満州飛行機 試作司令部偵察機

勝って帰らにゃ男じゃない!

満州とはなんだ!?

 満州国建国にあたり、多くの日本人がそこへ移り住んでいった。日本としてもこの国には力を入れていたため優秀な人材が集結しており、その教育レベルも相当に高いものがあったという。
 たとえば、満州国で生まれ育った胃袋3分の1の父親「頭髪9分の1」は、満州国の小学校ではクラスで真ん中当たりというごく普通の目立たない存在でしかなかったが、事情により開戦直前に帰国し愛媛県のとある小学校に通い始めたところ、あっという間に学年で一番になってしまい、すぐに級長を任されてしまった、などという事実もあった。(実話・・・少なくとも頭髪9分の1の言によれば)
 なお、胃袋3分の1が将来的には頭髪9分の1になるのではないかと恐れているというのは、公然の秘密である。

 そういうわけで、満州国民自体も自分らの優秀性に気がついており、色々な面で本土のように重要なイベントに参加できないのを不満に思っていた。
 これは飛行機開発においてもしかりであったので、陸軍から次期司令部偵察機試作の話が持ち上がったときには、本土の陸軍航空本部にまでわざわざ10人を超える人員を派遣して、満州国にある「満州飛行機」がどんなに優秀であるかを説いて回ったのであった。
 その甲斐あってか、あまりに多くの人間にくどくどと説明されるのに嫌気がさしたのか、陸軍はこの試作を満州飛行機に発注することにしたのであった。


これが満州だ!

 さて、受注に成功した満州飛行機の面々は、「そんなの当然さ〜」とは言いながらも初めての第一線機の発注であったので、個人個人は心の中でガッツポーズをしながら試作にとりかかったのであった。
 設計を始めるにあたって、最も重要視されたのは、当然の事ながら、
「どんな形態にすれば一目で満州飛行機の優秀性が理解されるか」
であった。
 そのため、まず注目を引く基本形態とするということは、設計会議の席において満場一致ですぐに決定された。そして、その結果で選ばれたのが、通常の単発機を左右に連結したような本機の形態であった。
 次に重視されたのが、
「美しいと言われること」
であった。
 そのためには、液冷機とするのが一番間違いなさそうなので、搭載する発動機はハ40にすることが決定された。幸いにして、発展型のハ140が開発されつつあるということだったので、要求値もクリアできそうであった。
・・・いや、実のところは設計陣はみな、
「オレらの設計した飛行機は抵抗が小さいに決まってるから、あんな程度の要求値なんか楽々クリアさ〜」
と思っていたのであった。
 それで、まあ抵抗を出来るだけ小さくするために、そこここに、これでもかっ!というほどの工夫が施されていた。
 しかしながら、試作は遅々として進まなかった。なんてったって設計陣は全員、
「オレってグレートだぜ〜!」
と思っているわけだから、自分の考えと違うデザイン思想のヤツがいると、やたらといちゃもんをつけまくるし、人の言うことなんざはなから聞いちゃいないのだ。
 それでも、あまりにも進捗が悪いのに業を煮やした社長が、古参設計技師の中では一番腕っ節が強く「戦うモンゴリアン」という異名をとっていた小沢技師をトップに据えたことによって、ようやく機体はカタチを成し始めたのだった。


われら満州!

 さて、完成した機体を見ていこう。
 右の胴体がパイロット用、左の胴体が偵察員用である。パイロット席のキャノピーは普通だったが、別に前を見る必要のない偵察員席のキャノピーは、とっても高さの低いデザインにされた。このまんまでは、全然旋回機銃なんか振り回せない。しょうがないので、要求にあった防御武装はコクピットの前に固定に装備されたのであった。そう、まるで戦闘機のように。彼らの言い訳は、
「前から来る敵にはとっても有効だよ〜」
ということであった。
 ラジエータは中央翼前縁である。わざわざ胴体から出っ張らせて抵抗を増やすなんて事は、優秀な満州飛行機の設計陣は当然の事ながらしないのである。しかしながら、オイルクーラーは左右各々の機首下面に設置された。設計陣曰く、
「あんまり遠いところに持っていくと、パイプが長くなって重量がかさむし、故障の元だろ?」
だそうである。なぜかこの理屈は、ラジエータには適用されないらしかった。


飛び出せ満州!

 遅れに遅れて、昭和19年2月になってしまった初飛行は、とりあえず何の問題もなく成功した。問題があったとすれば、あんまりにも内地から遠いんで川崎のエンジン部門がまだ制式採用前で台数の揃わない貴重なハ140を出し渋ったことだろう。しょうがないので、試作1号機にはなぜかそのへんに転がっていたドイツ製のDB601Aを搭載した。おかげで、トラブルも少なく、試験は順調に進んでいった。
 もっとも、当然の事ながら性能は予定値より低く、陸軍に引き渡された後も、最大速度は640km/hほどしか出なかった。それに対して、満州飛行機の設計陣はもちろん、
「このエンジンでガマンして試験してやったんだから、そんな当たり前のことをウダウダ言うな!」
と、陸軍関係者を一括したのであった。


満州時代が〜夢なんて〜!

 試作2号機以降のことははっきりとした資料が残っていないので、今となってはよく解らない。制式採用されたのかもはっきりしない。一説によると、試作2号機には当初の予定通りのハ140が搭載されたらしいが、その試験結果についても資料が残されていない。
 三式戦で手こずったとおり、このハ140にもトラブルが頻発して、全然予定性能が出なかったという噂もあるらしい。しかし、当時の満州飛行機関係者はみんなそのことを忘れてしまったようである。誰に聞いても、
「ああ、そういえばそんな飛行機もあったなぁ〜。・・・性能?さあ、ワシがテストした訳じゃないから、そこまでは判らんねぇ・・・」
と、判で押したように同じ返事が返ってくるのであった。
 しかし、もっと別の噂では、ハ140はきっちり出力を出していたにもかかわらず、予定性能に全然届かなかった、というものもあるらしい。あの、満州飛行機が造った機体にそんなことはあるはずはないと思うのだが、もはやすべては闇の中である・・・。


胃袋3分の1からのコメント:
 久々にノモさんに頼まれて設定の文章を書いてみました。
 この路線で良いとの事でしたので、根っからすちゃらか者の私は燃えました(笑)。ネタは比較的高年齢者を対象としておりますが、とりあえずノモさんには解っていただけたのでワタシ的にはおっけーです(笑)。
 しかしこの文章、自分の作品のより出来が良いような気がするのは気のせいでしょうか・・・(^^;;;;;