立川D5

スケッチ

月刊素組み天国!1月号より抜粋。

サルの目コラム ●台湾の謎の艦爆

去年の10月、編集部宛に名古屋にお住まいの与田さんからお手紙をいただきました。
早速、拝見させていただくとその内容に驚かされてしまいました。
その文面には、昭和18年1月、当時国民学校の6年生だった与田さんはお父様につれられ、台北の○○海軍基地でとても変わった艦上爆撃機を見たとの内容でした。
当時、模型飛行機に夢中だった与田さんは現在のマニアと同じように世界の飛行機を夢中で調べ、そのスタイルやスペックを暗記していたそうで、貿易商のお父様が帝国海軍と繋がりがあり、当時の人々が知らない最新鋭の飛行機も実際に見ることができたそうです。
その与田さんがまったく見たこともない海軍機を目にして、興奮覚めやらぬ手で家に帰り夢中でスケッチしたという謎の機体が同封されていました。

その機体は空冷エンジン搭載で4翔プラペラを有し、珍しい肩翼式で胴体下部は爆弾槽があったと書いてあります。
また後部胴体は湾曲したカーブで高い位置に水平尾翼があり、模型飛行機を良く飛ばしていた与田さんは肩翼形式によるピッチコントロールの確保のため、このようなスタイルになったのではと考えたそうです。
与田さんから頂いた手紙だけなら本誌も信憑性が薄く、なにか別の機体と見間違えではないかと考えていたでしょう。
しかし、与田さんの手紙をもらう2ヶ月前に当時立川飛行機で設計に携わっていた人物の取材をしていた時、空技廠で開発していた13試艦爆「D4Y 彗星」の補填用の艦爆の仕事をしていたというのです。
海軍機の経験が全く無い立川がこの艦爆の設計が入り、情報提供者も当時驚いたといそうで、この話しに大変熱を込めて話していただきました。
にわかに信じられないことでしたが、その時、社内試案として出された3面図を見せていただいたのですが、これが、与田さんのスケッチと非常に良く似ていたのです、早速立川の人物に確認を取ろうとしたのですが、残念ながら、ご本人の入院という事態で確認でき無い状態でした。
しかし、この謎の機体について別の人物から情報が入りこのコラムとなりました。

その情報によると、この機体は社内でD5と呼ばれ、艦上爆撃機として4機ほど試作されたものらしく、昭和14年に内示された要求性能は、稼働率/量産生を考慮し、最高速度500km、50番を搭載(急降下)、また防空任務のため運動性能も良好というもので、「D4Y 彗星」の保険とはいえかなりの高水準要求でした。
立川社内でコンペを行い、D5は昭和15年から設計が始まったそうで、社内でも少人数でこれに当たったそうです。
当時、搭載可能な高出力エンジンは立川の事情もあり火星しかなく、火星11型/25型?が決定し、この大きなエンジンをどう空力でカバーし要求性能を満たすかが鍵でした、このあたりは三菱の「J2M 雷電」と似た状況だったのでしょう。
50番の爆弾は胴体内に納め、抵抗を無くす。そのため中翼形式配置となるはずでしたが、このD5は、肩翼という日本の主力軍用機としては珍しい形式で進み、主脚の構造も胴体内に収容するもので、その直後に爆弾槽を配置していました。
主脚引き込みは米軍のバッファローやF4Fと同様の構造で油圧と手動機械式の両方を備えたものでした。
また先の与田さんの想像と同様に、艦載機として全長の短縮と肩翼形式での離/着艦時、水平尾翼のピッチ制御を確保するためより高い位置での配置から、湾曲させた形状になったようです。
急降下爆撃のためのダイブブレーキはフラップ面に装備し、水平尾翼の自動取付け角変更等の装備が予定されていたとのこと。
昭和17年2月に試作機は完成しており、その後は海軍でテストが開始されたようですが、この情報提供をくださった人物は試作機の完成直前に、結核を患い退社し後の経緯を知らないとのことでした。
このような断片的な情報と3面図から読み取れることは、このD5という機体が試作止まりで終わったことです。
視界不良を軽減するため主翼前縁部を切り欠くような翼平面形、内翼のインテグラル燃料タンク、肩翼を採用したための多くの弊害、いったいなぜこの方式を採用したのか?多くの謎を残しています。
最終案かどうかはハッキリしませんが、以下のような緒性能/寸法だったようです。

発動機 :火星11型 星型14気筒 1410HP/2000m(公称1速)、1530HP(離昇)
寸 法 :全幅13.80m、全長10.32m
重 量 :自重2920kg、総重量4970kg
最大速度:510m/4000m(計画値)
航続距離:1,500km(500kg爆弾×1)(計画値)
上昇時間:5000m/10分20秒(計画値)
武 装 :7.7mm×1、20mm×2 500kg爆弾×1

立川関係者からの情報で、与田さんの見た機体がこのD5という機体の可能性が高まりましたが、なぜこのD5が昭和18年の台湾に存在していたのかなど、その経緯については資料も無く手詰りの状態です。
別の話しでは、終戦後の日本軍の武装解除及び、捕獲機の管理の任務についていた英海軍の技術将校の手記に、台湾で見た、日本海軍の単発攻撃機の話しが有り、「我が海軍のバラクーダに似ていて、これが試作機どまりで終わった理由も良く分かる」と書かれているもので終戦時まで台湾にこのD5が保管されていたことも考えられるます。
この謎の機体については本誌でも情報が入りしだい、随時お知らせして行きます。
また来月号は「低翼はもう飽きた!世界の中翼、肩翼、高翼機」と題して、豪華モデラー陣による特集となります。
さらに、急遽このD5と呼ばれた機体も、素組み天国では異例のフルスクラッチで再現が決定しました、どうぞご期待ください。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
与田さん?誰?月刊素組み天国?なに?
台湾で見た湾曲した形状の謎の機体、まさに台湾バナナ…おやじギャグ以下の発想原点。
申し訳ございません…。

想像図