IJA, Medium Tank Type 5 "CHI-RI"
日本陸軍 五式中戦車 "チリ"
五式中戦車
図は一号車

 本車は帝国陸軍で採用された中戦車の中で、最も奇怪で異形な存在である。

 昭和一八年六月。ニューギニア方面で戦況が悪化していく中、陸軍は九七式中戦車に変わる時期主力戦車──いわゆる四式中戦車の開発を正式に決定した。
 その一方で別の戦車の開発も計画される事となった。
 これが、後に「幻の日本陸軍最強戦車」と呼ばれた“鬼っ子”五式中戦車である。

 開発に当たって五式は、次期主力戦車たる四式中戦車を支援すべき重戦車となることを求められた。つまり、独軍の五号と六号(あるいは三号と四号)戦車のような、万能戦車と重戦車の二つを日本陸軍でも整備しようとしたのである。
 しかし、国力に劣る日本で重戦車を対戦車任務にしか使わないのは贅沢だと考えた陸軍は、出来うるなら対戦車砲制圧用兼歩兵支援用の火力を主砲以外に備えたかった。
 こうして参謀本部は、口径一〇五ミリ以上の重砲を主砲としながらも、対戦車砲制圧用の副武装を装備せよなどという無茶を要求仕様に持ち込むこととなったのである。

 当然開発は難航し、設計開始から半年は武装の選定から配置に至るまで様々な計画が立てられた。後の五式内火艇のごとく一〇五ミリ主砲を固定装備し小口径砲を砲塔化して装備したものや、米軍のM3中戦車のように射界が半分しかないような形式にしたものまで考案されている。
 だが、そのような形では実戦投入した段階で問題が噴出することは明らかであった。
 しかも、迷走していた半年の間に戦局は更に悪化し、参謀本部からは“とにかく早く作れ”という事態に追い込まれることになってしまう。陸軍としては、ともかく使える戦車が“今”必要なのであった。

 そこで、八方ふさがりになった開発側では「むしろ五式をやめて四式に開発資源を集中したほうが良いのでは?」という意見を陸軍上層部に送ることにした。ところが上層部は、総力戦の最中に一方に肩入れして、一方がこけたら皆こけたなどという事の無いよう両方作れ、と安全策に走ったのである。
 結局、開発側は戦車関係者の支持多い四式を主軸に開発をする一方で、五式をまともに経験のない若手とすでに老齢の技術者達(当然副流)に押しつけた。

 五式を押しつけられた側は、全員燃えた。というか、切れた。完全にお荷物扱いされていることにたえられなかったのである。
 こうして彼らは一致して“反乱”の決意を固めることとなった。彼らの存在意義を示すために。

 彼らの至上命題は至極簡単なものであった。
 「四式よりも早く作る」。
 どうせ出来なくてもいいと言った連中に冷や水をぶっかけるべくあらゆる性能の向上は(四式のそれと比べながら)無視されることとなった。

 うち立てられた基本方針は

   1、新技術は使わない
   2、敵戦車を撃破できる現在有る砲を載せる
   3、エンジンは転用
   4、対戦車砲制圧はおまけ

 という簡略化に徹底的にこだわるものとなった。

 まず、車体デザインは基本的に一式の拡大型として設計することとし、かつ出来る限り直線で構成することとした。そして、後部にエンジンを、前部にはクラッチが搭載された。今までにこの形式でしか戦車を作ったことがなかったので、そのほかのデザインにした場合どんな問題が発生するか不明だったためである。同時に、被弾経視を重視した車体にすることも諦めた。砲塔のバスケット方式も採用していない。
 さらには、鋳造製作という技術も不安だったため四式で計画されていた砲塔の鋳造製作も諦め、車体もひっくるめて溶接で製作することとした(現在では四式班に対する当てつけだったのでは? と考える人間もいる)。

 主砲には、将来試製一〇・五センチ高射砲から転用した戦車砲を搭載する予定だったが、間に合いそうもないと言うことで四年式15センチ榴弾砲を主砲として採用した。これなら(初速は遅いものの)砲弾重量でたいていの戦車は撃破可能であった。

 エンジンには中古のBMW五〇〇馬力航空機用エンジンが搭載された(五五〇馬力にする予定であったが、デチューンに面倒をかけたくなかったのでこの程度でよいと諦めた)。

 さらに、対戦車砲対策としては砲塔上部に奮進弾を(申し訳程度に)載せることでごまかした。

 昭和二〇年一月。作業は迅速に進み、とりあえず二台の試作戦車が完成した。参謀本部からえらい人がやってきた。彼らの目の前には、主砲に榴弾砲、頭の上にはロケット発射用の鉄骨レールを載せた「どこから見ても砲戦車」というモノがあった。二号車に至っては鉄骨レールすら乗っていなかった。陸軍参謀本部からは詐欺だと言われる羽目になった。

 しかし戦局は更に悪化していた。フィリピンはすでに陥落している。陸軍はこの馬鹿戦車をどこで使うか悩んだ。開発した大尉は言った。沖縄で使いましょう。誰がこんなのに乗るんだ。私が乗ります。

 上層部では、少なくとも一式よりは強いだろう戦車ということで、少しだけ生産する事にした。
 突貫工事で三号車以降が製造された。沖縄に一台でも多くの戦車が必要とされたためだった。四号車以降は主砲用の四年式一五センチ榴弾砲が足らなくなった。そのため三八式一五センチ榴弾砲を改造して搭載した。
 こうして何とか六両が完成した。急ぎ船が手配され六台の五式は沖縄に送られた。
 沖縄に到着したたった六両の新鋭戦車は、第三十二軍直属の戦車中隊として編成された。

 そして同年四月──
 米軍が沖縄に上陸を開始した。
 だが、六台の五式は洞窟陣地でじっと息を潜めていた。軍直轄であるため総予備に組み込まれた五式は、前線に投入されなかったのである。
 彼らは焦った。この戦車で──日本陸軍最強の装甲車両で敵戦車を撃破することを求めていた。

 そして、司令部は長期持久という方針を放棄する。彼らもまた防戦一方という立場に立たされることに耐えられなかったのだった。
 大規模な反撃が企図された。
 五式を作ったもの達は喜んだ。前線に行ける。この戦車で、アメリカの戦車を撃破する機会が得られる。アメリカ戦車の撃破。それこそが、彼らを日陰者扱いした(未だ四式を完成させていない)人間どもに対する最高の当てつけなのだ。

 四月十二日、六台の五式は米軍戦車部隊の反撃に対する切り札として前線を進撃した。彼らは待っていた。ニューギニアで、レイテで、硫黄島で、帝国陸軍が苦汁をなめたアメリカ製戦車がやって来ることを。

 やがて──米軍の反撃が開始された。

 五式の前に現れたのは戦車ではなかった。嵐のような砲弾の雨だった。日本軍の無謀な反撃を頓挫させるべく米軍陣地に据えられたあらゆる野砲、重砲が火を噴いたのだ。沖合に遊弋する艦船もこれに加わった。

 そして、米軍の反撃開始から一三分後──
 アメリカ戦艦から放たれた口径四〇・六センチの榴弾によって、五式中戦車はただ一度も主砲を放つことなく全滅したのである。


□「五式中戦車」/チリ 要目
 ■自重:35t  ■全備重量:42t  ■乗員数:5名
 ■車体長:6.5m  ■全幅:3.05m  ■全高:2.8m
 ■発動機:BMW水冷V型一二気筒ガソリンエンジン改/500馬力
 ■装甲厚:砲塔/前面100mm 側面35mm 後方50mm
      車体/前面 75mm 側面25mm 後方50mm
 ■武装:五式一五センチ戦車砲(一五口径)  1門(42発)
     九七式七・七ミリ車載機関銃     1門(2000発)
     試製四式一五センチ奮進砲(45度固定)30門(30発)
 ■最大速度:時速42q
 ■航続力:200q

■後書き

 初めまして。初めて投稿する水上隆蘆といいます。
 日本陸軍は太平洋戦争ではまともな戦車を持ってなかったわけで、少しは満足いく戦車がないものかと悩んだ末に到達した結論がこれです。ていうか、戦車じゃない。発注した側もこんなもん見せられたら詐欺だって思うでしょう、きっと。大体、対戦車砲の制圧なんて奮進弾じゃなく主砲で撃った方が早い(爆)。

 一応コンセプトは「(陸軍で)有るもので」「早く作れる」もの。そのため海軍砲の転用は諦めました。ところが、口径五センチ以上の砲でまともな対装甲破壊力有る砲がないんですよね、陸軍は……。そんなわけで、“初速がないなら大口径化”と、無理矢理力業で解決です。
 量産されていればそれなりの戦果も上げられたとは思いますが、アンブッシュにしか使えそうもない(大口径過ぎて連射なんか不可能なため)戦車ですよね。ま、防御の拠点になればいいからいいか、な?


[前へ戻る]