合衆国 ホーネット級航空母艦「パールハーバー」
United States Hornet class Aircraft Carriers 「Pearl Harbor」


完成直後 側面図
アメリカ海軍航空母艦 「パールハーバー」(CV‐9)
図面作製 長楽寺鶴川画伯





T 概説

1940年8月提出の要求を元に建造された大型航空母艦。
この際に提出された要求の内容は下記の通りです。

    基準排水量: 27000t
    搭載機数: 100機以上
    備砲: 機銃装備に充分なスペースを確保する事
    用途: 攻撃型大型空母
    特記事項: 飛行甲板以外(格納庫等)からも搭載機発進機能を持つこと。

以上の要求に基づき、実際に建造されたホーネット級の緒元が下記のものになります。
なお、注記がない限り数値は完成時のものです。

    基準排水量:25500t
    満載排水量:34500t
    全長:254,5m
    最大幅:29m
    飛行甲板:250×35m
    主機械:スチームタービン4基4軸
    缶:ハブコック&ウィルコックス缶4基
    出力:150000hp
    速力:32.7kt
    航続力:20kt−11000海里
    武装:40mm4連装機関砲13基(右舷スポンソンに6基、艦橋前後上部に7基)
          20mm単装46挺(右舷に26挺、左舷に20挺)
         (竣工後、対空火器は戦訓により随時増加)
    搭載機:100機が搭載可能
    特殊装備:格納庫床にH4B型カタパルト1基(船体中央右舷正横方向に固定装備)


U CV−8、9(ホーネット、パールハーバー)建造に関する経緯 本来、この二つの艦番号は第一次ヴィンソン法案計画艦として 39年度中には起工されているべき空母に与えられる存在でした。 予定通り建造されていれば恐らく1941年末の日米開戦前後には完成し、 米海軍最大の試練となった1942年の戦いに馳せ参じる事が出来たことでしょう。 歴史にIfはありませんが、「もし」この両艦が間に合う事が出来たなら… 同年10月のサンタクルーズ沖海戦でエンタープライズとレンジャーが沈められ 南太平洋で作戦可能な米空母が丸一ヶ月間消滅する。 そんな最悪の事態が回避できたであろう事は容易に想像がつきます。 しかし、それは成りませんでした。 この2隻が完成したのはまさにその42年の10月と12月。 何がこの2隻をして此処まで完成を遅延させたのでしょうか? 原因は、戦前の米海軍が抱えていた艦上機運用方法に関する混乱だと言われています。 1930年代に入り航空機が高性能化、大型化、大重量化の傾向を強めてきた事は 空母関係者にとって実に頭の痛い問題でした。 発艦、着艦に必要とするスペースが著しく増大し、それはかつて可能であった 艦載機の同時発着艦を不可能のものとしたからです。 多段型飛行甲板を採用した日本海軍の空母は大規模な改装を余儀無くされましたし、 同様の方式を採用した英空母も、発艦専用甲板の使用を断念します。 駐機中の機体を脇に寄せて着艦スペースを確保する、という方法も 単葉機の特性を考えるなら(全幅が大きく、横滑りしやすい)もはや危険なものでした。 しかし、艦載機の発着艦に必要とする時間が短ければ短いほど有利な点は変わりません。 空母に与えられた任務が多重なものであれば、それはなおさらの事です。 戦前の米海軍が航空母艦に期待していた役割とは、大きく3つ。 1、主力艦隊上空に戦闘機の援護を差し掛ける事 2、艦隊主力前方を疾駆して敵の有無を確認する事 3、2でもし同種の敵が存在していた場合、独力で之を排除する事 いずれも繁雑な発着艦動作を、迅速に行う事が要求される任務です。 とりわけ、3の対空母戦の場合、 発着艦に必要とする時間の短縮は死活問題といって過言ではありません。 同種の敵(つまり日本空母)を攻撃可能な範囲に発見するという事は、 自らも、いつ敵からの攻撃に曝されてもおかしくない事を意味します。 先制攻撃を避けるためには、とにかく索敵機を出して先に発見する事。 そして、敵発見後は直ちに攻撃隊を差し向ける事になります。 しかし、これには大きな問題がありました。 先制攻撃には攻撃隊が飛行甲板で即時発艦可能な態勢にあることが望ましいのですが、 索敵機が帰還してきたり、母艦上空や主力艦隊上空の直援機が帰還してくると 攻撃隊機は艦内に収容するなり艦首部に移動させるなりする必要が生じます。 一時的な攻撃隊発艦不可能状態にあるその瞬間に敵発見の報告が入ればどうなるか。 あるいは切迫した空母戦の際中、 攻撃隊機の整列中に先発の攻撃隊が帰還してきたらどうなるのか。 その場合、着艦と帰還機の艦内収容が終わり飛行甲板後部での再整列が済むまで、 攻撃隊機は全く発艦の機会を掴めない事になります。 そのような事態が、可能性としては低いものの絶対に無いとは言い切れない以上、 (現にミッドウェーで日本空母は後者の事態に直面して壊滅の憂き目に陥っています) 発着艦のタイムラグを少しでも短縮するべく最大限の努力が払われる事になりました。 改善策は複数提出されました。 前作ワスプで初めて装備されたサイドエレベーターの継承、 庫内カタパルトの大々的な活用で飛行甲板を着艦専用甲板とする案、 空母を後進させて艦首から逆着艦する案、 複数機を同時に昇降可能な大型エレベーターを装備する案、 英空母アークロイヤルを真似て後部飛行甲板を思い切りオーバーハングさせ 飛行甲板中央にエレベーターを集中装備する案など多様なものでした。 この討議は第一次ヴィンソン法案での空母建造計画を巻き込み、 延々と結論を得ないまま各方式の検討と実験、機器の試作が続けられます。 埒のあかない委員会に見切りをつけ、ともかく従来型の空母を 一隻建造しようという話もありましたが何故か実現しませんでした。 限られた予算の中で、既存空母の艦載機の更新を優先したからだと伝えられています。 結局、第一次ヴィンソン案ではシマロン級給油艦の内4隻に艦上機運用能力が 追加されただけに留まり、(フライトデッキ・タンカー=TFという珍妙な艦種記号が 与えらたサンガモン級、後CVEに艦種記号変更) 本格空母は次の機会に一括して建造されることになります。 次の機会、それが1940年8月に出されたこの要求でした。 米海軍艦船局は、委員会の検討で最優秀と考えられた2案を元に設計を開始します。 CV−8、9は複数機を同時昇降可能な空母として、昇降飛行甲板方式を採用する事になり サイドエレベーター装備の後発CV−10級とは対照的な進化を見せる事になったのです。
V 航空儀装 昇降飛行甲板方式とは、250mの一枚飛行甲板を前から40、170、40mと三分し、 飛行甲板前部と後部に飛行甲板位置から格納庫床面までの昇降機能をもたせるという、 換言するなら超大型エレベーターともいうべき構造です。 格納庫床面まで下降させた後部飛行甲板上に、中央の飛行甲板固定部下の格納庫で 整備した機体を一気に(機種、及びその状態によって変動しますが)数機から数十機 移動させ、飛行甲板の水平位置まで上昇して艦載機を発艦位置につかせると共に、 同時に前部飛行甲板も飛行甲板水平位置で固定して滑走面積を最大限確保します。 反対に艦載機が軽荷状態にある着艦時は、 中後部甲板合計217mに艦載機を着艦させる一方、前部飛行甲板が収容作業を行い、 格納甲板下降後の機体は、飛行甲板中央固定部下の整備位置まで移動していきます。 この方式の最大メリットは、一気に複数機を昇降可能な事もさることながら、 攻撃隊機を乗せた後部飛行甲板を下降待機させておけば、 前中部で収容作業中に急遽発艦を迫られるような事態になっても、 後部飛行甲板を上昇させれば直ちに発艦可能な態勢につけることでした。 昇降能力と面積の限界から昇降甲板上で待機できる機数には制限がありますが、 一刻を争う空母戦に際して、有効であると考えられたのです。 反面、一旦昇降機構が故障すると大事になるのは問題でした。 シリンダー型昇降装置は電動、水圧、油圧と三種類がバックアップを兼ねて同時に使用され、 後部が故障しても前中部だけでの着艦が、前部が故障しても中後部だけでの発艦が、 それぞれ可能となるように一応の設計がなされていましたが、 サイドエレベーターと逆着艦装備を備えたCV−10級(ボン・ノム・リチャード級)が 平行して大量建造された辺り、今ひとつ信頼性には問題がもたれていたようです。 (それでも損傷以外で完成後一度も故障を起こさなかったという事実は驚異的ですが)
W  艦橋構造 本級の艦橋構造物は、形状自体はワスプのそれに類似した平凡な物です。 にもかかわらず、それが昇降飛行甲板と並ぶ本級最大の特徴であるのは、 本級が左舷に艦橋と煙突を一体化して装備した、世界で唯一の空母だからです。 米海軍が、不利と承知している艦橋左舷配置に敢えて踏み切ったのには、 格納庫に装備された庫内カタパルトの影響がありました。 無装甲の飛行甲板に被弾して使用不能になった場合、 飛行甲板上が錯綜して艦載機発進の余裕がない場合、 あるいは、状況が風上に向けての航行を許さない場合でも、 艦載機運用能力を維持するべく装備された庫内カタパルトですが、 本級の場合、格納庫前後部は飛行甲板が降りてくる都合上装備する事が出来ず、 否応無しに格納庫中央部への装備する事と決まりました。 しかし、射出方向について一悶着ありました。 右舷に艦橋を配置して左舷側に射出する形式を取ると、 母艦の前進に伴って発生する横風に左側に働くプロペラトルクが加わって 機体が左転し、下手をするとそのまま海面に叩きつけられる可能性があったのです。 左舷に艦橋を配置して右舷側に射出する形式を取れば、 母艦の前進に伴って発生する横風と左側に働くプロペラトルクが互いに打ち消しあい、 ほぼ真正面方向への発艦が可能になると考えられたのですが、 当然ながらこの案には強い反対意見がありました。 艦橋の左舷配置について再調査が行なわれた結果、 気流の乱れの問題に対しては、英フューリアス原案の内のひとつで左艦橋が検討され 風洞実験の結果後方乱流は許容範囲内に収まるというデータがあり、 先駆けて左側艦橋を採用した日本海軍が艦橋位置を右舷に再度移動させたのは、 彼らの配置が艦橋と煙突を対配置にするという形式の失敗によるもので、 左側に艦橋煙突を一括して配置し、しかも機の左側に働くプロペラトルクへの 対応も兼ねて艦橋構造物を飛行甲板から完全に外側に出せば、 まずは実用上問題のないレベルに落ち着くとの結論が出されました。
X 船体 基本的にはタイシップであるヨークタウン級の拡大型です。 拡大型、と一口に言っても一気に20m以上大型化された後発のCV−10級とは異なり、 増加の度合いは8m程度に留まるなど、やや異なる方向性で纏められていました。 本級最大の特徴は、完成時よりバルジを装備した始めての米空母であった事です。 (ワスプのそれは、艦橋との釣り合いを取る為に左舷のみの装備) 空母の誕生と発展が軍縮条約の期間と一致した事から、既成の空母にはいずれも 建造に際して排水量の制約が架せられており、さらにかつて米海軍が雷撃機を 軽視していた影響もあって、元より強靭な船体を持つレキシントン級を除く それ以外の空母は、日本の優秀な艦上攻撃機と航空魚雷に対して 薄ら寒いばかりの防御力しか持ち合わせていなかったのです。 前年9月に英海軍のカレイジャスが雷撃で沈められるのを見せ付けられた 運用側からは、この点の改善を強く求める声が上がっていたのです。 加えて、 将来艦載機の更なる大重量化や装備追加による排水量増加が見込まれることから、 浮力の減少、喫水の低下といった事態に対応する意味も兼ねて、 本級は舷側に片舷2mものバルジを装着して竣工する事になります。 これにより竣工後のホーネット級は比較的小さい長幅比もあいまって安定性、 復元性に優れ運用側からは好評でしたが、これはライバル格のCV−10級が、 船体大型化で浮力を確保しようとしたものの結果的に予想を上回る重量増で トップヘビーに苦しみ、上甲板に上げる対空弾薬量を各800発に制限するという 無様な羽目に陥ったのと好対照です。 主眼であった魚雷防御の効果の程については戦歴のほうで取り上げます。 外面上、艦首部のフレアが水線部より非常に大きく張り出しているのが顕著ですが、 これは複雑な構造をもつ飛行甲板の前部を激浪から保護する為のもので、 類似の形状はCV−10級の長胴体型といわれるタイプでも取り入れられています。
Y 機関、航続力 何かと対照的なレイアウトのCV−8級とCV−10級ですが、 動力系統に関しては基本的に同じ形式のものを装備しています。 (巡航速度が異なる為、一部の機器の設定に異なる点がありますが) 出力はヨークタウン級より30000hp増しの150000hp。 ワスプ級で新型の小型軽量の高温/高圧機関を採用した流れを受け継ぎ、 最新型の機関を装備して重量と全長の増加を最小限に押さえています。 他にも、高圧缶の採用は排煙の量を減少させてアイランドの小型化と 指揮機能の向上に大きく貢献しました。 また、舷側のバルジに液層防御を採用した事で重油搭載量も大きく増大し、 当時の航空母艦としては屈指の高速巡航性能を誇る事になります。 後年のレイテ沖海戦で西村艦隊攻撃から小澤艦隊攻撃、最後の栗田艦隊追撃と 駆け回ったホーネットの活躍はこの点に負うところが大だといわれています。
Z 武装 本級は対水上艦艇用の艦砲を搭載せずに竣工しています。 これは、レキシントン級のような大型平射砲、という意味ではなく、 文字通り水上艦艇に対して効果のある艦砲を装備していない、という意味です。 米海軍にとってスタンダードな装備となりつつあった38口径12,7cm砲すら 装備されなかった理由には、戦前に両用砲の対空射撃時の命中精度が低く 見積もられていた事の他、飛行甲板昇降機構に重量を取られた点が大きい とされています。 このため本級は戦争後半、遠距離での対空火力に欠けると判断され、 格納庫両側面のスポンソン上に38口径12,7cm単装砲が計4基増備されました。 なお、両用砲不搭載決定を聞かせれた運用側からは、対空火力の減少よりも 対水上火力が皆無な事の方を心配する声が大きかった点が目を引きますが、 これには要求提出の年の6月に起こった英空母グローリアス沈没の衝撃が、 その背後に影響している物と思われます。 (弾火薬庫に対8インチ弾、機関部に対6インチ弾防御がされているのもこの関連によるもの)

完成直後 上面図



  [ 「鋼鉄のサウスポー」と「タフネス・パール」の戦歴

数々の新機軸を用いたCV−8級は、
まず1940年10月にCV−8が、続いて12月にCV−9が、
共にニューポート・ニューズ造船所において着工されました。
日本との関係が悪化する中で工事はハイペースに進行、
更に起工ほぼ1年後の41年12月8日に日本と開戦したことから、
工期は大幅な繰り上げとなり、
突貫工事の結果42年10月20日にCV−8がホーネットとして完成します。
起工からほぼ二年。
本級が前例のない構造を多用した事を考えれば、驚異的な短期間と言えるでしょう。

そして、米海軍空母の中で最も波乱に満ちた生涯を送る事になる本級の二番艦、
CV−9(予定艦名、エセックス)も同じく起工後丸二年をもって完成します。

その完成日は、1942年12月8日。
真珠湾を悲劇が襲った、日米開戦のちょうど一年後でした。

「ニューポート・ニューズ造船所で新空母完成」
この知らせをホワイトハウスで受けた時の大統領F・D・ローズヴェルトは
傍らの海軍長官フランク・ノックスにこう問い掛けたと伝えられています。
「今日という日に完成した空母には、より相応しい名前があるのではないかね?」

『より相応しい名前』
「パールハーバー」の名がCV−9に命名されたのはその日のうちの事でした。
この瞬間、この艦の数奇な一生が決定づけられたといっても過言ではありません。

完成後東海岸で訓練に励んだ後、
パールハーバーは僚艦ホーネットと共に太平洋に回航されます。
そして、因縁の地となった真珠湾に入港。
空母戦力が危機的レベルにまで落ち込んでいた太平洋艦隊の将兵は
本艦を歓喜の声で迎えましたが、米海軍最大の損害を蒙った地に、
その名前を冠した空母が入港してくるの見たその時の彼らの内心は
さぞ複雑であった事でしょう。

本給の初陣は43年8月31日のマーカス島攻撃。
ホーネットとパールハーバーは同島を一撃で壊滅に追い込みます。
その後、続々と完成してくるボン・ノム・リチャード級空母と共に
太平洋正面の各反抗作戦に参加。
ギルバート諸島攻略戦に際してインデペンデンスが、
マーシャル諸島攻撃に際してレキシントンUが、
そして、トラック諸島攻撃に際してイントレピットが
次々と日本軍雷撃機の攻撃により損傷していく中を、無傷で潜り抜けていきます。

史上最大の空母航空戦となった6月のマリアナ沖海戦にも本級は揃って参加。
19日の戦闘では他艦の艦載機と共同して、日本機動部隊の攻撃隊を壊滅させます。
翌20日、米機動部隊は日本艦隊の追撃に移ります。
着艦が夜間になるのも関らず送り出した攻撃隊が日本空母飛鷹を撃沈。
しかし、日本艦隊も追撃してくる米機動部隊に一矢報いるべく、
熟練搭乗員のみで編成された極少数の薄暮攻撃隊を送り出していました。
日本攻撃隊は米機動部隊の第4群、その中で唯一の大型空母パールハーバーを奇襲。
魚雷一本を右舷中央に真横から命中させます。

以前のトラック島空襲では、パールハーバーの僚艦であった
ボン・ノム・リチャード級のイントレピットがやはり日本雷撃機による反撃を受け、
同じ魚雷一本の命中で舵機を損傷し、一時敵中で行動不能の追いこまれる程の
甚大な損傷を蒙った過去がありましたが、
パールハーバーは対魚雷防御としてのバルジが効果を発揮した結果、
多少の浸水のみで戦闘行動には支障無し、という遥かに軽微な被害ですみました。

パールハーバーの修理はエニウェトク環礁の浮ドックで行われた為、
戦線復帰も早く、二隻とも揃って参加した10月中旬の台湾空襲で、
日本基地航空部隊と再建途中の母艦航空部隊をまとめて壊滅させます。 
                                                        
続くレイテ沖海戦では、第4群のホーネットが日本南方部隊を攻撃、
戦艦一隻に命中弾を与えた後、シブヤン海を東進中の日本中央部隊を
第2群、第3群と共同して攻撃するべく、北方海域に移動します。

しかし、第3群に属していたパールハーバーを二度目の災厄が襲っていました。
昼過ぎ、第三次攻撃隊を準備中の第3群上空に日本の彗星爆撃機が侵入。
対空砲火をかいくぐってパールハーバーに向け投弾しました。
爆弾は過たず飛行甲板前部を直撃、格納庫内で火災が発生します。
折悪しくこの時パールハーバーは格納庫で雷撃機の発艦準備中でした。
誰もが誘爆、と観念したその時、カタパルト射出時用サイレンが鳴り響いたのです。
翼を折りたたんだままのアベンジャーが空中に放り出され、海面に落下しました。
カタパルト員が咄嗟の機転でカタパルトを投棄に利用したのです。
被弾10分後には全ての艦載機が投棄され、その後火災も鎮火しました。
爆弾は上甲板装甲を貫けず爆散したため損傷は軽かったものの、
後一歩でミッドウェイの日本空母の悲劇を繰り返す際どい場面でした。
その後、パールハーバーは軽巡バーミンガムに付き添われて後送されます。

一方のホーネットは第四次攻撃で武蔵をシブヤン海に葬った後北上。
翌日の戦闘で囮任務についた北方部隊の日本空母四隻を全滅させます。

同日、日本中央部隊は損害に耐えかねて退却を開始。
再び南下したホーネットはこれに最後の一撃を食らわせました。

どうやらパールハーバーにはとことん災厄が付いて回るようです。
レイテ沖での損傷を修理した直後の11月、再々度の損傷を蒙るのです。
それでも致命傷に至らないところを見ると、これは悪運と言うべきでしょうか。
やがてパールハーバーには「タフネス・パール」の愛称がつけられ
叩かれても叩かれても立ち上がる不屈のアメリカを象徴する存在として
全米海軍将兵から絶大な信頼を寄せられるようになりました。

相方のホーネットに付けられた名前は「鋼鉄のサウスポー」。
艦橋が左側にある特徴に由来するのは明瞭です。

その後、この二隻は南シナ海、台湾、沖縄、小笠原、日本本土と終戦まで転戦。
20年4月には沖縄沖で大和撃沈の一翼をにないました。
その間、二隻は更に損傷を受ける事があっても、必ずの前線復帰を果しています。

そして、8月15日。

戦闘行為は停止されましたが、戦争の法的終了には降伏文書調印が必要でした。
降伏文書調印式は海軍の艦艇上で行われる事が決まったのですが、
その式場となる艦艇の選定で一騒動ありました。
最初、栄光あるその任にはアイオワ級戦艦が、
とりわけ、ローズヴェルト大統領急逝により大統領に昇格したトルーマン大統領、
彼の故郷ミズーリ州の艦名を持つ四番艦が当てられる予定だったと言われています。

しかし、会場提供側の海軍から猛烈な抗議がありました。
「調印式は『タフネス・パール』艦上で行うべきだ」という全将兵の声でした。
その意見を海軍作戦部長A・キングまでが支持するに及び、トルーマン大統領も
遂に我を屈し降伏文書調印式をパールハーバー艦上で行う事を正式決定します。
会場決定の知らせを受けた日本側、
なかでも海軍関係者は艦名を聞いて愕然としたと伝えられています。

時に1945年9月2日。

東京湾上のパールハーバー艦上で日本側代表が降伏文書に調印。
この時をもって、第二次世界大戦は完全な終結を迎えました。


  \ 戦後のパールハーバー 戦後、海外派遣兵の復員作戦「マジック・カーペット作戦」に参加した後、 予備艦に指定された本級二隻は、 朝鮮戦争やその後の紛争に際しても現役復帰する事はありませんでした。 艦載機が更に大重量化し、本艦の昇降飛行甲板の能力限界を超えていたのです。 空母近代化改装のリストに本級二隻の名前が載ることもありませんでした。 昇降飛行甲板、左舷艦橋。 共に大重量のジェット機を運用し、アングルドデッキ化するには決定的な障害でした。 ホーネットは1956年10月2日に除籍。1958年解体。 一方のパールハーバーは異なる道をたどります。 1956年予備艦籍から記念艦籍に移籍。 1957年から因縁の地ハワイに回航され、 オワフ島真珠湾内、海底に眠るアリゾナの隣で保存される事になりました。 近代化改装行われていない本艦は、対戦中の艦艇を知る上で非常に貴重です。 終の棲家に辿り付いたパールハーバーですが、終わりではありませんでした。 1970年公開の日米合作映画、『トラトラトラ』に、 なんと南雲機動部隊の旗艦赤城役として出演したのです。 今や世界に一隻しかない左側艦橋空母として、これ以上ない配役でした。 その後再び記念艦として在籍すること30年。 パールハーバーが再び銀幕に蘇る時が来ました。 2000年公開映画、その名も『パールハーバー』に赤城役として再出演したのです。 完成から約50年、慎重に整備された機関が再び始動しました。 撮影時の速度、20kt。 予定された速度は10kt。 最後の力を振り絞っての力走でした。 今もパールハーバーは真珠湾内にその巨体を浮かべています。 『パールハーバー』撮影後にスタックした機関はもう動く事はありません。 しかし、フィルムの中で、いつまでもパールハーバーは走り続けます。
   ]  あとがき 始めまして。こちらの『架空機の館』では初投稿になる烈風天駆です。 正直な話、設定文を打つのが大変でした(笑) この場を借りて二つばかり補足を。 本文中にしばしば登場する「ボン・ノム・リチャード級」ですが、 これは事実世界のエセックス級に当たるものだとお考え下さい。 CV−9(作中ではパールハーバー、事実ではエセックス)を CV−8(ホーネット)の同型艦とした設定の都合上、 事実のエセックス級に相当するのはCV−10までずれ込む事になります。 「ボン・ノム・リチャード」とは、このCV−10の予定艦名なのです。 (事実では戦没艦の艦名を引き継ぎヨークタウンUと改名され完成します) 「それなら、この設定世界ではヨークタウンUやエンタープライズ、完成時に ボン・ノム・リチャードと名付けられたカサブランカ級護衛空母はどうなる?」 と突っ込まれましても…どうなってるんでしょうねぇ<馬脚を表す それと、色々と愉快な(奇怪な)この設定ですが、 全てはある一点から発展した思考の結果です。 (決して「日本海軍と同じことがしたかったんだよっ」という訳ではありません、多分) その、「ある一点」を探ってもらえれば幸いです。 最後に、お世話になった方々へお礼を言いたいと思います。 投稿など考えもしなかった私を「とっても力強く」押してくださった 鶴川荘8月9日にお集まりの皆様。 お忙しい所にリテイクを出すなどご迷惑をかけた長楽寺鶴川画伯。 くだらないアイデアにアドバイスを頂きました外国艦船研究家先生。 そして、 呆れかえるほど長い文章をここまでお読みくださった皆様。 ありがとうございました。 10月13日、改訂版提出