条約型戦艦「大和」

14インチ砲戦艦「大和」の変遷

要目(1番艦「大和」新造時のデータ)
・基準排水量 34,865t
・全長 215m
・全幅 30.5m
・軸数 4軸
・機関 蒸気タービン
・機関出力 100,000馬力
・速力 27.5ノット
・航続力 18ノットで10,000海里
・舷側装甲 300mm(傾斜角15度)
・甲板装甲 180mm
・主砲 45口径14インチ(35.6cm)四連装×3基
・副砲 55口径14cm連装×4基
・高角砲 40口径12.7cm連装×4基
     25mm三連装機関砲×6基
・カタパルト 2基
・水上偵察機 4機
・同型艦 「大和」「武蔵」「信濃」「飛騨」


<第二次ロンドン条約調印まで>
 事の起こりは、1930年のロンドン条約で日本政府が海軍に無断で条約に調印した事から始まった。海軍内部では条約調印によって補助艦艇比率が対米7割未満になった事を非難する「艦隊派」と、ロンドン条約を米海軍の強大化を防ぐストッパーとなったとして軍縮条約に賛同する「条約派」に二分した激しい論争が展開された。ここで「艦隊派」の権化と言える英雄・東郷平八郎元帥が存命だったらこの論争は「艦隊派」の勝利で終わっていたかもしれない。しかし、東郷元帥はかつて建造中の巡洋戦艦「天城」を視察中に、関東大震災でドックから転倒した「天城」の船体の下敷きになって死去していた。その結果山本五十六を中心とする「条約派」が勝利を収め、政府に軍の統帥権を認めるシヴィリアン・コントロールの原型が形成される事となった。
 翌1931年、関東軍が政府に無断で暴走し柳条湖事件を起こした。この暴走に対し犬養内閣は陸軍を激しく批判、さらに昭和天皇の「陸軍は政府の命令に従い撤兵せよ」という勅命もあい、柳条湖事件は収束した。この事件の責任を巡り、石原莞爾を含めた事件の首謀者は軍事裁判にかけられ徹底的な責任追及がなされた。また日本政府はワシントン体制で決定された中国の主権・領土等を尊重する9ヶ国条約に基づき、それまで日本が独占してきた「満州の門戸開放」と国権回復を目指す中国政府への融和政策を行った。これによって満州に列強(特に米国)・中国資本が流入し、これ以降対米・対中関係は次第に友好的になっていった。そして軍部の暴走と日本の孤立化は避けられたのだった。

 1934年8月に第二次ロンドン条約会議が開催されると、依然として世界恐慌から回復出来ず財政上の問題から軍拡に消極的だった日本は、ワシントン体制尊重の立場から積極的に同会議に参加した。本会議は日米英仏伊の5ヶ国で協議されたが、途中で条約内容を不服とするイタリアが脱退してしまい、最終的に1935年1月、日米英仏の4ヶ国間で第二次ロンドン条約が締結された。
 4ヶ国が軍縮条約の内容について互いの主張を押し通した為会議は何度も紛糾した。最終的に史実の第二次ロンドン条約に「条約失効の1942年末まで主力艦の条件緩和(エスカレーター条項)は一切行わない」「主力艦の隻数制限を撤廃する代りに代艦建造後は古い方の艦を必ず退役させる」という条項が追加された内容で決着した。


<概要>
 1935年8月、第二次ロンドン条約調印を受けた軍令部は本条約の規定に従って旧式化した金剛型巡洋戦艦3隻の代艦建造を命令した。第二次ロンドン条約の主力艦に対する制限は、
◎基準排水量:3万5千t
◎主砲:14インチ砲以下。
とワシントン条約の代艦制限(3万5千t、16インチ以下)よりも厳しいものであった。ただし第二次ロンドン条約では主力艦の隻数/総トン数制限がなくなったため、実質的には条約型戦艦なら何隻でも建造可能な「条件付軍拡条約」と呼べるものであった。


 艦政本部では金剛代艦として以下の二案が検討された。
(1)30ノット、対14インチ砲防御の高速戦艦
 ロンドン条約で米1万トン重巡の隻数が増加したため、漸減作戦の夜襲で敵重巡部隊を突破する事が困難となった。そこで重巡部隊に随伴する火力支援用に計画された戦艦である。

(2)27ノット、対16インチ砲防御の中速戦艦
 最終段階の艦隊決戦で、近代化改装された旧式戦艦部隊の中核戦力として先頭を切って敵戦艦部隊との砲撃戦を行う目的の戦艦である。

 検討の結果最終的に(2)案に決定された。なぜなら、今回の第二次ロンドン条約で巡洋艦に「基準排水量8千t以下」という制限が加わったため、米海軍の重巡戦力増強にストップがかかったからである。これなら高速戦艦の支援なしで敵重巡を突破して敵艦隊への雷撃が可能である。
 その一方で夜襲用の水雷戦隊の強化は続けられた。条約に抵触する改最上型(伊吹型)重巡はキャンセルされ、その代りに水雷戦隊旗艦として当時旧式化しつつあった5,500t軽巡の代艦として阿賀野型軽巡4隻と、さらに発展型の改阿賀野型が建造される予定であった。さらに駆逐艦の排水量制限がなくなったため、友鶴事件の反省から排水量増加で復元性を回復した陽炎型に続き、マル4計画以降「高速・重雷装」の島風型駆逐艦が量産される事となった。この結果、1940年代に日本海軍の雷撃能力は極限にまで高められる予定となっていた。
 空母では日本の空母保有枠が撤廃されたため追加建造が可能となったが、計画されていた翔鶴型空母が条約オーヴァーとなるため、代りに飛龍型に改良を加えた雲龍型空母が3隻(マル3計画×2、マル4計画×1)建造された。

 金剛代艦は当初3隻のみの建造であった。しかし3隻では艦隊運用上バランスが悪い事と、条約で新造艦の隻数制限がないことから最終的にマル3計画で4隻建造された。なお金剛型3隻は金剛代艦竣工と入れ替えに順次退役している。
 金剛代艦4隻は「大和」「武蔵」「信濃」「飛騨」と命名された。かくして「3万5千t、14インチ砲」の条約型戦艦「大和」が誕生したのである。


<大和型戦艦概要>
 主砲は従来の14インチ砲と異なる新設計の45口径14インチ砲である。門数は艦隊決戦を考慮して軍令部から「10門以上」という命令が出されていた。そのため主砲については計画段階で
「連装砲塔×5、前部×2・後部×3」
「三連装砲塔×4、前部×2・後部×2」
「連装砲塔×2、三連装砲塔×2、それぞれ前部×2・後部×2」
「四連装砲塔×3、前部×2、後部×1」
「四連装砲塔×2、連装砲塔×1、四連装を前後に×1、連装を前部」
等々のプランが出された。
 そして検討の結果、主砲配置は「四連装砲塔3基、前部2・後部1の背負い式配置」に決定された。
 本型の特徴である四連装砲塔は主砲塔装甲重量軽減のために採用された。艦政本部で試算した結果、14インチ砲四連装砲塔で装甲重量節約効果が認められたからである。四連装砲塔はすでに仏ダンケルク級で採用され、英国で建造中の新型戦艦(キング・ジョージX世級)でも採用されるという情報が入ってきていたため、日本海軍がそうした風潮に乗ったとも言える。なお四連装砲塔は日本初とあって完成までにそれなりの苦労があったのも事実である。なおユトランド沖海戦の戦訓から砲弾と装薬を別々に揚弾する米国式固定角装填方式が望ましいとされていたが、この方式だとスペースをとり過ぎて四連装砲塔では採用不可能なため、仕方なく従来通りの自由角装填方式を採用している。
 なお日本海軍は同時期に四連装主砲との換装を前提にしたほぼ同重量の三連装16インチ砲も設計していた。これは将来条約が失効した折に14インチ砲を素早く16インチ砲に換装する目的で計画されたものである。これは後日談だが、日本海軍は1942年末の第二次ロンドン条約失効を待って1943年以降「信濃」「飛騨」の主砲を順次16インチ砲に換装している。

 副砲は従来型戦艦の副砲同様14cm砲とされた。列強の6インチ(15.5cm)砲弾は重すぎて、日本人の体格では装填速度が低下したためである。ただし砲自体は新設計の55口径砲であり、これを新設計の連装砲塔に装備して舷側に4基配置した。

 高角砲は標準的な40口径12.7cm連装高角砲を艦中央部に4基配置している。いささか少ないような気がするが、建造当時の航空攻撃に対する認識からすると致し方ないと思われる。(そのため「信濃」「飛騨」は後に10基に増強)

 装甲防御は日本海軍の想定砲戦距離である2万m〜3万mで対16インチ砲弾防御を想定していた。これは14インチ砲戦艦としては過剰とも思える重装甲だが、艦隊決戦時に戦艦部隊の旗艦として米16インチ砲戦艦との砲戦を想定している事と、将来的には16インチ砲に換装可能な設計がなされている事を考えれば妥当といえるだろう。

 速力は27.5ノットの中速戦艦となっている。軍事マニアには「30ノット出ない」ことから「大和」を駄作呼ばわりする人が多いが、これは設計時の大和型戦艦が艦隊決戦時の中核として近代化改装後の旧式戦艦部隊(平均速力25ノット)との艦隊行動を想定していたからである。

 機関は当初10万馬力のディーゼル機関を想定していた。しかし1932年の潜水母艦「大鯨」ディーゼル機関搭載実験から大出力ディーゼルの信頼性に危惧が持たれたため、最終的に無難な蒸気タービン10万馬力となった。それでも大和型は18ノットで1万海里と日本戦艦としては比較的長大な航続力を持っている。


<航空戦艦への改造>
 こうしてマル3計画で大和型戦艦4隻、雲龍型(改飛龍型)空母2隻の建造が決定された。当初建造が予定されていた理想的な翔鶴型正規空母は排水量が条約制限を超過するため、仕方なく雲龍型が建造されたのである。その結果、日本海軍は慢性的な空母戦力不足に悩む事になったが、これは条約を考えれば致し方ない事と言えよう。
 しかし大和型戦艦の建造はなかなか進展しなかった。不況下と高橋蔵相の緊縮財政のため海軍予算がつかなかったことと、現在あるドックが新型艦建造と旧式戦艦の改装で満杯だったためである。1936年3月に1番艦「大和」が、次いで9月に2番艦「武蔵」が起工されたが、三番艦以降はドック明きを待って38年5月以降に起工される事になった。

 そうした中、1938年1月軍令部より現在建造中の大和型戦艦を航空母艦に改造する命令が発せられた。この航空戦艦案が登場したのには様々な理由がある。この時期に入ると航空機の著しい発展によって海軍内部から「従来の水雷艦隊以外に、空母機動部隊の雷撃による漸減作戦が可能」という意見が登場して来た。
 しかし航空戦力の増強は困難だった。基地航空隊では機動力を持った航空打撃部隊を編制できないため、漸減作戦で敵に先制攻撃をかける空母打撃部隊を編制しようとした。しかし、条約制限で翔鶴型が建造できなかったため対米空母戦力が劣勢になってしまった。しかも空母を数で補うにしても不況下で空母の量産が進展せず、さらに空母を先制攻撃用に優先的に割り振った結果、艦隊決戦時に戦艦部隊に随伴する空母が足りなくなってしまった。日本海軍は「制空権下での艦隊決戦」に支障をきたし始めていたのである。

 そこで建造中の新鋭戦艦「大和」「武蔵」を航空戦艦に改造する事が決定された。(建造予定の三番艦以降は従来通り戦艦として起工したため、この2隻を「信濃型戦艦」と呼称することもある)
 航空戦艦改造に関しては様々な計画案が出されたが、軍令部が「主砲火力を減少させない」と条件を出した結果、最終的に第三砲塔後部の上甲板上に水上機用格納庫・飛行甲板・カタパルト等の航空機搭載施設を増設するプランに決定された。建造中の「大和」「武蔵」の後部に増設された航空施設には、従来の九五式水上偵察機4機から零式水上観測機4機と九五式水上偵察機12機の合計16機が搭載された。その内訳は格納庫に13機、甲板上に3機露天繋止である。なお将来的には開発中の新鋭水偵「瑞雲」が搭載される予定だった。これらの水上機は飛行甲板と同じ高さの2基のカタパルトから射出され、帰投後は甲板上に設置されたクレーンで回収される予定だった。こうした航空施設のために第三砲塔の艦尾部への射撃は不可能となったが、実際の砲戦では艦尾方向に射撃する事態はほとんど考えられない事から問題とはされなかった。
 こうした改修の結果、予定より遅れて1941年2月に「大和」が8月に「武蔵」が竣工した。
 しかし完成後になって航空戦艦はとても実戦に使用できる代物ではない事が判明した、演習時に主砲射撃で露天繋止されていた水上機が破壊する事態が発生した。加えて演習によって実戦で水上機をクレーンで回収することがほぼ不可能である事が判明し、海軍内部からは「戦艦として完成した信濃型の方が数段マシ」とまで酷評される結果となってしまった。さらに1939年9月に始まった第二次大戦が日本海軍に決定的影響を与える事となる。大戦勃発によって軍縮条約が無効となった結果、日本海軍は思い通りの艦艇を建造可能となったからである。

「大和」、航空戦艦改造後
・基準排水量 36,700t
・全長 215m
・全幅 30.5m
・速力 27.5ノット
・主砲 45口径14インチ(35.6cm)四連装×3基
・副砲 55口径14cm連装×4基
・高角砲 40口径12.7cm連装×4基
     25mm三連装機関砲×8基
・カタパルト 2基
・搭載機 16機(水偵12、水観4)
・同型艦 「大和」「武蔵」


<第二次大戦と空母への再改装>
 1939年9月、ドイツのポーランド侵攻で開始された第二次大戦に日本は不参加の立場をとった。しかし中立といっても実際はアメリカと同様に連合国に武器を供給する連合国の兵器廠とも言うべき限りなくグレーな中立であった。そして第二次大戦は日本に第一次大戦と同様の軍需景気を生み出した。大戦で使用される物資・輸送船舶・艦船の補給基地として戦場から離れた日本は魅力的だったのである。この特需景気で日本は不況を脱出した。日本海軍は好景気と予算増大を利用してドック・造船施設等のインフラ整備を行った。大戦勃発により対米戦が勃発する可能性が減少した事も影響している。その一方で日本海軍は大戦の戦局を見て軍備計画の見直しを行っていった。
 ヨーロッパの大戦は40年9月にドイツ軍の英本土上陸作戦が成功し英本土を制圧、英本国政府はカナダに亡命した。こうして後方の脅威を絶ったドイツは41年6にソ連に侵攻した。ドイツに進撃に対し、41年12月にはイギリスやソ連に武器供与を行って来たアメリカが連合国側について参戦した。
 この大戦で行われた海戦は、戦前日本海軍が想定していた艦隊決戦ではなく、潜水艦による通商破壊戦と護衛艦による船団護衛戦だった。さらにエポックメイキングな事件は、1941年末のアイスランド沖海戦で米機動部隊によって独戦艦「マックス・ホフマン(旧プリンス・オヴ・ウェールズ)」「リーマン・フォン・ザンダース(旧レパルス)」が撃沈されたことである。これにより「戦闘航行中の戦艦を航空機で撃沈可能」だと証明されたのである。

 こうした戦訓を受けて1942年10月に改マル5計画が策定された。改マル5計画で日本海軍は「戦艦の建造中止と空母への移行」を打ち出した。建造予定の戦艦や水雷戦に特化した阿賀野型軽巡、島風型駆逐艦の建造は一切中止され、代りに秋月型対空駆逐艦、武器輸出で連合国に輸出して好評だった松型駆逐艦、以前「翔鶴型」として計画された正規空母を元に設計された那須型正規空母(1943年5月、空母の艦名に「旧国名」「山岳名」の使用が許可された)の量産を行う事になった。
 さらに航空戦艦に改造された「大和」「武蔵」を正規空母に改装する計画が決定した。現在使用中の「赤城」「加賀」が老朽化しており代艦が必要な事、日本が戦争をしていないため建造計画に余裕があったこと、航空戦艦の価値に疑問符が投げかけられた事、今次大戦の戦訓から水偵の価値が低下した事、英イラストリアス級の活躍から飛行甲板の装甲化が必要な事、戦艦の価値低下等の理由による物である。さらに前述のように航空戦艦としたの運用が事実上不可能だと判明した事も大きい。
 「大和」「武蔵」は完全に空母に改装された、主砲と上部構造を完全に撤去し、船体上部には砲塔跡を利用した格納庫と全長212m、全幅30mの飛行甲板が増設された。飛行甲板には2基のエレベーターが設置された。そして飛行甲板の主要部には対500kg爆弾を想定した95mmの装甲が施されていた。艦橋は英国に供与した商船改造空母「隼鷹」をベースに傾斜煙突を装備した大型艦橋が設けられた。高角砲は艦橋前後の両舷側部に合計8基装備され、両舷には多数の機銃も増設されていた。
 両戦艦の空母改装は42年末から開始され、徹底的な改装が行われた。大戦の好景気も手伝い、45年3月に2隻とも正規空母に改装された。

 一方で第二次世界大戦の戦局も動いていた。独ソ戦は1943年2月のスターリングラード戦で戦局が逆転した。米軍もドイツ支配化の中東油田地帯奪回のため42年8月にクェートに上陸し、中東でドイツ軍と激戦を展開しつつ中東を西進していた。44年6月、米英連合軍は英本土奪回作戦「オーヴァーロード作戦」を発動し英本土に上陸。それに呼応する形でソ連軍も夏季攻勢で東欧諸国になだれ込んだ。
 そして1945年6日、ソ連軍がベルリンを陥落させドイツを無条件降伏に追い込んだ時、米英軍もようやくチェニスとロンドンを奪回していた。

 戦後のヨーロッパは終戦時の戦況を反映し、中東・北アフリカと英本土が資本主義体制、敗戦国の独伊を含むヨーロッパ全土が社会主義体制に組み込まれる形となった。史実よりソ連優位の状況で冷戦構造に突入したのである。そこでアメリカを中心とする資本主義国家は共産主義に対抗するため「反ユーラシア国家機構」(Anti−EUrasia Governmental Organization)通称AEUGO「エゥーゴ」を結成した。大戦で中立を守り通した日本も社会主義陣営との体制の違い(特に天皇制の問題が大きい)や反共で利害が一致したためAEUGOへの加入を決定した。こうして日米が同盟関係となった事で、すでに大戦中からほころび始めていた日本海軍の対米戦ドクトリンや漸減作戦は終焉を迎えた。
 1949年、ニューヨークでAEUGOの条約調印式が行われた。「大和」は日本の使節団を送るために太平洋を渡り、ニューヨーク沖に赴いた。こうして「大和」は戦争に参加することなく歴史の1ページを飾ったのである。
 なおこの後、1950年の中国大陸の国共内戦(中国動乱)とそれに介入するAEUGO、そして大和型空母の活躍があるのだが、それは後の物語である。

「大和」、正規空母改装後
・基準排水量 33,250t
・全長 215m
・全幅 30.5m
・飛行甲板 全長212m×全幅30m
・機関出力 100,000馬力
・速力 27.5ノット
・高角砲 40口径12.7cm連装×8
・搭載機数 常用52機+補用8機
・同型艦 「大和」「武蔵」


<付記・日本海軍艦隊計画とその代表的艦艇>
≪マル3計画≫ 大和型4「大和」「武蔵」「信濃」「飛騨」 雲龍(改飛龍)型2「雲龍」「蛟龍」 陽炎型

≪マル4計画≫ 扶桑代艦2「紀伊」「尾張」 雲龍型1「昇龍」  阿賀野型4 大淀型2 島風型
※大戦勃発と改マル5計画により雲龍型、島風型4隻を除き全艦建造中止。

≪マル5計画≫ 伊勢代艦2(艦名不詳) 新型戦艦2 超甲巡2 改阿賀野型3
※大戦勃発と改マル5計画により全艦建造中止。

≪改マル5計画≫ 那須(改翔鶴)型4「那須」「天城」「葛城」「笠置」 秋月型 松型
※戦艦の建造中止。主力艦の空母の移行。

≪マル6計画≫ 那須型2「阿蘇」「生駒」 神奈備型(5万t級装甲空母)2「神奈備」「高野」 水無瀬型防空巡洋艦2


<解説編>
P:皆さんこんにちは、僕は眼鏡っ子の魔法使いハリー・ポッターです(以下P)。
G:わたしは魔法少女ハーマイオニー・グレンジャーよ(以下G)。
W:こんにちは、僕はロン・ウィーズリー(以下W)。これから解説をします。

P:さて、今回の競作のテーマは「第二次ロンドン条約」です。
W:なぜか架空戦記ではほとんど無視されてる条約だ。
G:あの有名な佐○大輔氏や横山信○氏でさえ作中に一度も出さなかった禁断の条約よ。
P:軍事マニアでも「第二次ロンドン条約」の内容を知らない人は結構多いと思います。

P:で、今回登場したのが「第二次ロンドン条約型戦艦「大和」」です。
W:「3万5千t、14インチ砲の「大和」」、架空戦記でも登場しなかった前代未聞の戦艦大和だ。
P:確かにこんな「大和」はとても人気が出ないよね。
G:日本人は「大和=46cm砲」と刷り込まれてるからよ。
W:なるほど、だから架空戦記では「第二次ロンドン条約」は無視されるんだ。

W:ところでさ、この「大和」は30ノット出ないけど大丈夫なの?
G:もともとこの戦艦は漸減作戦の艦隊決戦用に構想されたもの。当時のドクトリンでは機動部隊への随伴は考慮されていないわ。それに、史実で28ノットの「ノースカロライナ」が機動部隊に随伴しているのを見ると、やる気になればこの速力でも機動部隊に随伴可能よ。
P:史実でも第二次ソロモン海戦で25ノットの「陸奥」が随伴しているから大丈夫だと思う。
W:言われてみればそうだったな。

P:ところでハーマイオニー、何で日本海軍は長砲身の50口径砲を採用しなかったんだろう。14インチに制限されているなら長砲身砲の方が高初速で威力や射程が増大するはずだよ。
G:ハリー、それってとんでもない間違いよ。
P:え?
G:長砲身砲は砲身寿命が短い上に、砲身が自重でたわむから命中精度が悪化するのよ。つまり長砲身砲は「当たらないしすぐ駄目になる」の。かつてわが国(英国)や日本で使用された長砲身50口径12インチ砲はそういう短所が全部出た欠陥砲だったわ。これに懲りて日本海軍は命中精度が悪い長砲身砲を敬遠してるのよ。
W:そう言えば我がロイヤル・ネーヴィーもこれ以降長砲身砲を開発してないな。
P:戦艦の砲撃戦は戦車戦とは違うって事だね、ハーマイオニー。
G:イエス、オフコース(その通りよ)。
W:このトラウマのせいか架空戦記では「30ノット、50口径の「大和」」がやたらと登場するね。

P:次に列強の新型条約戦艦を見ていこう。仏リシュリュー級は史実より少々小柄な「3万3千t、14インチ砲8門、30ノット」。仏海軍はクールベ級2隻、ブルターニュ級3隻の代艦としてリシュリュー級を5隻建造したんだ。これでフランス海軍は一気に強化された。
W:条約非調印の独伊のビスマルク級とリットリオ級は史実と同じスペックの15インチ砲戦艦だ。
G:両海軍とも仮想敵がフランス海軍だから、質で勝る15インチ砲戦艦を建造しないと対抗出来ないと考えたのよ。特に有力な旧式戦艦が全然ないドイツ海軍は、ビスマルク級に38cm砲を搭載しないと仮想敵のリシュリュー級に対抗不可能だったのね。

W:米ノースカロライナ級は「3万5千t、14インチ砲9門、30ノット」の高速戦艦。旧式戦艦「アーカンソー」「ニューヨーク」「テキサス」の代艦と新造1隻、合計4隻建造された。
P:これは米海軍が巡洋戦艦を持っていない事から艦隊前衛・偵察用の高速戦艦を必要としていたからです。コンセプトはむしろかつての「巡洋戦艦」に近いと言えるね。
G:ノースカロライナ級はドイツのシャルンホルスト級やビスマルク級への対抗の意味もあったのよ。米軍の14インチ砲は新型のSHS弾(超重量弾)を使用しているからビスマルク級とも互角に戦えるわ。

P:最後に我が英国のKGX級、QE級代艦として5隻建造されました。スペックは史実通り「3万5千t、14インチ砲10門、28ノット」です。もっとも実際には29ノット発揮可能です。
W:大和型とノースカロライナ級の中間のスペック、中途半端な性能だね・・・
G:何を言っているのよ。KGX級こそ攻防走のバランスがとれた最良の条約型戦艦なのよ。やっぱり我が大英帝国は偉大だわ。
W:最後はそのオチかい(苦笑)

〜ティータイム中〜
P:さて、紅茶でも飲みながら競争試作追加について話し合おうか。
G:さて、この競争試作、延長線上で番狂わせの「航空戦艦」が登場したわね。
W:おっ、戦艦空母か。
P:ロン、航空戦艦って言おうよ。さて話題を戻します。この大和型の改装は史実の伊勢型の改装をモデルにしています。
W:本当だ。
G:後部の飛行施設やカタパルトはそっくりよ。これなら条件の「水観4機以上、水偵12機以上」も十分に満たせるわ。
W:でもこの航空戦艦、結局正規空母に改装されちゃってるよ。
P:はっきり言って40年代の軍事水準や航空機の発達状況では航空戦艦は使い物にならないんだ。特に「航空機で戦艦を撃沈可能」だと分かると厳しいよ。それなら普通に空母を作った方がいいからね。
W:それもそうだね。
G:ここだけの話、作者のモーグリさんは「航空戦艦が大嫌い」なんだって。
W:なるほど。それはわかるな。でもこの正規空母案ってモデルがあるのかな?
P:伊勢の改造時に「正規空母への改装案」が計画されている。この空母「大和」は伊勢型の正規空母改装案をモデルにしている。伊勢の方は「時間がかかり過ぎる」ということでパスされたけど、この世界なら空母改装の時間も費用もあるしね。
W:確かに第二次大戦で遅かれ早かれ「航空戦艦は使えない」てって馬脚を表すからね。
G:それに改装で条約制限以上の排水量の空母を作れるのはメリットだわ。
W:それもそうだな。
P:この世界特有の理由もあるよ。この世界の冷戦構造はソ連が全欧州を制圧しているんだ。史実みたいに欧州中央部で大地上兵力がにらみ合っているわけじゃない。当然、東側の軍備も陸軍のリゾースが減少して、その代りに海軍にかけるリゾースが増大する。ソ連が陸軍国の史実とは違うんだ。
G:東側が大規模な海軍増強を行う可能性が高いのよ。
W:仏独伊の海軍施設が使えるのも大きいね。
P:共産主義の脅威を考えると大和型の空母改装も納得いきます。

P:ところで付録でちらっと神奈備型空母というのが出て来るけど「神奈備」って一体何なの?
G:神奈備山よ、『万葉集』にも登場する古代日本の有名な山の名前だわ。現在の三輪山という説が有力ね。ちなみに水無瀬川も『万葉集』に登場する有名な川よ。
W:ハーマイオニーって日本の古典にも詳しいんだ、ビックリ。
G:ロン、これくらい常識よ。

W:それでは皆さんありがとうございました。
P:またお会いしましょう。
G:さようなら。


<後書き>
 皆さんはじめまして、今回競作初参加となるモーグリと申します。
 今回のテーマ「第二次ロンドン条約型戦艦」に自分なりに考えてこんな戦艦を建造してみました。結果的に「ミニ大和」になってしまったような気がします。
 四連装砲塔を採用したのは、1994年にKKベストセラーズから出版されたヘクター・C・バイウォーター『太平洋大海戦』の表紙に描かれていた四連装砲塔の日本戦艦(もちろん架空艦です)のデザインが好きだったので「四連装砲塔でやってみよう」と考えたからです。製作者の純粋な趣味だと思って下さい。
 まだ初心者なので設定や文章に荒い部分目立ち、誤字脱字があると思います。それでもここを見て下さる皆さんが楽しんでいただければ製作者としてこれに勝る喜びはありません。
 さらに競争試作で突然の追加がありました。一時はリタイアしようかとも考えましたが、思い切って好き放題やってしまいました。今回初参加ということで大目に見ていただければ幸いです。