三式司令部偵察機「雄飛」性能諸元
全長 13.3m
全幅 14.4m
全高(飛行時) 4.1m
空虚重量 3400kg(キ1073-II)
全備重量 4950kg(キ1073-II)
発動機 ハ140甲(1500hp)2基(キ1073-I)
ハ45-21(1825hp)2基(キ1073-II)
ハ213 (1770hp) 2基(キ1073-III)
注:ハ213とは、輸入してきたユンカースJumo213のことである。
最高速度 673km/h(キ1073-I、公試時)
698km/h(キ1073-II、同上)
730.1km/h(キ1073-III、同上)
航続距離 5500km(通常時)、6700km(増槽装備時)
武装 7.7mm機銃1丁(後上方向き)
偵察用装備 2式広角写真機 1台
2式望遠式写真機 1台
その他兵装 各種通信装置
方向探知用ループアンテナ
3式逆探知機(アンチレーダーのこと)
生産機数 31機(試作機、キ1073-Iの合計)
121機(キ1073-II)
1機(キ1073-III、エンジン数の都合による)
・設計にあたって
提示された設計仕様より、この機体は、速度性能と航続距離延伸を優先した設計とした。
そのため機体は双発となり、また機体の形状は非常に特殊なものとなった。
まず機体の外形だが、見ての通り、プッシャー式双発・エンテ式である。
従来型のエンジン配置では、百式司令部偵察機よりも速度性能を段違いに上げる事は困難である
ことが予想されたためであり、また将来的にはジェットエンジンに換装する予定もあったがためと
いわれている。
エンジンは極端に後方に取り付けられているが、これは空気抵抗の減少を図ったものとされる。
設計者が意図してかどうかは分からないが、このために機体断面積の変化が極端でなくなり、
期せずしてエーリア・ルールの法則を満たすような機体になったので、さらに飛行性能は増大した。
燃料タンクであるが、仕様を満たすため、主翼全体をセミインテグラルタンクにすることで、
機体の大きさの割に莫大な燃料を搭載することが出来た。もちろん防弾装備などないが、これに
ついては、タンクを出来るだけ細分すること(両翼全体を12分割し、そのおのおのに小タンクを
設けた)で燃料漏れによる墜落の対策だけは施したようである。そして、何よりも「敵機に遭ったら
速度性能を生かして逃げる」という機体であるから、余計な防弾装備を施す意味はなかったからでも
ある。
仕様に高高度性能の向上が明記されていたため、主翼は高アスペクト比の細長いものとなった。
しかし実際にはエンジンの都合により、(試作機の)III型を除くと、到底高度10000mで運用できる
代物ではなかったようである。それでも各種の戦闘機に比べれば、高高度での飛行性能は良好で
あったとされている。
・実戦配備
エンジンは、当初は(I型)、ハ140の試作型が搭載されていた。1942年12月に行われた公試では、
空気抵抗の低さとあいまって、瞬間的に時速700km/hを出したが、これは装備品を限界まで落とした
状態でのテストであったとされ、実際には上記諸元の数字であったと伝えられている。
しかしそれでも百式司令部偵察機に比べれば70km/hは早く、将来の性能向上を見越して翌年8月に
正式採用され、三式司令部偵察機「雄飛」という愛称も定められた。この名称には、日本の一層の
「雄飛」を期待したことかららしいが、(一説によると)同じ会社で開発された戦闘機「飛燕」と
意図的にかぶるような名称にしたとも言われている。
しかし実際に配備してみると、ハ140の生産遅延・整備不良のため、到底実用に耐える代物ではない
ことが判明してしまった。むろん飛んだ場合は航続性能と速度を生かして成果を上げることが出来たが、
たいていの場合、それ以前に「飛べない」のだからどうしようもなかった。
また、操縦者が前車輪式着陸装置に慣れていなかった事もあり、飛行中の事故が続発、稼働率は
さらに低下した。I型27機中、事故または整備不良で失われた機体は22機にものぼったとされる。
・「雄飛」活躍す
前線からの声を踏まえて、早くも1943年10月にはエンジンの空冷への換装が真剣に考えられることと
なる。エンジンの選択は、抵抗の増加と出力を秤にかければ、「夢の2000馬力」ハ45以外になかった。
突貫工事の末、1944年2月には試作機が完成。早速行われた試験では、抵抗増加分を上回る速度の
増加を果たし、水平飛行で700km/hに迫る快速をみせたため、早速採用となった。
しかしこれまた実用時には物議をかもした機体で、エンジンの冷却不良、整備不全による故障が
続発したが、それでも同年5月には何とか第一線での使用に耐えられる機体となり、百式司偵に
代わって戦略偵察の主力となった。
冒頭図は、この機体のみで編成された第1073実験飛行隊のもので、マーキングは「千七三」を図案化
したものとなっている。実験飛行隊とはいっても事実上実戦部隊で、前線での運用法・整備法を研究
するためのものであった。同飛行隊は、同年6月から翌年2月にかけて、カルカッタなどへの戦略偵察を
実施し、かなりな成果を上げたとされ、また実際に連合軍側もこの機体を高く評価していた。
この機体を捕捉することはスピットファイアやマスタングであっても至難であり、この飛行隊には
選りすぐりの飛行機乗りが配備されていたことと、早期警戒用の逆探知機が装備されているので、
他の機体に比べると敵の襲撃を早めに予測できたこともあり、生存率は意外と高く、この8ヶ月間で、
投入機数延べ22機中、喪失は5機に過ぎず、しかも戦闘機に落とされたのは1機のみであった(その他は
対空砲によるもの)。
また、極少数機(5機前後)は海軍に移譲され、四式陸偵「祥雲」として正式採用され、「彩雲」と
ともに戦略偵察に活躍した。戦争末期には硫黄島への戦略偵察も行い、しかもそれを3度成功させて
いる。
しかし大戦末期には、整備工の不足によりハ-45は十分な性能を発揮しえず、さしもの高性能機も
その性能を発揮することなく撃墜されることが相次いだ。防御ゼロ、火力もほぼゼロに等しい
(後部機銃による撃墜記録なし!)この機体にとっては、速度性能を奪われることは致命傷であった。
終戦時には、第1073実験飛行隊以外にこの機体をまともに扱えた部隊がほとんどなかったことも、
このことを考えれば当然であったかもしれない。
・その後の物語
連合軍側から"gale"(暴風、または女性名)というコードネームを付けられたこの機体は、戦後
アメリカ側にテストされた結果、(II型が)時速735km/hを出し、完全に近い整備状態ならば、
文句なしに高速機としての真価を発揮することが出来ることを証明した。
この機体はスミソニアン博物館に寄贈され、現在「整備すれば飛行できる状態で」保存されている。
・幻の最速機
最後のIII型は、ドイツから輸入された2台のJumo-213液冷エンジン一式を搭載した試作機で、
1945年1月に完成し、テストが行われ、時速730.1km/hを出し、戦中の日本機の速度記録を出したが、
すでに日本にはJumo-213の整備部品など生産する余裕はなく、生産などもってのほかであった。
しかしこの機体は戦争末期に満州へ運ばれ、そこでソ連領の戦略偵察に数度用いられたらしい。
らしい、というのは、この件に関しての資料が日ソ戦のために焼失してしまったからであり、機体も
撃墜されたか、破壊されたか、またソ連側に鹵獲されたかすら不明である。
コメント
機体の元ネタは…機体の形と本文を良く見れば(分かる人には)分かると思います。
今回は競試初参加なので半分ネタ、半分性能追求で設計?を行い、詳しい時代背景は
無視です(爆)。
でも実際にこんな機体が出来てたら見に行きたいなあ〜。
絵はあまり上手くありませんが、どうかお許しを。
それと、機体性能は少々過大気味かも?
(各パラメータはかなり適当。重量・燃料計算は出来ないし…。)
そういうわけで皆さんよろしくお願いします。
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