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B-17の編隊を迎撃するため、ロケットブースター全開で急上昇をかけるGo250A-3/R1。防弾が弱くロール運動の妨げにもなる外翼タンク内の燃料は、戦闘空域突入まで、すなわちロケットブースターの作動に充てることで使い切るのが通例であった。 腐食性の強いT液を入れるために内部にコーティングを施した特製増槽は、燃料用のものとの識別のために黄色く塗装されている。 |
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(経緯) 第一次大戦においてドイツ重爆の代名詞的存在として名を馳せたゴータ社航空機部門も、ベルサイユ体制の下ではその面影もなかった。どうせ鉄道車両や物流機器の有力メーカーとして食っていけるのだから、無理に民間市場の開拓や海外生産拠点の確保といった条約逃れの努力をしてまで航空機を作る必要はなかったのである。 しかし、ドイツ再軍備の進行にともなってメッサーシュミットやフォッケウルフに代表される新興の航空機製造企業がにわかに急成長をとげ、自らもGo145初等練習機の大量発注によって潤うようになると、さすがのゴータも航空機事業に対する色気が出てきた。 そこへ訪れた好期が、空軍次期主力戦闘機の競争試作である。戦闘機については全く経験のないゴータではあったが、Go145の開発にあたって確保した航空技術者を遊ばせておくのはもったいなかったし、それ以外の従業員にも本社の地元で盛んだった競技グライダーの設計・製作経験のある者が何名もいたことから、高性能戦闘機を作ることは全くの不可能事ではなかろうと踏んだのだ。そして、自社の技術力を一気に上げ、さらに「軽飛行機とグライダーのメーカー」という世の認識を改めさせるためには、革新的な戦闘機の開発は絶好のプロジェクトだった。 当初、設計作業はDB601E(1,350hp)搭載を予定して進められたが、要求仕様どおりに20mm砲4門を搭載しようとすると、軽量なMGFF/M装備でも馬力不足となることは明らかだった。幸い、1940年後半にはDB603A(1,750hp)の完成のめどがつき、新型20mm砲であるMG151/20に換装した場合の重量増に備える必要もあったので、これを搭載することとした。しかし、同エンジンは航空省から早期完成を求められていたDB606、610両双子エンジンよりも開発優先順位が低いために仕様がなかなか確定せず、しかも、エンジン変更のおかげで設計作業がいったん振出しに戻ることになったせいで、設計スタッフは不平の声をあげ、ゴータ社は内外ともに問題を抱え込みながら開発を進めることになった。 後述するツインブーム形態の採用には、こうして遅れがちになった作業を、当時開発中だったGo242空挺グライダー/Go244戦術輸送機の構造や空力特性に関する研究成果を流用して楽に進めようという思惑も働いていたものと思われる。 |

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重心変動による操縦性の変化が大きいためにヤーボとしての運用例が少ないGo250だが、このA-3/R2/R3は、キャノピー側面の降下角度参照用の赤線、白をオーバースプレーしてロービジ化した下面国籍標識等、本格的な地上攻撃仕様にされていた珍しい例である。 250kg爆弾3発を積んだ状態で前線飛行場から発進できる範囲内に重量を抑えようとすると、燃料搭載量が減少するため、航続距離は400km強にまで落ちる。その状態でもあえて出撃しているという事実が、地上軍ともども追い込まれた厳しい戦況を物語る。 |
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(機体構成) 開発の優先目標は速度に置かれた。まずは、当時見え始めてきていたレシプロ機の性能限界に迫るため、推進効率の高いプッシャー式プロペラを用いることとした。機体尾端にプロペラを設ける場合には、延長軸を使うか先尾翼・無尾翼形式をとるかするしかないが、前者では振動問題や構造重量の増加、後者では操縦安定の釣り合いが微妙になるという主力戦闘機にふさわしくない欠点が生じる。そこで、中央胴体後端にプロペラを付け、尾翼は主翼半ばから延ばしたツインブームの先にプロペラ後流の最高速度部分を避けて配置することとした。尾翼は空気抵抗削減のためにV尾翼となったが、両尾翼は各ブームから後下方に伸ばされ、中央屈曲部に尾輪収納用のフェアリングを持つ形態として、前輪式よりも降着装置関係の重量を削減し、しかもプッシャー機で懸念される引起し時のプロペラ損傷を確実に回避できるようにされた。 中央胴体は、先端から順に武装及び無線機類、コクピット及び燃料タンク、そしてエンジンを収めたプッシャー機としては一般的な配置だが、武装区画は内部配置の組換えを前提としたラック様の構造となっており、任務に応じて銃砲や無線機の構成にバリエーションをつけたり、偵察用カメラを内蔵したりといった仕様変更が容易にできる。 レシプロ戦闘機の限界に挑んだとはいえ、さらなる速度・上昇性能を得るため、エンジンを後ろ向きに装備したことで浮いたかたちとなった軸内砲発射口を利用して、ここにロケットブースターを装着するオプションが設定された。ブースター使用時には、プロペラ軸を通して本体の支持パイプを差し込み、別途エンジン防火壁にボルト止めされる基部と結合する。ブースターの燃焼剤はエンジンの燃料をバイパスし、酸化剤は胴体下面に吊り下げたT液タンクから、ともに支持パイプ内の供給管を通って、過給器からの抽出空気により燃焼室内に噴射される。このブースターはキット化され、配管を含めた装着作業の所要時間は整備員3人で2時間以内と称された。なお、ブースター不使用時には、スピナー後端部には整流キャップが取り付けられる。 コクピットは、ドイツ戦闘機の例に漏れず最小の容積でまとめられているが、エンジンが大きいぶん、幅・高さともにMe109より広く、居住性はまずまずである。風防とキャノピーは小さいながらも全周視界を有する透明部分の多いもので、後方スライド式で開閉する。また、パイロットが脱出時にプロペラに巻き込まれないよう、ハインケルから技術供与を受けた射出座席が採用された。 主翼は尾翼取付けブームまでの内翼と、ブーム外方の外翼からなる。内外翼ともに主桁とその前方の外皮がDボックスを構成しており、これによって強度を保つと同時に、内部は燃料タンクの収納にあてられている。ただし、外翼前縁には厚さの関係で充分な漏洩防止処理を施すことができないため、この部分は補助燃料タンク扱いとされ、また、これを見越してMG131機関銃1丁と弾倉を内蔵する構造の外翼も用意された。内翼には後退角と下反角がつけられて、全体としてはブーム部を最低位置とする逆ガル翼となっており、降着装置とラジエターは内翼主桁後方に収納される。フラップはMe109に似たスロッテド式であるが、同機で不満の多かった手動式はやめ、整備と制御の容易な電動式の作動機構が採用された。 |

| R1仕様は、もともと高度9,000m以上を飛来する敵機の迅速な迎撃を目的として設定されたものだが、実際には6000〜7000m付近が主戦場となったため、戦闘空域までT液を余らせておき、緊急回避や追撃のための機動補助にロケットブースターを使う運用もしばしば行われた。 |
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(その後) 試作初号機は1941年12月22日に初飛行した。飛行テストでは燃料・弾薬の消費にともなう操縦・安定特性の変化が大きいことや低速高迎角時の失速特性の悪さ、急激な引起し操作には注意を要することなどが指摘されたものの、加速性能のよさと高速時の操縦性は高く評価された。 実用面では、コクピットを含む機首部分が高い位置にあるせいで乗降や整備に不便があることがモックアップ審査段階から問題になっていたが、実機の実用審査が始まると、三点静止角が浅いために離着陸滑走距離が長いこと、着陸時の沈降速度が大きくバウンドしやすいこと、横風に振られやすいことなど、誰にでも乗りこなせるとは言いがたい特性も明らかになっていった。 戦況の逼迫によって新戦闘機計画そのものがMe109改良型の採用で必要最低限の性能と数を稼ぐ方向に傾いていった中で、本機は操縦に一定の技量を要しはするものの、その異質さゆえの高性能が爆撃機の迎撃(あるいはその護衛戦闘機の排除)等に有効であると判断され、限定生産が行われることとなった。 ゴータは本来狙っていた大市場こそ逃したものの、戦闘機メーカーとしての地位と実績を手中にしたのである。 敗戦までに生産、あるいは計画された派生型は以下のとおり。
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| 雪を積み上げて作った簡易掩体の中で、爆弾類未搭載のままエンジンの暖機運転を行うA-3/R2/R3。白色塗料のはがれやすさのせいもあるが、相当の反復出撃を行っているのだろうか、落とされる暇もない銃口部分と排気管周辺の汚れが生々しい。 |
| 翼幅 | 10.50m |
| 全長 | 9.10m |
| 全高(水平姿勢・プロペラ除く) | 2.99m |
| 翼面積 | 18.8m2 |
| 自重 | 3,661kg |
| 最大離陸重量 | 5,345kg |
| 発動機 DB603A | |
| 離昇出力 | 1,750hp |
| 最高速度(高度6,000mにて) | 693.7km/h |
| 同上(R1仕様・高度8500mにて) | 774.3km/h |
| 上昇時間(高度6,000mまで) | 5分48秒 |
| 同上(R1仕様・高度9,000mまで最速パターン) | 7分43秒 |
| 実用上昇限度 | 11,300m |
| 航続距離(機内燃料標準) | 680km |
| 同上(機内燃料最大) | 970km |
| 同上(400リットル増槽使用) | 1,530km |
| 武装 | |
| 前方機銃 | MG151/20 20mm機関砲×4 |
| (各砲125発、1門減勢時175発) | |
| 爆弾類 | 最大750kg |