ロンドン軍縮条約により六割海軍との憤慨が迷走の発端だった。
 当時、艦隊派と目される面々は4つの派閥に別れていた。
 砲術屋。日露戦争にての第一殊勲者達の末裔。軍神と称えられる
東郷元帥以下、巨大な大砲を大艦に積みその弾頭により敵を粉砕す
る立場に有る者。
 水雷屋。小型艦で必殺の魚雷を抱えて敵の主力艦の懐に飛び込む
荒くれ者の集まり。
 自称鈍亀。潜水艦屋。艦隊決戦の前に遊撃戦を行い、敵主力艦を
決戦場前で脱落させる為、外部と隔絶された狭い艦内で任務に耐え
る者達。彼らの活躍如何で戦争の行方を左右するので砲術屋、水雷
屋とも一目を置く。
 そして、新参者の航空屋。海千山千の非力な航空機で、敵艦を
攻撃する。第一次大戦以降発達してきたが、その能力は未知数で
有り、実績も無かったので一番弱い立場に有った。
 砲術屋は主力艦の支援に使う為、15cm砲を大量に。
 水雷屋は不足気味の61cm魚雷を大量に。
 潜水艦屋は不自由な潜水艦の目と補給拠点に。
 航空機屋は脆弱な空母を守る為に。
 プライドとメンツに拘って共通の大目的、戦争に勝利を収める事
すら忘れ去り、最後に残ったパイの配分について不毛な闘争を繰り
広げられていた。
 出来る限り自分達に都合の良い船、つまり戦時下に於いて自分達
の艦隊に配備されるべき船に仕立て上げるには、この時意外に不可
能な事を誰もが知っていた。
 さて、統帥権の頂きに居る陛下は何時もと変わらず「臣下の意見
を尊重する」とのお言葉通り、事の成り行きを憂慮しつつも見守っ
ていた為、連日の会議は紛糾し出所不明の『敵対勢力』を中傷する
怪文書が飛び交う中、月日は流れていった。
 全部の意見が受け入れられるのならば、此れほど紛糾しなかった
であろうが、最後の分け前と物理的な制限から己の意見を通すのな
らば他人の意見を排除する必要が有る。
 一担当者の争いから、派閥の存亡を賭けた一大闘争へと拡散して
いった。
 統帥権の名の元に、部外者の賢明なる意見を排除する其の態度は
戦後『女学生闘争』と名付けられ、ネーミングセンスの無さから、
フェミニスト達の憤慨する所になった。
 永遠に続くかと思われていた闘争に終止符を打つ事になったのは
大蔵省の一事務官の発した言葉だった。
 「このままでしたら、予算は取れません。」
 戦後から見ると、軍の横暴が目に付く当時であるが国家の一組織
で有る海軍は、他の機関同様に文章と印が無いと何も出来ない事に
は変わりない。パイが有るからこそ取り合いをしていた訳で有る。
 パイ其の物を作る予算が無くなってしまえば、全員がオヤツの喰
い上げになってしまう。
 簡単な話トン数を分け合い、その範囲内で好き勝手に作るとの妥
協が成立した。最初からその様にして置けば良かったのにと思われ
るだろうが、当時としてはギリギリの選択だったようだ。
 比率は自称正当なる軽巡の使用者水雷屋が3、海軍の大黒柱と目
される砲術屋が2、お情けで鈍亀が1。
 当然航空機屋のも取り分を主張したが、他の三勢力から無視され
た為に何も得るモノは無かった。


始めに水雷屋が手に入れたパイをどのように加工されていったかを
見て見よう。
『重雷装艦・水無瀬』

『重雷装艦・水無瀬』
(計画時)               (竣工時)             (開戦時)         排水量:5500トン          排水量:6299トン         排水量:6259トン  出力 :120000馬力        出力 :100000馬力       出力 :100000馬力 全長 :166m            全長 :170m           全長 :170m 全幅 :14m             全幅 :15m            全幅 :15m 速力 :39ノット           速力 :37ノット          速力 :37ノット 武装 :15cm三連装砲塔二基     武装 :14cm連装砲塔一基     武装 :14cm連装砲塔一基     61cm四連装魚雷発射管十二基     61cm七連装魚雷発射管五基     61cm七連装魚雷発射管五基     (両舷側六基)             (中央五基)             (中央五基)     次発装置付き              61cm四連装魚雷発射管二基     機関銃六門                         (両舷側一基)                         機関銃二門  計画時の無謀とも言える要求は、軍縮による反動とも言え、技術陣の誰 もが前途を悲観した。だが、何処に幸運の芽が有るか判らない。  派閥抗争によって失われた時間は、起工前に起きた友鶴事件と平賀博士 の復帰等の有る意味幸運を掴む事になる。最も幸運は建艦前の船に対して で有り、友鶴にとっては不運だったと言えるが・・・。  再設計に当り辛辣とも言える手法で技術陣は問題解決に当った。  平「魚雷戦と砲撃戦どちらを主とするか?」  水「魚雷戦に決まっている。」  平「なら、砲を取っ払って魚雷管を付けよう。」  水「・・・・。」  平「多数を一度に発射か、複数回に別けて発射か?」  水「多数を一度に。」  平「なら、次発装置はいらんな。」  水「・・・・。」  司令部員、掌雷長までもが艦橋に同居し狭いと文句をいうようで有れば、 航空母艦の艦橋の事例を持ち出し、雷装を減らしてまでと暗に航空屋と対比 する等など・・・強引とも言える独自の論理で押し通し、用兵側も駆逐艦二 個戦隊以上の39本同時発射可能等で幻惑され『何となく』自分達の計画よ りも強力な船が出来ると思えるようになった。  なお、七連装魚雷発射管は発動機式により発射準備時に移動され、又非常 事態には手動にて動かす事が出来ないので予備の発動機を持たせる事になった。  しかし博士は四連装発射管は減らしたいと思っていたようだが、一度口に してしまった建前上、強引に設置する他は無かったようであり、対空装備強 化時に取り外されてしまった。  1941年12月運命の開戦時にネーミングシップ「水無瀬」以下「高瀬」 「岩瀬」「綾瀬」の四隻は連合艦隊の直轄になり、艦隊決戦用に温存されて いたが、運命のガ島攻防戦に投入されて初陣を飾る事になった。  だが、時代の流れは航空機主体となっていき、貧弱な対空機銃では護衛に 任務にも就けず、35本の魚雷を発射する事無く『邪魔な』魚雷発射管を撤 去されネズミ輸送に従事する事になった。  結局、太平洋戦争中彼女達の最大の武装である魚雷を1発も発射する事無 く全艦戦没した。  「水無瀬」エンベランス岬海戦時艦砲により大破。自沈  「高瀬」 エンベランス岬海戦時艦砲により大破。自沈  「岩瀬」 呉空襲時転覆。戦後解体  「綾瀬」 トラック沖で潜水艦の雷撃を受け沈没    次に砲術屋の取り分を見てみよう。 『軽巡洋艦・神田』

『軽巡洋艦・神田』
(計画時)               (竣工時) 排水量:8500トン          排水量:9389トン 出力 :150000馬力        出力 :120000馬力 全長 :190m            全長 :196m 全幅 :20m             全幅 :20m 速力 :37ノット           速力 :33ノット 武装 :15.5cm四連装砲塔五基   武装 :15.5cm三装砲塔四基     14cm連装砲塔四基          (前部集中配備)     機関銃八門               機関銃二門     水偵四機                水偵二機

『軽巡洋艦・神田』
(開戦時)           排水量:9999トン 出力 :120000馬力 全長 :196m 全幅 :20m 速力 :29ノット 武装 :46cm単装砲塔一基      (左右十二度の射界)     機関銃四門     水偵二機  計画段階の武装は一万トン級重巡でも不可能と言え、正気を疑う代物だ。  友鶴事件により重武装が否定され復元性と耐久性を問われるようになり計画 を下方修正したが、それでも四連装案は最後まで残っていた。当時の砲術屋に とって軍縮条約は死活問題以上に重く圧し掛かって居た事を推量するには十分 な資料と言える。  目新しいのは、巡洋艦の魚雷発射管の全廃をした事であろう。  さて、第四艦隊事件が勃発し、15.5cm三連装砲塔四基とする比較的穏便 な計画に落ち着き、万能軽巡として後世に其の名を残すはずだった彼女達に、仕 様変更と言う名の試練が舞い込んできた。  今でも発案者が誰で有るかは、敗戦直後の混乱期に文章が喪失したのと、関係 者がお互いに名前を出し合った事で誰が発案者だか判らず混迷の色を深めている。  「46cm砲を改装により搭載可能とする。」  軽巡の船体に超々ド級の主砲を載せるのは、不可能に等しい。その為に美しく 纏まった設計を再度修正する必要が有った。  出来上がった船は、ネルソン型を小さくしたような、前部集中砲塔と、寸胴な 船体であった。46cm砲に改装をする事が前提で製作された事は最重要機密事 項であった為、奇異な姿を見たアル高名な軍事ジャーナリスト曰く、  「流石英国海軍の直弟子」  と皮肉たっぷりに評価した。  開戦直前、姉妹そろって46cm砲に改装を終え、連合艦隊の予備兵力として 在籍した。計画どおりに予算が下り、計画通りに改装をしたのだが、彼女達を戦 場へと送り出そうとはしなかった。なぜなら、連合艦隊内部で彼女達をどうやっ て扱えば良いか判る人間は誰一人居なかったのだ。  46cm単装、しかも鈍足。  モニター艦としては火力は不足し、打撃艦としては遅すぎる。日清戦争当時の 失敗を再び繰り返した事を皆が心の内に秘めていた。  しかし、転機は訪れる。   ガ島攻防戦で地上砲撃が有効なのに気がついた連合艦隊は、呉の軍港に係留さ れたままであった彼女達を死の海へと送り出す事に決定した。  圧巻は、第三次ソロモン海戦二日目の米戦艦ワシントンへの砲撃であろう。  奇跡と言うべき至近距離から放った両艦の46cm砲弾2発が命中し、一瞬に してワシントンの戦闘能力を奪ったのだ。  しかし、幾ら巨砲を持っていても発射頻度の大きな小口径砲を持たず、弱装甲 の軽巡でしかない彼女達へ復讐に燃えた駆逐艦の13cm砲の乱打を受け大破炎 上。翌日の航空機攻撃により撃沈された。  霧島の危機を救い、味方艦隊のヘンダーソン飛行場砲撃を成功させたのは無茶 苦茶に改装された彼女達の執念で有り、航空機によって揃って撃沈されたのは、 想定外の戦場に投げ込まれた彼女達の抗議であるように思える。  「神田」第三次ソロモン海戦にて大破。翌日航空機攻撃により沈没。  「隅田」第三次ソロモン海戦にて大破。翌日航空機攻撃により沈没。  最後に鈍亀屋の船である。『ある意味』三者の中で一番まともな船と言えるか もしれないが、その誕生は平坦ではなかった。   『軽巡洋艦・千曲』

『軽巡洋艦・千曲』
(計画時)               (開戦時)           排水量:8500トン          排水量:5312トン  出力 :100000馬力        出力 :10000馬力 全長 :159m            全長 :136m 全幅 :16m             全幅 :17m 速力 :33ノット           速力 :16ノット 武装 :14cm連装砲塔四基      武装 :14cm単装砲一基     機関銃八門               機関銃二門     水偵八機                水偵二機(後に全廃)  友鶴事件、第四艦隊事件で船体の強度に不安を持った砲術屋と水雷屋は新造軽巡 の安全性を高める為に排水量の増加を行い、三者の内一番立場の弱かった潜水艦隊 旗艦になるべき潜水母艦にしわ寄せが行った。  無理やり計画時より半分にまで削られた為、マトモな戦闘艦にする事は素人目に も不可能に思える。主役は潜水艦であり母艦ではない。ならばと、戦闘任務に参加 させず潜水母艦としての機能に集約して安価な船を作り上げようと考えた。  機関を計画時の十分の一とした事で、さらに余分なスペースと予算を減らす事が 出来たのは、ある種の英断と言えるかもしれない。  寸胴な商船型船体を使い速力は16ノットに抑え、さらに徹底して主砲も余って いた14cm単装砲一基のみとし、予算を通信、物資補給に注いだ。  主砲照準器などは、単装砲塔1基だけで有るから射撃管制機構なども必要ではな く、御飾りとして艦首に鎮座してどうにか軽巡として体面を整えた。  当時として目を見張るのは、艦内に搭載された第一次大戦後のドイツで買い叩い てきた高性能の工作機械と冷凍設備であろう。  何週間も日の光が当らない場所で文字通り缶詰として生活する潜水艦乗組員の休 養と魚雷、燃料の補充だけでなく、簡単な修理すら出来る工房をも兼ね備えていた。  だが、先進的な思想の元で設計された艦内とは逆に、商船型船体と船体側面に大 きく開けられた物資搬入搬出用の巨大な扉と、たった一門の14cm砲の姿は、菊 の御紋が艦首に付けられた軍艦にしては不細工極まりない姿で有り、日本海軍の中 に乗員の成り手が居ないだろうと陰口を叩かれていた。  当然乗員に選ばれた水兵達は帽子に書かれた「ちくま」の刺繍は恥ずべき代名詞 として肩身を狭くした日々が暫く続いた。  日米の緊張が高まり、聯合艦隊の猛訓練の後に潜水艦乗り『だけ』が利用できる、 本船の常設喫茶、水上機格納庫を利用したビアホールは水上艦乗員の羨望の的であっ た。又、訓練時休養十分な潜水艦の活躍は周囲の注目を集め、士気鼓舞の必要性を 実感した砲術屋と水雷屋は、更なる装備(施設)改造資金の提供を申しでた。  相手の条件付き降伏といって良い事態に鈍亀屋は満足し、全部隊に開放を決めた のだ。  訓練海域近くの何も無い泊地で唯一の娯楽、格納庫を開放して行われた大宴会場 での同期会や親睦会は戦前の海軍を知る者にとって、良き思い出の一つとして必ず 挙げられている。  千曲乗組員と親密な関係に有る事は、海上生活者にとって生活物資を最優先に 獲得が出来きる。その頃になると萎縮していた彼等千曲乗組員達も戦艦乗員以上 の敬意を持って扱われる事になった。  日米開戦後、獅子奮迅とは言わないが工作艦明石と共に米軍の最優先攻撃目標と されるも幸運と度胸で切り抜け、補給に修理に、そして慰問に太平洋を所狭しと小 さな船体で走り周り、鈍足だった為に空母改造や最前線に投入されなかったのが幸 いし生き延びた。  戦後民間企業に払い下げられ北洋漁業の母船として活躍した後、日本の復興を確 認したように解体され、波乱で有りながら幸せな生涯を終えたのであった。  そのような意味で、戦前戦後問わず最も活躍した船だと言えるだろう。                     「千曲」敗戦後民間に払い下げ。1975年解体。 (作者のウンチク)  先ず、添削とアイデアを出して頂いた、島風高雄氏ありがとうございました。  叉、良いアイデアを出して頂いたかおるう中佐氏ありがとうございました。  如何に真面目そうで使えない船を設定するかが目標でした。  友鶴事件、第四艦隊事件は一つの大きな転換期でしたので、起工は昭和十年以 降とする必要が有りました。約5年間、どのように引き伸ばすかを考えた結果、 海軍内での派閥争いで、装備を決める事が出来ないとしました。  強引ですがすみません。。。  先ず思いついたのは重雷装艦です。装備より、ガ島攻防戦で撃沈される設定が 先に出来たのは問題かもしれません(w  北上型を拡大し両舷発射出きるように工夫しました。案としては背負い式七連 装九基(爆)や次発装置(苦笑)をも有りましたが、甲板スペース的にも機関配 分的にも不可能ですのでボツとしました。他にも、一号機雷装備艦等のアイデア も提供して頂けました(^^;  第二司令塔も無く、ダメコンは全く考慮していません。上甲板一面に並べられ た合計43本の魚雷が剥き出しになっている時点で、一発当ればミッドウェーの 再現でしょうね。。。  平賀博士のエピソード、不具合が有れば削除します。。。。    重雷装艦は最初に思いついていましたが、問題は砲艦としての軽巡洋艦でした。  考えても最上にしか思いつかない・・・・。  そこで、重雷装は水雷屋の夢ならば巨砲は大砲屋の夢じゃないか?と言う事で 巨砲を積もうと思いました。最初の案は61cm砲でも使おうかと思いましたが 作れる筈も無く、大和級と同じ46cm砲単装2基の案を考えました。しかし ぞうすれば46cm砲を2門搭載するか思いつかず、結局一基一門と修正しました。 たとえ二門としても使え無い事には変わりないですが。。。  改装(改悪)は15cmから20cm砲に改装した最上級をヒントにしました。  狭い巡洋艦の甲板スペースでは発射頻度も、射界確保も出来ないでしょうから、 設計前段階で使えない事は判ると思います(w  潜水艦隊の軽巡は、本当に設定を作っている間に足りなくなり、切り詰められ ました。出来上がってみると、軽巡っていうより補給艦です・・・個人的に日本海 軍最優秀艦は工作艦明石ではないかと思っていますので、潜水艦の補給やメンテナ ンスを単独で行える仕様にしましたが、『戦艦長門の生涯』という本の中に、補給 艦の話が出てきたので、ソレを追加して使わせてもらいました。  前出6隻の軽巡が期待されつつも使えず不運な最後を遂げる設定を見ていると、 一つぐらいは幸運艦が欲しいなと思い、補給、整備、慰安に活躍。  戦闘に参加できるような能力が皆無なのですんなりと決まりました。  上記七隻全て対空装備が貧弱、絶無です。  防空巡洋艦が一番使えそうですが、昭和5年時点では航空機の脅威が無かったと 思えますし、太平洋戦争中使える船になりそうなので止めました。  画力が有りませんが、妄想力を使わせてもらい一人でニヤニヤしている自分を 見つけ、勝ってに楽しんでいるなぁ〜と自分でも思いました。  又、妄想が出来たら投稿させて頂きます。