伊豆級戦艦

伊豆級戦艦 伊豆

礼砲を撃ちながら入港中の伊豆

伊豆級戦艦 諸元:
     同型艦  なし
     全長:235m   全幅:30m
     排水量:35,000t
     機関: ボイラー  呂号艦本式 10基 主機 オールギヤードタービン4 基 4軸 170,000馬力
     速力:31kt

     武装:
         主砲: 35.6cm 3連装 2基 (1番、2番砲塔) 4連装 1基 (3番砲塔) 計10門
         副砲: 14.0cm 連装  6基 12門
         対空火器:12.7cm 連装 4基 8門
          25mm3連装機関砲 10基


伊豆級戦艦 について
 金剛の代艦として、昭和10年度予算で建造された日本初の条約型戦艦、それが伊豆である。
同一の性能を持った艦で戦隊を組むため、ネームシップを含め2〜4隻の同型艦を建造するのが普通であるのが、伊豆は
1隻のみの建造で同型艦はない。
これは、当時の混乱した政治状況によるところが大きい。
 その頃の日本海軍は、悪化する一方対米・対英関係から日米戦宿命論に傾いており、軍縮条約を破棄して艦隊戦力の
一大増勢を行う予定であった。無論、それらすべてを新造艦で賄うことは、日本の国力から無理があるため、従来艦につい
ても近代化改装を行い、戦力化として活用する必要があった。その方針に従い、まず、古参の金剛級3隻、扶桑級2隻の改
装が進められた。
 しかし、政府の静止にもかかわらず、拡大する一方の中国・満州地域での戦闘、外交での失策続きで、日本一国だけが
世界から孤立してゆく状況に、昭和天皇の苛立ちは頂点に達しており、結局責任を負いきれなくなった内閣は総辞職して
しまう。その結果、日本の外交方針は、米英協調路線へと急展開するこになった。
 海軍でも、とても軍縮条約破棄など言い出せる状況でななくなり、改装結果に今一つ満足のいかない扶桑級2隻、改装
未着手の金剛の1隻を廃艦とし、新たに3隻の条約型戦艦の建造を目論んだ。しかし、満州方面での戦闘への支援と事後
処理により、日本の財政事情はかなり悪化しており、最古参の戦艦とはいえ、改装がすんだばかりの艦を廃艦にし、多額
の予算をつぎ込んで新造艦を建造することには、政府から強い反対がでた。
 しかし、これ以上大型戦闘艦を建造ができない状況が続くと、建造技術そのものが失われてしまう恐れもあることから、
金剛の代艦一隻のみの建造に踏み切る。こうして、一隻のみ建造された戦艦が、伊豆である。

 同型艦なしの一隻のみの建造にもかかわらず、というよりも一隻のみの建造ゆえに、伊豆への要求は例によって過大な
ものになっていく。
 曰く、速度は改装後の霧島・榛名と同等、曰く、武装は長射程35.6cm砲12門、曰く、弾火薬庫、機関部は2〜3万mから
の35.6cm砲による砲撃に耐えられること。
 もっとも問題となったのは、速度である。戦艦の建造休止中も、巡洋艦の建造合戦は続いていたため、機関、艦体の技
術は、向上を続けていた。その技術を生かすことにより、改装後の霧島級2隻では、弾火薬庫のみの限定ながら対36cm砲
防御を持たせつつ、31ktの高速を得ることに成功していた。機関性能の向上は、米・英でも同じと考えられ、新たに建造さ
れる条約型戦艦は、25kt〜30ktの速度性能をもつと予測された。日本海軍では、日露戦争時、黄海海戦や蔚山沖海戦で
勝利したものの、撤退するロシア艦隊に追いつけず、戦果を拡大できなかった経験から速度性能を重視していた。実際、
長門級も、同クラスのコロラド、ネルソン級よりも3〜5kt高速であった。日本海軍にとって、自分の艦隊が敵艦隊よりも鈍足
というのは、許せないことなのであったのだ。
 機関の方は、愛宕級、最上級、現在設計中の利根級と改良がつづけられており、10缶 4基で、170,000馬力を得られる
めどが立っていた。さらに、31ktの速度を得るため、艦体はLB比の大きな巡洋戦艦のような艦体とし、日本で始めてバルバ
スバウを採用した。

 防御力については、主力艦の比率が米英に有利なことから、日本側から条約を破棄しない限り、自分から破棄することは
ないと考えられたから、対36cm砲防御で十分とした。それでも、艦体が長大な上、機関部には10缶のボイラーを収めること
から、できる限りの集中防御とし、主砲も前部に集中配置された。装甲厚は、ベルト部で325mm、甲板装甲は、150mmであ
る。

 主砲については、米の旧世代35.6cm砲戦艦の口径がすでに50口径あったことから、さらに長砲身化することも予測された
ため、新たに55口径35.6cm砲を開発し、それを4連装砲塔で3基12門搭載する計画であった。
 しかし、実際に開発してみると、予定重量をかなりオーバーしてしまい、前部2基を3連装に、さらに3番砲塔を1デッキ下に
下げることで、重量と重心の上昇を何とか押さえ込んだ。そのため、戦艦にしては艦首楼が異常に短く、それが本艦の外
見上の特徴になっている。
 副砲は、14cm砲を最大仰角70°まで取れる連装砲架に収め、対空兼用としたものを、6基12門備えている。15.5cmと
せず、14cmとしたのは、愛宕級重巡で主砲砲を対空用にも使用することを考えたが、発射速度や照準速度が遅く、とても
実用にならなかったことから、発射速度や照準速度の速い軽量砲が適当と考えられたためである。このため、高角砲は
最上級軽巡と同じ、12.7cm連装4基8門に押さえられている。


伊豆の生涯
 主砲の開発などに、時間のをとられたため、伊豆の完成は昭和16年にもつれ込んだ。当初、速度性能に重点を置きすぎた
のではないかという批判も、同時期に完成した、米、英の戦艦群が、27〜29ktと意外に高速であることが判明すると、自然と
消滅し、昭和17年には、念願であった扶桑級の代艦として、伊豆級の改良型である相模級2隻の建造がスタートする。
 しかし、昭和14年にヒットラーが始めた欧州大戦は、ドイツが本格的な海軍の再建を果たさないうちに、イギリスとの本格
戦闘に突入したことから、航空機、潜水艦による戦闘となる。6年にわたる大戦は、これらの兵器の性能を格段に向上させ、
大戦後期には、6tの爆弾を搭載可能な爆撃機が現れることになる。さらに、航空機からの誘導可能な大型滑空爆弾が実
用化されると、航空機は自機に危険なほど水上艦に接近する必要はなくなり、戦艦に対し圧倒的に有利な兵器となった。
 
 結局、戦闘機による迎撃や広い範囲の対潜哨戒が可能な、空母が戦艦にとって変わるようになり、相模の2番艦筑紫は、
空母に改装される。その後も、航空機のジェット化や陸軍の機械化など、兵器の高性能化、高額化はとどまるところを知ら
ず。多大な建造費と維持費を要求されれながら、戦闘力の限られる戦艦はその価値を失い、伊豆とその改良型の相模が、
日本最後の戦艦となる。

 欧州大戦後の世界も大きく変わった。東欧に勢力を伸ばしたソ連邦と、欧州大戦の被害をほとんど受けなかった米国の2
国だけが圧倒的な戦力を保持するようになった。ソ連邦や中国に台頭した共産主義勢力に対抗するため、米・英と日本との
関係改善も急速に進み、また、水上戦力をほとんど持たないソ連邦が、潜水艦や誘導ロケット兵器に力を入れたことから、
伊豆の主砲が敵艦隊に向けられることは、一度もなかった。
 
 高い通信力を買われ、長い間、伊豆、相模は交代で連合艦隊旗艦を勤めてきたが、昭和43年ついに予備艦にしていされ
る。
 昭和45年、大阪で万国博覧会が開かれると、予備艦指定されていた伊豆は、改装の上海上パビリオンと大阪湾で、公開
される。博覧会終了後は、さらに海事博物館として改装の上、民間に払い下げられた。平成の修理をへて、今でも、大阪天
保山岸壁に係留され、多くの見学者を迎えている。