの機体の設計に関してはこの機体での経験が多分に盛り込まれている。 目の前の四発機に目を遣る。 結局、この機体の存在意義は戦後日本のたった1種類の旅客機のベースとなった事にあるのだろう。 だが、それでも良かったのではないか。 子々孫々、違う民族同士がいがみ合い、殺し合うためのモデルとならなかったのだから。

天城です。えー、長々と説明にお付き合いいただきありがとうございます。 制式採用ならない形で、小説風に。 まさに自分の文才の拙劣加減を思い知らされましたが。 いや、もぉ本当に適当にデッチ上げたんでツッコミ所満載のような気もしますが、平にご容赦をばm(_"_)m

ちなみに、機体が銀無垢なのはオレンジにするとファイルサイズが倍になるからデス。 ってか、普通に保存して140KB行ったモノが、色が変わるだけで81KBにほぼ半減したときには驚きました。 なお、上画像はさらに小さくなって背景付きで53kBとなっております。

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