大和 建造所、○菱重工業○崎造船所 起工、昭和十二年十一月四日 竣工、昭和十六年五月八日
要目
基準排水量 35000トン
全長 216メートル
全幅 32.5メートル
吃水 10メートル
主機 艦本式13号10型内火機械16基
出力 120,000馬力
速力 28ノット
航続力 18ノットで10,000浬
兵装 35.6cm50口径4連装砲3基、12.7cm40口径連装高角砲10基、水偵12機、水観4機、射出機4基
装甲 水線310mm(斜頚18度)、甲板165mm
搭載機増加
1937年、日本に新たな軍事組織が誕生した。
大日本帝国空軍である。
陸海軍の垣根を取り外し航空兵力を効率よく運用することによって、国防力の向上を図る
・・・と言えば聞こえはいいが、早い話が唯一の仮想敵であるソ連との戦いにおいて必要の
無い海軍航空隊を縮小し、不況下における財政支出を抑えるのがその目的であった。
1935年に結ばれた新しい条約により航空母艦の保有数を四隻(うち三隻は一万トンの軽空
母)に制限されていた海軍航空隊は、この更なる縮小に落胆の色を隠せなかった。
そんな彼らに追い討ちをかけるような発言が聞こえてきた。
「攻撃的艦種である空母は軍縮条約によって全廃すべきである」
よりにもよって海軍部内からの声であった。
事ここに至り、彼らの危機感は頂点に達した。
彼らはなけなしの政治力を駆使し、己が組織の存続の為に東奔西走した。
そして・・・
明くる1938年1月、新型戦艦の設計を終え穏やかな日々を取り戻していた艦政本部が再び
喧騒の中へとに戻るはめになったのは、つまりはそういう理由である。
工期短縮
仕様変更に頭を悩ます艦政本部に新たな衝撃が走った。
一号艦・・・後の大和の受注をめぐり海軍首脳への某造船企業からの収賄が発覚、ジーメン
ス事件に匹敵する疑獄事件へと発展した。俗に言う一号艦事件である。
艦政本部の不幸とは、この事件の調査過程で某造船企業が大和の工期を不当に長く見積もり
建造費を水増し請求していたのが発覚した事である。
当然、世論は大和の工期短縮を強く求めた。
こうして、艦政本部が再設計に使える時間はなくなった。
航空儀装
変更内容は、前部甲板にカタパルトを二基増設、高角砲脇に弾薬庫を設置、搭載機移動用
レールの延長および増設の三点である。
当初は後部第三砲塔を撤去し格納庫を設置する案もあったが、海軍内部に根強く残る大艦
巨砲主義者による火力減少への反発と、前記した工期短縮の問題によりこのような非常に簡
素な改装になった。
その結果、航空機運用能力は限定されたものになったが、もともと今回の仕様変更は海軍
航空隊の保有機数および航空隊数、人員の確保が目的であり、定数を搭載できるなら問題無
しとされた。(事実、本艦が定数いっぱいの航空機を搭載したことは一度も無かった)
なお増加搭載機分の燃料はドラム缶につめて甲板上に並べられる予定だった。(こちらも
搭載されることは無かった)
あとがき
ども、中村です。
搭載機増加の理由は上に書いてあるとおりですが、表向きは・・・
「昨今、ソ連潜水艦の増強は目覚しく、これに対して条約制限下にある帝国海軍の艦艇数
は充分とはいえない。
戦時において、通商線護衛を円滑に行うために主要艦艇にはなるべく多くの航空機を搭
載すべきである」
こんな感じになってると思われます(笑)
今回は別段奇をてらわずに基本的な艦になりましたので、次回は奇想天外なものにしたい
と思います。
さて、最後までお付き合いいただき有難う御座いました。
では、機会があればまた。
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