対米新戦略
昭和7年5月15日、海軍中尉三上卓、山岸宏らが、犬養毅首相を射殺する五・一五事件
を起こした。事件直後より軍部の一部より犯人に同情的な声が上がったことを、昭和天
皇は強く憂慮し断固たる処置を求めた。大角岑生海相の辞任で責任を取ろうとしていた
海軍中枢には衝撃であった。海相の辞任に続いて、2月に軍令部長となった伏見宮博恭
王大将の元帥府昇進が中止となった。さらに目に余る政治策動により海軍内の軍紀を乱
したとして加藤寛治三等大将と末次信正中将の予備役編入が後任海相岡田啓介大将によ
り決定された。加藤は昭和7年9月に、末次は第二艦隊司令官をおろされ翌3月に予備
役に編入され海軍内の権限を失った。末次の後任として、艦隊派で軍令部次長の高橋三
吉中将が海軍中枢を追い出される様に就任した。意外にも新軍令部次長は予備役確実と
目されていた米内光政中将となった。兵学校同期の藤田尚徳海軍次官の推挙による人事
で、同じく同期の高橋も後任が米内ならばと快く譲った。これらの人事により一時期の
混乱より、建軍以来の伝統の海軍省主導海軍に復した。
昭和7年10月より海軍省軍令部合同の特別委員会が米内軍令部次長を委員長として設け
られ、軍縮条約下に於ける対米戦略について研究が行われた。ここで主導的役割を果た
したのは軍務局第一課長の井上成美大佐であった。その結果、従来の対米戦略は一変し
た。従来の対米戦略教義が「艦隊決戦」「漸減邀撃」「対米七割」の三語に象徴されると
すれば、新戦略教義は「海上護衛」「島嶼防衛」「補給路攻撃」となる。新教義を一言で言え
ば「危険な賭けである艦隊決戦に勝ったとしても戦争に勝てる保障は無いが、敵に前進
根拠地を与えず海上護衛を全うすれば少なくとも負けない」となる。
その要旨は以下の通り
1 日米開戦は必然ではない。有るとすれば解決不能なほど抉れた国際問題を解決する
最終手段として行われる。而して米国は武力により帝國を屈服せしめ、その政治意図を
強制するを目的とし、帝國は自存自衛の為米国の武威を撃攘するを目的とする。換言す
れば米国は侵攻戦略にて帝國の抗戦意思を粉砕するを意図し、帝國は防守戦略にて米国
の侵攻意思を粉砕するを目的とする。互いに海軍力の破壊は最終目的にあらず。
2 帝國は開国以来、英国流の海洋産業国家に成長しつつあり、国力醸成への海上輸送
路の重要性は近年増すこそすれ、決して減じず国家の生命線と呼称しても過言ではない。
従って西太平洋の海上輸送路を防衛する海軍力を保持し続ける事が国家存亡の鍵である。
3 米国は大陸国家であり、西太平洋はおろか東太平洋の制海権も必要とせず。従って
海軍力は国家存続に必要でない。
4 所謂艦隊決戦があるとすれば、米艦隊は全滅を賭してこれに挑め、他方帝國は決戦
の後にも敵攻略部隊を撃滅し、かつ海上輸送路を防衛する戦力を保持するが如くに勝利
しなければならない。相打ちは帝國の負けを意味する。米国は艦隊が全滅しても国家に
とって致命傷とならず、侵攻意思は存続可能である。
従って、たとえ同等の戦力で艦隊決戦を行ったとしても、勝利条件に於いて帝國は不利
なうえに、僥倖により大勝利を収めたとしても戦争の勝利に結びつく保障は無い。
5 前大戦の戦訓が示す通り、水上艦が何ら活動しなくとも潜水艦による海上封鎖は、
島国海洋国家にとって致命的となる。現在帝國には海上護衛戦力の備えが全く無いに等
しく、米国が潜水艦による通商破壊を行った場合、阿鼻叫喚の地獄絵が出現する。
艦隊決戦に勝利して、通商破壊戦により戦争に敗れる事態が十二分に有り得る。故に海
上護衛戦力の急速かつ劇的な整備こそ焦眉の急である。
6 そもそも海軍任務は制海権即ち海上輸送路の支配を目的とす。敵艦隊との戦闘は目
的達成の手段である。制海権は単に主力艦の優劣にて決するのではなく、地政学的要件
に負う所が大である。ハワイを根拠地として敵主力艦隊が長駆来寇した際、如何に米主
力艦の航続力大で補給艦を伴ったとしても、日本近海での長期活動は不可能である。敵
が制海権を得んとするなら、日本近海にまで根拠地を漸次前進させ補給を受け続ける必
要がある。敵に前進根拠地を与えなければ西太平洋の制海権は帝國にあり。故に日米戦
の主作戦は内南洋に於ける島嶼攻防である。島嶼攻防研究こそ第二の急であるが、陸軍
との共同研究を必要とする。
7 米侵攻艦隊の真の主力は主力艦隊にあらず、数百隻とも伝えられる輸送及び補給船
団こそ侵攻艦隊の真の主力にして基幹である。これを洋上にて撃破すれば内南洋島嶼は
安泰、而して西太平洋の制海権は安泰となる。この任務に好適なるは南洋群島を陸上基
地とする航空機であるが、ワシントン条約により予め航空基地を建設することは叶わず、
日米開戦後に急激設営せねばならぬ。複数の飛行場よりなる航空要塞を相互支援可能な
如くに有機的に組み合わるが有利であり、大なる設営能力が求められる。之が為陸軍に
於ける工兵の如き建制の設営兵科を新設充実するの要あり。
8 近年に於ける航空機の長足の発達は制空権下の艦隊行動を頗る有利にす。帝國の航
空母艦勢力は米国より劣勢と雖も、基地航空隊を加うれば航空勢力は帝國が有利である。
ワシントン条約が存続する限り米国の母艦勢力が之を凌駕することは不可能である。島
嶼の航空要塞を米本格反攻以前に完成あれば制空権は帝國にあり。故に制空権を決する
は設営能力なり。
9 米本土からハワイを経て延々と延ばさざるを得ない兵站補給線こそ、米国の致命的
な弱点であり帝國海軍の好餌となる。広大な太平洋に於いては戦闘艦隊の運命を決する
は砲雷戦にあらず、補給戦こそ艦隊行動を掣肘し運命を決するものなり。海底に没した
艦隊と、補給を断たれ動けない艦隊は畢竟同じことである。故に帝國は米国の希求する
艦隊決戦に不利な立場で応じる必要なし、唯補給路を攻撃すれば良し。防者の利点とし
て敵補給路を完全に断つ必要は無く、侵攻作戦を困難ならしめるが如く脅威を与えるの
みで可なり。潜水艦はこの任に好適であり、ロンドン条約にても米と同等の保有が可能
である故、積極的に整備すべし。
10 島嶼防衛により制海権と制空権を保ち、かつ敵補給路に脅威を与わば、敵主力艦な
ど何隻あったところで侵攻作戦は成立せず、帝國は防守戦略の目的を達成し得る。太平
洋の怒涛をば御国の盾として米国の野望を打ち砕かん。などて恐れる事やある。 凡そ
世界史を鳥瞰するに、一回の海戦のみで戦争全体の趨帰が決したる事は古今一度たりと
て無く、而して艦隊決戦至上主義の現戦備体系は、国防の重責を担う者としては無責任
の極み、海軍用兵としては淫祀邪教の類なり。
11 上述の海上護衛戦力、基地航空兵力及び設営兵科を含む島嶼防衛力、潜水艦の整備
充実のためには主力艦の如きは犠牲にして差し支えなし。而してワシントン、ロンドン
条約は防者たる帝國に頗る有利にして、之を廃するが如きは狂気の沙汰なり。軍備制限
条約の継続こそ外交目標とすべし。
第二次ロンドン軍縮会議
昭和10年1月第二次ロンドン海軍軍備制限会議が開催され、日本からは海相山梨勝之進
大将が全権として出席した。その席で英国は主力艦の主砲を14インチに制限することを、
米国は主力艦の保有量を各国とも2割削減することを提案した。対米新戦略からは基本
的に両者とも受け入れ可能な提案であったが、山梨らは軍縮会議こそ形を変えた日米戦
争であるとの認識より可能な限り実利を得ようとした。まず両提案に反対する素振りを
見せた。次に英国のマスコミに、太平洋防備制限条項を拡大延長しハワイの米海軍施設
を現状維持とするならば両提案を受け入れる用意が有るとリークした。当時の英国は平
和主義者なる頑民がはびこり、選挙の時に「軍艦を造る金を朝の紅茶にまわそう」など
と訴える有様。こんな不逞の輩に選挙権を与えたことを後悔しても後の祭り。ともかく
山梨提案は英世論の支持を受け、軍縮会議を成功させたい英政権は米をなだめにかかっ
た。新制限はハワイのみでシンガポールには触れていないのも英の気に入った点である。
米の方でもハワイは太平洋戦略の要と言う理論のみが先行していても、実際は太平洋艦
隊の分遣隊が寄港する小規模な港湾設備しかなく(当時)、金城湯地からは程遠く、提督
の中にも太平洋艦隊はハワイより西海岸に置いておいた方が抑止力として効果的と考え
る向きがあった。米政府高官連のケインズ経済学の理解が不徹底で、ニューディール政
策から緊縮財政に傾いてきた時期であり、軍縮を求める声が大きく山梨提案は受け入れ
られた。かくて主力艦新制限条項は日英米それぞれの思惑により成立した。主力艦は基
準排水量35000トン14インチ砲以下で保有量は日252000トン、英米420000トンとなった。
日本には後述する「主力艦削減に際する日米英了解事項」と言うおまけが付いた。英米
は「黄色い猿」がとうとう身の程を弁えたと安堵の溜息をした。一方黄色い猿は、これ
で国防は安泰と随喜の涙を流した。島嶼防衛と補給戦攻撃を旨とする対米新戦略からは、
ハワイを平時より策源根拠とさせないことが何よりの成果であった。また補助艦艇以下
の制限は第一次ロンドン条約を踏襲延長することで合意した。
新海軍軍縮条約は昭和天皇の御裁可を仰ぎ帝國議会、枢密院で承認され成立した。首相
の岡田啓介海軍大将が進めるのを政党議員や他の高官達は正面より反対できなかった。
ただ平沼騏一郎が加藤・末次らを扇動して昭和5年の軍縮騒動を再現して倒閣に結び付
けようと画策したが不発に終わった。それより先の昭和9年友鶴事件で谷口尚真大将を
長とする臨時艦艇性能調査委員会が設けられた際、東京帝大教授平賀譲が委員会の嘱託
技術顧問に就任すべく激烈な自薦運動を行い、関係各位の失笑を買って無視される事件
があった。平賀の背後に加藤・末次らがいたとされるが、既に海軍内への影響力を失っ
ていたことを示す事件であった。
帝國国防方針・帝國軍用兵綱領の改訂
第二次ロンドン条約の合意を受けて、海軍は対米新戦略に基づく帝國軍用兵綱領の改訂
を陸軍に提案した。陸軍なくして島嶼防衛は全う出来ないからである。同時に陸軍の提
案により、満州国の成立やソ連の興隆による国際情勢の変化に対応して帝國国防方針の
改訂もなされた。国防方針は東亜の安定勢力たる武備を備えることとし、想定主敵国は
米及びソで併せて英支に備えるとされた。主敵二大国に対しては絶対に多正面作戦を避
けること、即ち対米又は対ソ戦に際して諸外国は極力中立以上を保たせることが明記さ
れた。戦術的に先制と攻勢を旨とするも戦略的には要地防御による長期総力戦への備え
と覚悟が初めて記載された。ここに至りて対米戦は決して「海軍の仕事」ではなく、陸
海協同挙国一致にてはじめて可能であるとの共通認識がなされた。
陸軍は海軍の対米新戦略を、島嶼決戦を陸軍が担当し海軍は偵察・牽制・補給線攻撃等
所謂遊撃を担当すると理解し、以下の理由で同意した。
1米国の鉱工業生産は何れも帝國の十倍以上であるが、人口は二倍弱に過ぎない。故に
武器(艦船)の損傷ではなく、帝國の二倍を上回る人員(兵員)損傷を与えることが、米国
の侵攻意図を砕く早道である。
2前大戦の戦訓によれば、適切なる防御工事を施した陣地は大口径重砲弾の砲撃に強靭
に耐え得る。従って防御陣地攻略には迂回・浸透を要するが、島嶼攻防に於いては機動
の余地無く正面強襲の他途無し。かかる状況下にては米上陸部隊に守備側の三倍以上の
人員損傷を与えうる。
協議の結果、内南洋に広く分散配兵する愚は犯さず、マリアナ−西カロリン諸島の線を
邀撃帯とする事に決した。東カロリン・マーシャル諸島は日本本土より遠く補給戦が延
び不利であり放棄やむなしとされた。
基本的な構想は以下の通り
1開戦後速やかにフィリピン・グワムを攻略し在極東米軍根拠とを破壊する。
パラオ・ウルシー・グワムを主、ヤップ・サイパンを補助とする邀撃帯の構築を開始す。
2海軍は味方海上輸送路の保全に努めるとともに、敵海上輸送路に脅威を与える。
3敵攻略部隊が邀撃帯に来寇したら、海軍は艦隊と基地航空隊にて敵輸送船団の洋上撃
破に努め、上陸した部隊は陸軍が撃滅する。
陸軍は戦艦級主砲弾に耐える陣地構築に6ヶ月を要するとしたが、第二次ロンドン条約
の結果、時間は十分にあると思われた。米国は開戦後ハワイに物資を集積して根拠地化
し、その後マ―シャル、東カロリンへと根拠地を漸次前進させる必要があり、海軍によ
る補給線攻撃や他の遅延作戦の効果も考慮すると、邀撃帯への本格攻撃は早くて6ヶ月
以降と考えられた。開戦早期の反攻も有り得たが、準備不足の補給に不安を抱えた小部
隊によらざるを得ず、容易に撃破可能と思われた。
かくて陸海共同挙国一致の対米戦略が成立した。陸軍は一部の師団を改変し火力の充実
した島嶼防衛用師団の編制と築城工兵隊の新設及びそれらの専用輸送船舶の整備、海軍
は海上護衛隊と設営隊の新設及び基地航空隊と潜水艦隊の充実を、昭和11年度より4年
計画で行うこととし予算を請求した。世界恐慌の影響で日本経済は青息吐息であったが、
高橋是清蔵相はケインズ流に財政支出の拡大で不況を克服すべく、軍事費の大幅増加を
認めた。
海軍予算には他に継戦能力向上のために、工作艦・補給艦・各種特務補助艦艇整備費も
加わり大幅増加となった。軍縮条約を結んで軍拡予算を組んだことになる。決戦用正面
装備に偏重した変態奇形海軍が、均衝の取れた海軍へ生まれ変わる費用と言えた。
陸軍では大陸での機動戦とは異なる島嶼攻防戦の軍事研究に忙殺された為、一部将校に
あった昭和維新を唱える政治策謀は昭和11年2月頃までには雲散霧消した。
高速主力艦用兵構想
海上護衛は、老齢駆逐艦が第2の人生として行うのではなく、ロンドン条約制限外で専
用艦種を整備することとなった。19ノット4インチ砲3門対潜水上機2機といった代物
で、これと小型駆潜艇数隻の組み合わせの護衛戦隊を量産する計画だった。だが致命的
な弱点があった。ロンドン条約の範囲内のため雷装が無く、大型水上艦には無防備に近
かった。
昭和5年の第一次ロンドン条約騒動の際軍令部が指摘した点であるが、1万トン型重巡
はその長大な航続力のために、戦略的行動をとった場合日本近海の海上輸送路に重大な
脅威を及ぼし得る。ところが日本には敵重巡対策に有効な戦力が無かった。戦艦は補足
出来ず、古鷹・妙高級は防禦が弱く、高雄級は水雷戦隊旗艦として使いたい。重巡に重
巡で対抗するには相打ちの可能性があり日本には不利である。そこで高速戦艦を「重巡
駆逐艦」とすることにした。既に榛名・霧島の2艦が高速戦艦に改装中であり、長門・
陸奥も30ノットへの高速化が計画され、4隻の高速戦艦が確保された。ところがこれで
は扶桑・伊勢級4隻の低速戦艦が全く遊兵化してしまう。そこで前述の主力艦削減に際
する日米英了解事項が裏技として生きてくる。
主力艦削減に際する日米英了解事項
1 主力艦2割削減合意に基より大日本帝国は扶桑・山城の2艦を廃艦とす。
2 伊勢を練習戦艦とし比叡を現役戦艦として復帰させる。その際、比叡は基準排水量
にして14000トン以内の改装を特例として認める。
3 1939年以降、金剛代艦就役可であるが、日向を退役させれば金剛代艦就役後も金剛
は現役戦艦として使用可とす。
4 3の後、排水量に余裕があれば条約に基づき比叡代艦建造し比叡とともに使用可とす。
身の程を弁えて主力艦2割削減に同意したJAPにこれ位は譲歩してやろうと、寛大な
気持ちで米英は同意した。日本も「砲塔が6つもあると防御計画が成立しない」とか何
とか適当な言訳をしたので、とくに疑念を挟まれることはなかった。
これにより8隻の高速主力艦を整備することとなり、艦隊決戦以外の多用な戦術上の選
択肢を得た。敵艦隊が攻略部隊を伴って邀撃帯に来寇したら、主力艦の一部を以って決
戦を希求する敵戦艦を牽制誘致し、他は大行動力を以って迂回し有利な位置より主目標
である輸送船団を攻撃する。軍縮条約により戦闘艦艇の保有量は決まっているので、米
国といえども決戦戦力を保持したまま船団護衛に十分な戦力を充てることは不可能であ
る。敵戦艦が船団護衛に張り付いて分散したら、その一部に主力艦に援護された水雷戦
隊を集中して襲わせてもよい。状況により敵空母部隊を奇襲攻撃することも不可能では
ない。
金剛代艦新主力艦
新軍縮条約での日本の主力艦保有量252000トンから改装後長門級35000トン2隻と改装後
金剛級32000トン4隻を引いた残枠54000トンで基準排水量27000トンの金剛代艦級2隻を
建造することとした。
新たに建造可能となった新主力艦は実質的には扶桑・伊勢級代艦であったが、条約上は
金剛代艦となる。新主力艦は上述の重巡駆逐艦と高速主力艦任務に加えて、さらに大行
動力を備えて中部太平洋の米軍補給路を攻撃し、足をのばしてハワイ以東にも脅威を与
えることが期待された。これは敵補給路の遮断を目的とするのではない。主力艦級が輸
送路付近に潜伏している可能性だけで、米軍は限られた戦艦を船団護衛にも用いねばな
らず、さらに輸送計画は大幅に遅延し反攻時期が遅れ、その分島嶼防衛が強化され日本
有利となる。
昭和10年8月軍令部より艦政本部へ前述の運用思想による27000トン新主力艦の設計研究
が要求された。新主力艦に期待された任務をまとめると
1敵重巡の駆逐
2敵海上補給路攻撃
3敵攻略部隊船団への迂回攻撃
4敵戦艦の誘致牽制
5味方水雷戦隊の援護
6敵空母部隊への奇襲
このため新主力艦には任務1に必要な砲力として14インチ主砲8門(12インチ級では重巡
は破壊不確実とされた)。任務1・2・3・6に足る機動力として最高速力32乃至34
ノット、航続力18ノット14000浬以上。任務4・5の際に不運な一発の砲弾で轟沈しない
ために対16インチ砲26−22kmで致命部を防御とされた。単独行動をとり多数の敵中小艦
艇との交戦機会が多いと想定され為6インチ級副砲12門以上と強靭な水雷防御が要求され
た。最大の特徴は航続力であり、他の項目を満たした後には極力航続力の伸長に努める
とされた。
艦政本部では勇躍基本設計に取り掛かった矢先、第四艦隊事件が起こり対策作業に忙殺
され一時中断したが再開した。その際三つの基本方針を確認した。
1工数と建造費の圧縮に努める
対米戦略の海軍の主力は設営隊と基地航空隊であり、第四艦隊事件の処理費用負担もあ
り、遊撃任務の本艦はなるべく安く造りたい。第四艦隊事件の処理費用も負担である。
妙に凝った設計をして性能を少々上げるために工数と建造費が大幅に増えるのは本末転
倒である。造り易さも設計に考慮する。
2安定性・強度・重量には若干余裕を持たせる
友鶴事件、第四艦隊事件の結果である。また軍縮条約下20年以上使い続ける為に改装・
発展・新兵器搭載の余地を残しておく為でもある。
3新技術は積極的に用いる
第四艦隊事件で溶接を悪玉とし外野場外の平賀譲が喧しく騒ぎ立て、関係者の不興を買
ったことがあった。確かに溶接の基礎研究は杜撰な面があったが、事件は兵装過多や異
常気象など様々な問題の複合が原因である。日進月歩の世界の造船技術に伍して行くに
は過去の実績に胡坐をかくことは許されない。
艱難辛苦を乗り越え昭和11年11月に基本設計が完了し、高等技術会議で了承された。
金剛代艦新主力艦の特徴
船体全般
船楼甲板型で船首のシェアとフレアが著しく球状艦首を採用している。曲面で構成され
た芸術的な艦首で凌波性は頗る優秀だが、船尾は工数削減の為トランサム型と割り切っ
ている。速力発揮のため喫水/幅比を大きくとり、cb値0.53と瘠せた船型である。前
甲板に4連装砲塔2基を余裕を持った背負い式に備えている。シェアが著しいので仰角を
掛けずに直前方への射撃は不可能である。前部艦橋から後部艦橋まで船楼構造が舷側ま
て続いている。その上にコンパクトな搭状艦橋、斜め一本煙突、後部艦橋が建つ。後甲
板は航空儀装に充ててある。
防御上の見地から舷窓は全廃してある。そのため機械換気で空調設備(冷暖房)が整え
られた。長期外洋連続航海に耐えるように居住性は頗る良好だった。兵員も兵器の一部
であり体調万全で戦わせるべきとの合理的な思想によるものである。加藤寛治三等大将
が「敵より先に猛暑に勝つ」と称し酷暑の中舷窓を全閉し多数の熱中症患者を出しなが
ら訓練を強行、挙句の果てに美保関事件を起こした時代とは隔世の感がある。
ただ新造時より可燃物を極力限局したので艦内は殺風景であった。
水雷攻撃を受ける機会が多いと想定される為、旋廻性能は重視され排水量に比して大型
の舵と操舵装置を装備した。
船殻及び防御
船殻及び防御に著しい特徴を有している。厚い装甲鋼鈑の生産が戦艦建造の最大のネッ
クである。そこで本級では厚い甲鈑は用いずに、比較的薄い甲鈑の多層防禦により、船
殻構造材を防禦材として又防御甲鈑を強度材として互いに活用している。当時日本海軍
では125mm以下の甲鈑は強度材に活用出来る技術があったと云う。その結果、建造費の
圧縮、構造重量の節減、防御範囲の拡大に成功している。
最上甲板はDS25mm2枚張りで艦首より艦尾まで連続し、その上に船楼構造が強度とは
無関係に乗っており強度的には平甲板型である。(利根型と同構造)最上甲板に接し舷
側外板NVNC60乃至80 mmが水線下2.7mまで広範囲に断片や小口径弾に対して防御してい
る。対8インチ防御としては不足だが重巡は接近される前に砲力で圧倒する目論見であっ
た。戦艦級の主砲弾に対しては斜め甲板を含む水線レベルの中甲板のCNC70mmと弾片防
御用下甲板が致命傷を防ぐ予定であった。安全距離は26000m以内、それ以上の遠距離よ
りの命中は極めて非現実的とされた。水中弾対策として水雷防御縦隔CNC50mm(中甲板
傾斜部の後方にあり同部の防御兼用)の要所にVHを追加装着した。
弾片防御の観点より極力溶接を用いた。(鋲接ではリベットが飛散し2次被害を生じる)
機関
要求された速力と航続力を満たす為に機関はディーゼル、タービン併用とされた。機関
区画に中心線隔壁は設けず中央機関室区画には缶4基タービン2基2軸計8万馬力が、それ
を挟む両外側機関室区画にはディーゼル主機4基1軸3万馬力分が収められた。
重油8000トンを搭載し外側ディーゼル2軸6万馬力のみで18ノット18000浬の巡航可能で、
内側巡航タービンを併用すれば26ノット8000浬巡航可能であった。
画期的な4連装主砲塔
単一砲架式連装砲を2基連ね、腑仰は左右2門ずつ行う。換装室の無い楊弾楊薬分離・固
定角装填式。1基の楊弾筒・楊薬筒から2門同時に給弾給薬を行う。砲弾は2発1組で格納
され、2列に並んで立ったまま楊弾され楊弾筒頂上で左右に分かれて装填機に載せられる。
火薬も2発1組で楊薬される。楊弾筒・楊薬筒各2基としたため構造重量軽減、砲項作業の
軽減に成功し、KG5世級の主砲塔より信頼性は遥かに高い。楊弾楊薬分離に加え火薬庫誘
爆対策に万全を期した。重厚な防焔に加え砲塔内部と弾火薬庫はCNC50mmで隔絶した。
このため砲塔装甲は対8インチ砲弾に対し完全防御にとどめた。
砲身は41式45口径36サンチ砲に比べ、冶金技術の進歩により砲身重量は1割ほど軽くし内
筒を軽圧入とし製造費用を削減したが、基本性能は同一だった。
最大仰角は30度、機動力を生かし有効射程内に接近して砲撃する思想である。
前述の運用思想より対重巡用準徹甲弾と通常瞬発弾を搭載し、対戦艦用徹甲弾は搭載し
なかった。
副砲など
対中小艦艇用に副砲火力は重視された。60口径6.1インチ砲の搭載も検討されたが、重い
ので50口径6インチ砲になった。これを連装砲塔に収め船楼部分に片舷3基ずつ並べた。
75度の高仰角と半自動装填装置を付け発射速度を上げ両用砲として用いた。
将来5インチ程度の高角砲は急降下爆撃には対応できず、大型水平爆撃機には威力不足と
なると予測される為、重量・建造費節減のため搭載しなかった。
代わりに25mm3連装機銃16基、管制装置8基を主砲前方に2基、前部艦橋、煙突、後部艦
橋周囲に片舷2基づつ各4基づつ、船尾に2基搭載した。
航空儀装
洋上運用の難のある水上機の運用法について海軍の方針は定まっていなかった。だが本級
では偵察哨戒、輸送船団への攻撃補助として水上機6機を搭載した。砲爆風からの隔絶と
ガソリン引火時の被害限局のため後甲板に繋止した。
建造の推移
1号艦建造費は昭和12年度予算に計上され昭和12年10月起工予定された。
それに先立つ通州事件、第2次上海事件により日中軍事衝突は必至となった。帝國国防方
針の主敵は米ソで対支戦は望まず事態不拡大の方針であったが、事此処に至りては事態
の泥沼化を防ぐべく拗れに抉れた諸問題の最終的解決手段として日中開戦が決定された。
戦争目的は「大日本帝國の圧倒的な武威を見せつけ、大陸より侮日を一掃する」。その
手段として「開戦一ヶ月以内に敵首都南京を陥落せしめる」。昭和12年9月石原莞爾少将の
実質的な作戦指導の下15個師団が杭州湾に上陸。対米戦略用の島嶼防衛研究が役立ち、
前年度より整備が始まった海軍設営隊や陸軍輸送船舶の活用にて補給路は万全。鬼神も
之を避く勢いで鎧袖一触、上海を孤立させ電光石火に南京を占領した。蒋介石に在留邦
人保護を確約させ中華民国の華北に於ける主権を認め早々に撤兵した。米ソに備える為
に余計な紛争の根を絶つのが目的の為、駐留経費の掛かる土地の占領などは問題外。参
謀本部の撤退命令に抵抗した将官は容赦なく処罰された。殊勲の石原莞爾も満州事件の
際の私兵化の罪を問われ、徳王事件の罪を問われた東条英機らとともに予備役となった。
侮日排日は中共の陰謀であり、蒋介石は掃共に専念。後顧の憂いを断った日本は対米対
ソ軍拡に専念。この戦争の戦費は約50億円、この財政支出が人も哀れむ日本経済に活を
入れ一挙に好景気へ。税収が増加し、それがさらなる軍拡費用となる。
この時代背景下、昭和12年10月1号艦は予定通り呉海軍工廠で起工され、軍拡時代の申
し子と呼ばれた。工事はブロック建造や先行儀装など実験的な新技術を積極的に取り入
れて行われた。溶接が多用されたのは前述の通り。起工は秘密でも何でも無く堂々と諸
外国にも通知した。ただし航続力と運用思想は国家機密とされ、基準排水量27000トン
14インチ砲8門25ノットと発表された。そしてわざわざ海軍省広報に「新戦艦は防御重
厚なる中速戦艦にして16インチ砲艦との砲戦にも耐えうる」載せた程である。工事は
順調に進捗し、昭和13年9月には2号艦も呉海軍工廠で起工された。同一の造船施設で
二隻を連続して建造することが、建造費圧縮に有利と考えられたからである。昭和14
年10月高松宮殿下の御降臨のもと1号艦進水式が盛大に挙行された。1号艦は昭和16年
2月、2号艦は16年9月に竣工引渡しされた。
竣工後に写真発表して四連装砲塔2基を前甲板に配した構造が知れると、某軍事評論
家なる者が駐在武官の目に付くように新聞に論文を発表した。曰く「かかる砲塔配置
は火薬庫長を短縮し集中防御に徹することで重厚なる防御を実現し、更に主砲散布界
を縮小せしめるを以って10門の主砲に匹敵する砲威力なり。而して砲威力と防御力を
斟酌するに本艦を以って扶桑・伊勢級に勝るとも劣らないと認む。」極秘を通すより
尤もらしい嘘を流す方が情報操作に有効であるのは言うまでも無い。米国は本級を艦
隊決戦用戦艦と認識した。
要目
基準排水量 27500トン 満載排水量 36500トン
全長 232m 全幅 29m 満載時喫水 10.2m
乾舷 船首9m 前舷5.2m 中央部(船楼)7.7m 船尾5.2m
機関 外側2軸ディーゼル6万馬力 内側2軸タービン8万馬力 搭載重油8000トン
武装 主砲 45口径14インチ砲 8門 4連装砲塔*2
副砲 50口径6インチ両用砲 12門 連装砲塔*6
機銃 25mm3連装機銃16基 管制装置8基
航空儀装 後甲板に6機露天繋止 射出機2基
作者より
冗長なる駄文を最後まで読んでくださり有り難う御座います、そしてご苦労様でした。
自由に設定してよいとの話でしたのでかかる次第となってしまいましたが、最後は息
切れしています。
以上が2月28日に投稿した本文です。起工までのくだりは同じです。以下こう変更
します。
この時代背景下、昭和12年10月1号艦は予定通り呉海軍工廠で起工され、軍拡時代の申
し子と呼ばれた。工事はブロック建造や先行儀装など実験的な新技術を積極的に取り入
れて行われた。溶接が多用されたのは前述の通り。起工は秘密でも何でも無く堂々と諸
外国にも通知した。ただし航続力と運用思想は国家機密とされ、基準排水量27000トン
14インチ砲8門25ノットと発表された。
そしてわざわざ海軍省広報に「新戦艦は防御重厚なる中速戦艦にして16インチ砲艦との
砲戦にも耐えうる」載せた程である。完成予想の模型まで発表して四連装砲塔2基を前
甲板に配した構造が知れると、某軍事評論家なる者が駐在武官の目に付くように新聞に
論文を発表した。
曰く「かかる砲塔配置は火薬庫長を短縮し集中防御に徹することで重厚なる防御を実現
し、更に主砲散布界を縮小せしめるを以って10門の主砲に匹敵する砲威力なり。而して
砲威力と防御力を斟酌するに本艦を以って扶桑・伊勢級に勝るとも劣らないと認む。」
極秘を通すより尤もらしい嘘を流す方が情報操作に有効であるのは言うまでも無い。
米国は本級を艦隊決戦用戦艦と認識した。
改めて言うまでも無いが、この砲塔配置は前述の本級に期待される任務から追撃砲戦
機会が多いと想定される為のもので、戦艦砲戦用の集中防御伝伝とは一切無関係である。
この砲塔配置により後甲板に広い空きスペースが出来たので、水上機6機を搭載し偵察
哨戒、輸送船団への攻撃補助として用いることにした。しかしその水上機の用法が実用
可能か早期より疑問の声が上がった。戦闘航海中に水上機の洋上回収は不可能に近い。
近海なら島嶼基地に帰投する又は後続の水上機母艦に回収させる手がある。本級が長大
な航続距離を生かして遥か遠方の敵補給路に挺身攻撃を掛けた際、水上機の洋上回収は
果たして可能か。この疑問に対して明確な回答の無いまま起工された。
設計変更へ
昭和12年9月日中戦争の一気呵成の勝利により日本中を覆っていた閉塞感は払拭した。
すると過去の移民排斥問題が原因で、埋もれていた反米感情が徐々に表に現れ始めた。
この機を察知した出版界により日米戦を扱った空想小説、今で言う仮想戦記が10月頃より
市中に出回り始めた。軍令部要員某少佐がその1つを読んでみた。米国が軍縮条約を破棄
して軍備増強の後に日本に攻め込んで来るという内容であった。某少佐にとって目から鱗、
晴天の霹靂、全身に衝撃が走った。第二次ロンドン軍縮会議以降、軍縮条約の存続を前提
に対米軍拡を進めてきた。戦備は順調に進捗しつつある。海上護衛隊を新設し孫子の
「故善戦者立於不敗之地 而不失敵之敗也」(ます不敗の体制を整える)を実践した。
島嶼防衛と補給線攻撃の戦備を整え「是故勝兵先勝 而後求戦」(勝てる条件で戦を求む)
を目指していた。
余談だが賭博行為に等しい艦隊決戦(戦艦砲戦のみを意味しない)至上主義は
「敗兵先戦 而後求勝」である。
ところが軍縮条約の存続が前提なのである。過去の経験より軍縮条約は日本が脱退するこ
とはあっても、英米が脱退することは想定外なのである。少佐は直ちに軍令部に、米軍縮
条約脱退を想定した戦略の立案を意見具申した。
軍令部にも衝撃であった。その衝撃たるや締切日に改装要求を出された競作投稿者の如し。
必勝の信念は前提が変わることで必敗の観念へ堕ようとしていた。これぞアノミーである。
この危機に東洋の英知に活路を求めた。そして見つけた。孫子 九地篇にあった。
敢エテ問フ 敵衆ク整イテ将ニ来タラントス 之ヲ待ツコト若何ト
曰、先ズ其ノ愛スル所ヲ奪エバ則チ聴ク
(敵大軍の侵攻を目前にして如何にすべきか
敵の重要物資を奪えば敵は思い通りになる)
愛スル所・重要物資とは往時は兵糧、現代海戦では重油ではないか。奪えないにしても、
沈めてしまえばよい。敵の油槽艦を最優先攻撃目標とすべし。敵正面戦闘艦隊の規模が拡
大すればするほど必要重油量が増し、広大な太平洋を通る兵站線の弱点が拡大する点が妙
味である。
敵油槽艦への攻撃力を強化する為には潜水艦隊を強化するのが正道だ。そうすると潜水艦
が遥か遠方の敵補給路で長期間活動できる補給手段がほしい。船舶往来の激しい大西洋な
ら擬装商船での補給も可能だろう。しかし日米風雲急を告げる時に北太平洋で商船がのろ
のろしていたら十分怪しまれる。新主力艦は長大な航続距離を生かして敵補給路に挺身攻
撃を掛けるのだから、ついでに味方潜水艦にも補給したらよいとなった。
もう一点、新主力艦の航空兵装を強化することも挙げられた。敵の輸送計画を狂わすだけ
なら、輸送路の近くに行くだけでよい。だが確実に油槽艦を葬るには航空機を伴う方が良い。
新主力艦が敵輸送路攻撃に出撃しても護衛艦の制圧に手間取り時間切れ、ぐずぐずしてる
と優勢な敵戦闘部隊の来援を招く公算大で一先ず引き揚げとなる可能性もある。護衛巡洋
艦など何隻沈めても、油槽艦・輸送艦を沈めなければ戦局への貢献は皆無に等しい。そこ
で強力な航空兵装(水上機で十分である)が有れば、護衛部隊と交戦中に油槽艦・輸送艦を
攻撃出来る。油槽艦を撃破出来れば護衛部隊に用は無い。
冷静に考えると元々海軍の主攻撃目標は敵輸送船団であり、それに米条約脱退の時点で内
南洋島嶼要塞の建設に着手出来るので、米が戦闘艦隊の拡充を行っても島嶼防衛戦略への
影響は思うほど大きくないのである。怖いのは米がフィリピン・グワムの要塞化・ハワイ
根拠地能拡充に着手することである。それへの対応策や、以前より指摘されていた水上機
の洋上回収など未解決の問題は山積していた。しかしアノミーを起こしていたので、矛盾
点はそのままに新主力艦への改装要求のみが独り歩きし始めた。
昭和13年1月軍令部よりの改装要求
爆撃可能な二座水偵12機以上、偵察・観測機4機以上搭載可能とすべし
同時に味方潜水艦への補給任務も可能とせよ
改装の推移
元々余裕を持った設計で、起工後3ヶ月しか経過していなかったので上記の改装は容易で
あった。改装点は以下の通り。
1船楼甲板を船尾まで延長、後部艦橋から船尾までを航空機整備甲板とする。
延長された船楼部分は兵員室などになる。
2後部に中甲板を床面、最上甲板を天井とする上甲板を貫く格納庫・倉庫を設け、船尾に
航空整備甲板までのエレベーターを設ける。この倉庫は水上機、補給物資の何れの収納
にも使用可能。
3クレーンは船尾に1基、後部艦橋両舷に1基ずつ、計3基。水上機の回収、洋上補給、
短艇(煙突と後部艦橋間に収容)作業に使用。
4航空機は整備甲板上に8乃至10機露天繋止可能(射出機上含まず)。格納庫に6機は収納可、
分解すれば更に多く。
4本級は元々予め将来の改装の余地を残した余裕ある設計のため、上記設計変更は問題な
く行えたが、船楼部分延長による重心上昇を少しでも減殺する為に、前部艦橋の高さを5
m程低くした。当初は他の戦艦と同様に海面から36mの高さに方位盤が設置される予定で
あった。
工事は順調に進捗し、昭和13年9月には2号艦も呉海軍工廠で起工された。同一の造船
施設で二隻を連続して建造することが、建造費圧縮に有利と考えられたからである。
昭和14年10月高松宮殿下の御降臨のもと1号艦進水式が盛大に挙行された。
1号艦は昭和16年4月、2号艦は16年11月に竣工引渡しされた。
ついでに言うと本級を艦隊決戦用戦艦と誤認させる情報操作も成功した。
その後の歴史(付録その1)
昭和16年独ソ戦勃発。独とは同盟関係に無かったが主敵ソ連の打倒は国益に叶うとして
陰で独を支援した。関東軍は満州国ソ連国境で盛んに挑発行動をとった。ジーコフのシベ
リア軍団を拘束する為である。またゾルゲを通じてシベリア侵攻の偽情報を盛んに流した。
ゾルゲの正体は以前より判明していたが、偽情報に利用するため泳がせておいたのである。
そしてモスクワ陥落でソ連崩壊の兆しが見えた暁には、極東に満州国のごとき緩衝用の傀
儡国家を樹立した。亡命ロシア人達を利用した東シベリア共和国である。この戦費は予め
日本国債をウォール街で売りまくって調達した。日本は昭和12年以来、軍拡主導の好景気、
経済高度成長が続いていたので国債はよく売れた。
この事変に米ハル国務長官は激怒し日米開戦を主張。日本国債を購入した投資家達はこれ
に反対。米海軍は戦艦の優位を信じ自信満々。
この時大日本帝國政府は新主力艦の性能と用兵構想を大々的に公表した。
何故か。満州事変の際の米国の行動に学んだからである。時のスチムソン国務長官は日米
開戦を主張。米海軍は重巡の劣位を理由に絶対反対。この事例より米国は絶対優位の場合
しか戦争を起こさないと思われる。(スペイン、メキシコなど)
幸いにして米海軍は艦隊決戦を前提とした戦備を進め、懸軍万里極東に来寇する際、兵站
線に弱点を抱えたままである。この弱点を指摘しかつ攻撃可能な手段を有することを宣伝
すれば米国は開戦を断念する可能性がある。「戦いたくなければ強く見せろ」である。
政府の発表方針に日本海軍は反対した。過去4年間延々と軍備を整えてきたのは、一朝こ
と有る時に米輸送船団を海の藻屑と化し、太平洋の怒涛をば御国の盾として米国の野望を
打ち砕かんとする為である。新主力艦の用法を公表することは其の努力を水泡に帰すこと
になると。
これに対する政府の答えはこうである。
いま日米開戦となれば、帝國の戦争目的は東シベリア共和国に対する米国の干渉を排除す
ることである。米国に損害を与えることではない。故に米国が開戦を断念すれば戦わずし
て戦争目的を達成したことになる。東洋の英知、孫子にある。
百戦百勝非善之善者也 不戦而屈人之兵善之善者也
(百戦百勝は最良ではない 戦わずして勝つが最良である)
万一日米開戦となったとしても、新主力艦の性能を知って直ちに根本的な対抗措置は取れ
ないので、対米新戦略の構想通りに日米戦は推移するであろう。
開戦とならなければ米国は新戦艦を起工するなどの対抗措置をとるであろうから、新主力
艦の戦略的優位は失われるであろうが、その時は別に対応すればよい。
大日本帝國政府の発表を受けて、新主力艦を艦隊決戦用戦艦と誤認していた米海軍は狼狽。
戦力ピラミッドの隙間を突かれることとなり、ついに対日開戦を断念。
東シベリア共和国は成立しアジアに於ける共産主義は一掃された。
対米戦構想(付録その2)
第1段階 開戦後速やかにフィリピン・グワムを攻略し在極東米軍根拠とを破壊。
パラオ・ウルシー・グワム・サイパンの邀撃帯で航空基地・防御陣地の構築を開始。
新主力艦はハワイ以東の米海上輸送路に脅威を与える。米は戦艦級を船団護衛に用い
ざるを得ず反攻時期が遅れ、邀撃帯構築の時間をかせぐ。
第2段階 米艦隊・攻略部隊ハワイに集結の後、マーシャル次いで東カロリンを攻略。
日本は適当な遅滞行動のみ。
第3段階 米補給路が米本土−ハワイ−マーシャル−東カロリンと伸びきり哨戒が手薄に
なった段階で、一斉に潜水艦隊による補給線攻撃開始。新主力艦も補給路攻撃に従事。
僥倖が重なれば米艦隊はトラック泊地に停泊したまま油を断たれて動けないことも。
第4段階 米艦隊・攻略部隊が邀撃帯へ攻撃開始。基地航空隊による輸送船団撃滅戦。
前哨戦として基地・母艦航空隊合同の制空権獲得戦はあるが、主目的は敵輸送船団。
艦隊決戦を希求する敵戦艦部隊は、長門以下の高速戦艦が牽制誘致し適当にもてあそぶ。
新主力艦等による水上部隊による輸送船団攻撃も同時に企画。
それでも上陸すれば、陸軍の防御要塞が準備万端、待ち構え累々たる屍山となす。
第5段階 邀撃帯攻略は頓挫。日米両国が潜水艦によりそれぞれの敵海上輸送路攻撃を
企画。潜水艦・海上護衛戦へ移行し戦争は膠着状態へ。
膠着状態を利用できる政治家がいなければ結局日本はジリ貧となる。
蛇足 作者の戯言
繰り返しになりますが拙稿の主張したきは艦隊決戦無用論。艦隊決戦とは戦艦砲戦のみを
意味しません。敵戦艦艦隊を沈める為にあらゆる努力を傾注することを意味します。
で、沈めてどうなるか。戦争に勝てるのか。ビスマルク・カブール級の大政治家がいれば、
決戦の勝利を戦争の勝利に結びつかることも、あるいは可能かもしれませんが。
ジュトランド海戦を考察しましょう。もし英が大勝利、独戦艦をことごとく沈めたとすれ
ば、その後の大戦の推移はどうなっていたでしょうか。答え−何も変わらない。
港に逼塞する戦艦と海に沈んだ戦艦は畢竟同じことです。大陸国家に艦隊は生存上必要不
可欠ではありません。故に独は大敗しても陸上で何度でも大攻勢に出られ、潜水艦により
英は崩壊寸前となります。
逆にもし独が大勝すれば勝負あり。北海の制海権を失った英は大戦より退場するしか無く、
大戦は枢軸側の大勝利となります。
これを日米に当てはめると、海洋国家たる日本は艦隊決戦に敗れれば即敗北、一方大陸国
家たる米は艦隊を失っても何でもない。だから日本が艦隊決戦に勝利しても膠着状態がい
いところです。同じ膠着状態を作るなら、もっと危険の少ない方法があるはず。
如何なる目的で艦隊決戦を行うのか−決戦自体が目的と言うのは無意味であり、制海権獲
得の手段である。では何の為の制海権か−自国通商路を保護し、敵に上陸を許さない為で
ある。ならば直接、敵輸送船団を攻撃すればよい。狭い北海とは違う広大な太平洋を米は
懸軍万里遠征して来る。日本近海の海上封鎖を行うにはどうしても前進根拠地が必要であ
る。島嶼防衛で前進根拠地を与えなければ自国通商路は安泰である。怖いのは潜水艦によ
る通商破壊であるから、予め海上護衛を整備しておく。
かく考えました。このように目的と手段を峻別していくと、どうしても戦争目的は何かと
いう命題に突き当たります。クラウゼビッツによれば戦争は他の手段を以ってする政治の
延長ですから、戦闘の勝利者ではなく戦争目的を達成した側が戦争の勝利者となります。
戦闘に大勝し戦争に敗れた最近の好例として第2次中東戦争の英仏が挙げれます。
ならば戦闘以外の方法で目的を達成できれば、それに越したことは無い。この点は付録1
で触れました。孫子の不戦而屈人之兵善之善者也とリデルハートの間接アプローチ論、
そしてドーエの戦略空軍思想は畢竟同じ意味だと考えます。
だから華々しい戦闘無く、抑止力艦として朽ち果てるのが艦船の善之善なる生涯ではない
でしょうか。
最後に
戦略から自由に想定してよしとの話でしたので、長々と戦略を説明することになりました。
競作の趣旨から外れるならば御容赦の程を。拙文を読んで頂けただけで光栄です。
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