次期主力中戦車「MT−1」の開発は日本陸軍が受けたひとつの衝撃から始まることになる。
衝撃とはT−34戦車であった。国境を巡る小競り合いの中で存在は知られていたソ連製中戦車T−34と出くわした日本帝国陸軍戦車中隊
は恐怖を味わい尽くすこととなる。同中隊に配備されていた戦車は日本陸軍の主力である一式中戦車であり、日本陸軍には珍しく定数一杯十
六両が配備されていたのである、その日本陸軍が最新鋭と疑わない一式中戦車が配備された戦車中隊が数両のT−34(3両と言われている
)と遭遇し半数以上の一一両が撃破されたのである。
これだけの犠牲をはらいながらも一式中戦車によって撃破されたT−34は一両も存在しなかった。ただ救いなのは歩兵部隊による肉薄攻撃
によって三両中二両のT−34を撃破し回収できた事であった。回収したT−34を本国へ持ち帰り調査した結果、日本陸軍の装備している
すべての装甲車両を遠距離で容易に撃破可能であり、逆に日本陸軍の最新鋭であるはずの一式中戦車であってもT−34を撃破するには側面
に回り込んで後部のエンジン部分を狙うしかなく、砲塔前面に至っては貫通は不可能と判断されるほどであった。
この事実から陸軍首脳部ではT−34を一撃で撃破できる車両を欲したのである、そして開発が開始されたのが「MT−1」後の五式中戦車
である。
試作中戦車「MT-1」の開発に当たって軍令部?より出された仕様要求は以下の通りである。
車 種 :中戦車
重 量 :35t以下
武 装 :(1) 主武装:口径105mm以上×1
(2) 副武装1:対戦車砲制圧が可能なもの×1
(3) 副武装2:歩兵制圧が可能なもの×1
最 大 速 力:時速40km以上
航 続 距 離:200km以上(路外)
最 大 装 甲 厚:100mm以上
用 途 :対戦車戦闘
特記事項:主武装は旋回砲塔に装備すること(固定砲室は不可)。
以上のような要求が出され、開発がはじまることになる。
そして、開発されたのが、「MT−1a」「MT−1b」の2種であった。
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諸元
乾燥重量 38.0t
戦闘重量 44.0t
乗 員 5名
全 長 10.50m
車 体 長 7.50m
全 幅 3.50m
全 高 2.65m
発 動 機 BMW改造水冷型12気筒ガソリンエンジン
出 力 750HP
速 度 46km/h
航続距離 230km
装 甲 115−15mm
武 装
主砲 五式105o62口径戦車砲
副砲 一式47mm戦車砲
機銃 12.7mm車載重機
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諸元
乾燥重量 38.5t
戦闘重量 44.5t
乗 員 5名
全 長 10.50m
車 体 長 7.50m
全 幅 3.50m
全 高 2.65m
発 動 機 BMW改造水冷型12気筒ガソリンエンジン
出 力 750HP
速 度 45km/h
航続距離 210km
装 甲 115−15mm
武 装
主砲 五式105o62口径戦車砲
副砲 一式47mm戦車砲
機銃 12.7o車載重機
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---兵装(攻撃力)---
「MT−1a」「MT−1b」ともに兵装は同様の物を装備方法を変更して装備している。
「MT−1a」は主砲、副砲、機銃を同軸で砲塔にまとめて装備されている。対して「MT−1b」は主砲、機銃を同軸で砲塔に装備し、副砲
は車体正面左側に装備される形となっている。
甲、乙型共通で砲塔上面に12.7mm機関銃が対空自衛用に装備され、乗員のうち2名は100式機関短銃を護身用として装備することになる。
装備される各兵装に関しての詳細は下記を参照していただきたい。
また、砲塔は日本戦車としては、初めて砲塔バスケット構造が採用されている、これまでの一式中戦車では、戦闘室の床は、即車体の底板であ
った為、装填手は砲塔の旋回に合わせて移動しなくてはならなかった、それを開発に当たって砲塔の動きに連れて回転する砲塔バスケット構造
が採用されている、この構造を導入したおかげで装填手は装填動作だけに集中でき動き回らなくて良いことから装填速度も従来のタイプと比べ
ると向上している。
砲塔バスケット構造は、ドイツ軍、アメリカ軍の戦車では採用されていたが、ソ連、イギリス製戦車では導入されておらず、日本戦車でも初採
用でだった。
@主砲:五式105mm62口径戦車砲
主砲選定段階で既存野砲の使用を考えていたが、諜報活動でソ連軍が「KV」戦車と呼ばれる新型戦車を配備しており、同戦車の装甲が最大
厚で75oを越えることが判明したのである。この情報から「KV」を撃破するには現状の一式中戦車が装備している長砲身57mm戦車砲で
は不可能と判断され、現存する野砲であっても装甲を貫通させるのは難しいと判断されるにいたった。「KV」を一撃で葬ることを目標に開
発がはじまったのが五式戦車砲、正式名称「五式105o62口径戦車砲」である。
新規開発に当たっては、新規開発、既存砲の改良の両方が検討され、開発期間を短縮する意味から既存砲の改良を行なうこととなる、この時
目を付けられたのが、海軍が使用していた九八式100o65口径高角砲である、同砲は高初速で知られており、これを叩き台として開発さ
れることになったのである。
五式戦車砲の開発には困難が付きまとったが記録的な速度で進み試作品が完成してみると、元が優秀な砲だけあって開発された五式戦車砲も
十分な性能を発揮し、1000mで210mmの装甲板を貫通する事ができ、完成時点で存在していた戦車のほとんどを2000m以上で撃破
する事ができる性能を持っており、テストの後、即生産が開始されることになる。
五式105mm62口径戦車砲
口 径:105o 初 速:980m/s
砲 身 長:6510o 弾 種:徹甲弾・被帽付徹甲弾・徹甲榴弾・榴弾
砲身重量:3140Kg 貫 徹 力:1000m -- 210o(徹甲弾使用時)
A副砲:一式47o戦車砲
主砲に開発力を取られた結果、こちらは既存砲で納得するしかなかった。
選ばれた物は一式47o戦車砲が使用されることになる。
一式47o戦車砲
口 径:47o 初 速:810m/s
砲 身 長:2256o 弾 種:徹甲弾・徹甲榴弾・榴弾
砲身重量:410Kg 貫 徹 力:500m -- 58o
---車体・砲塔---
これまでにない大口径砲の搭載による重量増加、発射時の反動を抑える意味から、過去に試作された重戦車を除いて初めて全長7.0m、重量
35トンを越えることとなった。要求段階で35トンとの提示があったが設計、試作を行なった結果、十分な防御力を持たせて要求される、火
砲を搭載した結果、要求重量を乙型で3.5tほどオーバーしてしまったのである。この状態の車体には弾薬、燃料、各種オイル、装備品が搭載
されていない状態での重量であり、すべてのものを搭載した戦闘重量では44.5トンと現状主力として使用している一式中戦車の3倍近い重
量となっている。
装甲
装甲材としてはニッケルクロムもリブデン鋼が採用されており、車体、砲塔はこれを溶接してくみ上げられている。
装甲板は敵弾をはじくような傾斜角を持たされおり、砲塔前面、車体前面は最大で115oの厚さがあり、過剰な防御力だと非難されるほ
どであった。
各部装甲厚(mm)
砲塔 車体
前面 115 前面 100
側面 50/35 側面 50/35
後面 85 後面 85
上面 30 上面 30
底面 15
発動機
発動機は防御の観点から発火しにくいディーゼルエンジンを採用したかったが車体重量に見合う出力を持ったものが無かったことからガソ
リンエンジンを採用することになり、BMW社製水冷型12気筒ガソリンエンジンが選べれることになる、もともとの出力は800馬力であ
ったが出力が過大なため各部に負担を掛け兼ねないことから出力を650馬力まで落とす改造が施されている。
足回り
捕獲したT−34を調査した結果得られたクリスティー式サスペンションを採用したことにより今までに経験したことの無い車体重量であ
るにもかかわらず、サスペンション関係の不具合はほとんど無かった。
使用できぎりぎりのまで幅を広くした履帯を採用したおかげで不整地での機動性は申し分なく、操作性に関しても一式中戦車より良いくら
いであった。
本車両は設計完了を待たずに設計が完了した部位から生産に入ることになる。これによって陸軍側がどれほど本車に期待していたかが伺えると
思う。
車体が完成しダミー砲塔を搭載した上での走行試験を行なった結果、陸軍の期待は決定的なものになる。初の走行試験だというのにまったく問
題を感じさせない走行を行なったのであった。そこで陸軍は試作型を各四両に加え増加試作として各二〇両の先行生産を決定したのである。
増加試作型の内訳を書きますと、増加試作型による中隊規模の運用試験用に一六両+予備二両、対弾試験用に二両、各種試験、研究用に4両と
なっている。この先行量産を行なうために北海道、室蘭に建設中であった戦車工場を当てたほどであった。それに加え陸軍は運用試験が完了し
ていない状態であるにもかかわらず、「MT−1a」「MT−1b」の共通部分の生産命令を出したのである。
このこともあり一時期、戦車工場の広大な敷地には100両以上の砲塔無し、前面装甲板未装備の車両がキャンバスをかけられた状態で並ぶと
いう事態も発生していた。
肝心の各種試験のほうだが、中隊規模の運用試験は実際使われると思われる、満州へと送られ、実戦的な試験を繰り返し「MT−1」に存在す
る問題をすべて洗い流すことになっていたのである。不具合が発見されると、不具合の解消された部品が1週間ほどで内地から輸送され、それ
を装備し再び試験が行なわれる。試験の途中で各部に不具合の生じた車両が内地に送り返され、替わりに問題点の解消された新たな車両が届け
られるといった具合で試験が行なわれた。
内地でも各種試験が行なわれており、最も重要なものとして対弾試験があった。
対弾試験には「MT−1a」「MT−1b」各二両が計四両が使用され、いろいろな角度からの対弾試験が行なわれた、この中で判明したのが
「MT−1b」の装甲防御の不備であった、元々100o近い厚さがあり、十分な防御力を持っている車体前面に穴をあけ副砲を装備したこと
からこの部分が防御の弱点になってしまったのであった。
この事から正式採用は「MT−1a」になるかと思われたが、ここでも問題が出ることになる。主砲と副砲を同軸で装備した事により砲担架が
かなり複雑になってしまったのである。例をあげるならば、「MT−1a」の砲周りの工数は「MT−1b」の倍工数がかかり、さらに操作性
も悪くなるという、どうした物か迷う状態になっていたのである。
これに対しての判断は早く副砲の装備を取りやめる決定がなされたのである。(国境の向こうに勝てない敵がいたからであろうか?)
この事から「MT−1a」「MT−1b」と分かれて生産が行なわれていたラインが統合され昭和20年1月本格生産が開始されることになる
、これとあわせて、「MT−1a」「MT−1b」から名称を「五式中戦車一型」へと変更され陸軍の装備体系へ組み込まれることとなる。
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諸元 乾燥重量 36.5t 戦闘重量 42.5t 乗 員 5名 全 長 10.50m 車 体 長 7.50m 全 幅 3.50m 全 高 2.65m 発 動 機 BMW改造水冷型12気筒ガソリンエンジン 出 力 750HP 速 度 45km/h 航続距離 250km 装 甲 115−15mm 武 装 主砲 五式105o62口径戦車砲 機銃 12.7o車載重機 |
昭和20年1月時点で五式中戦車各型の配備数は運用試験を行なっている機甲学校所属の第一〇三機甲教導旅団内の第四中隊、第五中隊配備の 34両と一式中戦車から五式中戦車への転換の始まった第五師団(転換後、第五機甲師団へ改名)の6個戦車中隊の装備する96両、同じく五 式中戦車への転換の始まっていた第一戦車師団(転換後、第一機甲師団に改名)の6個戦車中隊の装備する96両、新たに編成されることにな った第七機甲師団の6個戦車中隊の装備する96両、その他に少数が操作等に慣れさせるために各部隊に配備されており、配備総数は360両 近くになっていた。 生産に関しては北海道の戦車工場の生産ラインが拡張され1月時点で月産100両前後に達していた。しかし、量産が本格化した時点で問題が 発生したのである。 五式105mm62口径戦車砲の生産が追いつかなかったのである、この時、海軍から救いの手が差し伸べられることとなる、海軍用に五式中戦 車を80両引き渡すのと交換に海軍工廠内での五式105mm62口径戦車砲の限定的生産(陸軍側での生産が軌道に乗るまで)、さらに海軍内 で新型128o両用砲への艦載高角砲の装備改変で余剰になった九八式100o65口径砲の無償提供を申し込んできたのである。陸軍はこの 申し出に飛びつくことになる、この時点で工場には砲身待ちの車両が100両近く有り、これに九八式100o65口径砲を搭載し海軍に引き 渡せば海軍からは砲身が届くのである。海軍へ80両を引き渡しても九八式100o65口径砲は200門近くも残っており、陸軍は本来の装 備ではない100o65口径砲装備車両を200両近く配備することになる。この九八式100o65口径砲を装備した車両は名義上「五式中 戦車一型甲」と命名されることとなった。しかし、五式戦車砲の生産が軌道に乗ると、補給の問題から砲弾を統一するため砲を換装し五式中戦 車一型と同様の装備に変更されることとなる。 海軍による砲の製造、供与があり以後の製造は遅延も無く順調に進み、同年5月にはさらに5つの師団が戦車師団へと改編されることになる。 これまでに改編された師団とあわせると5月時点で計8個師団が戦車師団になり、五式中戦車の配備数は800両近くになっていた。 この改編された8個師団は諜報活動よりソ連軍の国境集結が確認されたこともあり7個師団が満州方面へ、残りの1個師団が南樺太に配備され ることとなる。この部隊移動は厳重に隠蔽されソ連軍の奇襲が行なわれる日まで殆どの部隊がその存在を知られること無く過ごしたのであった そして運命の8月8日、ソ連軍が侵攻を開始したのである。この時点で日本軍は彼我の戦力差から防御を断念、満州を放棄することを決定、最 終防衛線として朝鮮半島を死守することを決定していたのである。在満邦人の避難の為の時間を稼ぐために戦車師団が機動防御戦に投入される ことになる。ところが実際戦ってみた所、巧みに構築された陣地と戦車部隊による機動防御、海軍の長距離爆撃機によるソ連軍補給線への爆撃 などにより、逆にソ連軍に多大なる出血を強いる事になる。その中で戦車師団に配備された「五式中戦車」の活躍は目を見張るものがあった、 五式中戦車は2000m以上でT−34を撃破できるのに対してT−34は1000mをきっても五式の前面装甲を貫けなかったのである。 五式は前面を見せている限り安全であった。戦闘開始から1ヶ月がたち5式の損失数は前線線合計でおおよそ100両、そのうち、敵戦車の火 砲により撃破された車両は2割程度に過ぎなかった。それも旋回中を側面を狙われた車両が殆どであり、前面装甲を貫かれた車両は皆無であっ たと言う、残りは重砲射撃により車体上面を打ち抜かれたものが2割、後退戦闘中に車両故障により放棄されたものが6割であった。 これに対してソ連軍の失った戦闘車両は、各種合計だが2400両近くに達していたようである。日本軍が確認した五式による戦果だけでも1 500両近くになっていた、重複した戦果を除いたとしても1000両は越えていたことは間違いないであろう。 9月を過ぎたあたりからソ連軍の動きは鈍くなっていく、補給線への海軍陸攻隊による攻撃と、ここ1ヶ月での損害が効いていたのであろう、 10月を過ぎるとソ連軍のかなりの部隊が部隊が燃料、弾薬、食料等の各物資の欠乏に悩まされていたようである。それに引き換え日本軍は内 地からの増援部隊の到着が相次ぎ補給も滞りなく行なわれたことから開戦当初の倍近い戦力へと膨れあがっていた、特に5式中戦車装備の機甲 師団の増強は著しく、従来からの7個師団+2個中隊に加え新たに6個師団+増強戦車連隊2個で650両近く増強され、損害分も補充されて おり、この方面に配備された5式は総数で1450両を越えていた。これはこの方面に現存するソ連軍装甲戦闘車両の半数近くになっていた。 実際の戦闘力で比べるならばソ連戦闘車両群と同等以上の戦闘力を有していたことになる。 その中で計画されたのが「ホワイトアロー作戦」ソ連領内侵攻作戦であった。 作戦内容としては、バイカル湖以東を占領すると言う広大な作戦であった。作戦が失敗した場合戦線が崩壊しかねないとの反対意見もあったが 戦闘開始時点に比べソ連軍の兵力が半数近くまで減っていると判断された点、海軍陸攻隊による補給線への爆撃が効果的に行なわれておりソ連 軍の補給状態が悪化しており、燃料弾薬にも事欠く状態であることが判っていたからであった。 作戦開始は奇襲効果を狙い1月とされ作戦が承認されると準備は大車輪で行なわれることになり、作戦開始までの3ヶ月の間に準備が進められ ることになる。この期間内にさらに2個機甲師団が増強されその他の各部隊も必要以上の補給を受け着々と戦闘準備が整えられていった。 12月を過ぎるとソ連軍の補給状態はさらに悪化し殆ど行動の自由はなくなっていた。 そして、1月1日突如として全戦線で日本軍がソ連軍陣地になだれ込む「ホワイトアロー作戦」が開始された瞬間であった。 冬季に攻勢をかけてくるとは考えていなかったソ連軍は大混乱に陥ることになる、一部補給状態の良い精鋭部隊による反撃も行なわれたが兵器 の質、補給状態がまったくかけ離れており、日本軍機甲部隊に蹴散らされる結果となる。ソ連軍は後退しつつ物資の許す限りの戦闘を行なった が、奇襲開始3日目以降、物資も底を尽き次々と日本軍に投降することになる、中には投降を拒否し玉砕する部隊も存在した。 その後の部隊の進軍は順調に進み、ソ連軍と交戦する事もあったが補給状態の悪い部隊か、奇襲攻撃時に装備を放棄して後退した部隊が主であ り装備、補給ともに問題のない日本軍の敵にはなり得なかった。その後ソ連軍は独ソ国境からの部隊の引き抜きを行い順次投入したが、補給線 であるシベリア鉄道が海軍陸攻隊による攻撃によりバイカル湖以東が機能していなかったため戦線への移動は自力で行なわなくてはならず、戦 線に到着した時には戦力が半減している状態で各個撃破の失敗を何度となく犯すことになる。 作戦開始から3ヶ月後、作戦通り日本軍主力がバイカル湖に到達した。この時点で作戦目標の達成を確認しバイカル湖に防衛線を築きソ連に対 して停戦を提案した、甚大な損害を受けたソ連は停戦を受託し、ここにソ連軍の侵攻により始まった戦闘は日本軍の勝利で幕を閉じたのである その後、シベリア地方は戦時賠償として日本の手に残り、開拓され日本の資源供給基地と化し大いなる潤いを日本にもたらすことになる。 |

製作者の戯言・・・
はっきり言って日本戦車じゃないです。重量もオーバーしてます。
許してください。期日も守れませんでした・・・m(_'_)m
設定上正式採用されたあとの話もありますが、審査上は無視してください。
あぁ〜、重量オーバーだから最初から選考外か(^^;;;
冬季迷彩仕様の戦車のお話も書きたかったが書ききれなかった・・・すべて、仕事が悪いのだ〜〜
ではでは、いい加減な設定ではありますが、皆様に楽しんでいただけたなら幸いです。
誤字脱字はお許しくださいm(_ _)m
2002/01/05 JT
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