機首爆弾倉ドアを開けて50番爆弾を投弾した瞬間の螢星一二型。急降下中の空気力に抗してドアを閉じる必要から、飛行中のドアの開度は35度に制限される。大型飛行艇のフラップ等で培った技術を使った開閉機構は頑強かつ強力で、対気速度330kt(611km/h)程度までは問題なく開閉できたという。


設計主任、菊原静男は振りかえる。

「14年の艦爆の競争試作、あれを会社が受けたと聞いたときは、正直気が重かったですよ。なにせ、そのころは十三試(二式)大艇の開発で忙しかったし、会社も車輪のついた飛行機なんて複葉機時代に艦戦の競作に負けて以来作ってなかったんですから」

「ただね、前原さん(副社長)が『水上機や飛行艇なんて、戦力的にはしょせん補助だし、数も出ない。それではいくら日本有数の技術力があっても、会社が国に充分貢献してることにはならないじゃないか』とおっしゃったんで、まあ、私も若かったんでしょうね…プライドを刺激されたっていうか(笑)」

「まず、エンジンの選定から入りました。空技廠の試作艦爆が例のダイムラーベンツでしたから、確実性を求められるこちらとしては、やっぱり空冷でいかなきゃならない。すると、速度性能と搭載能力の要求を考えて、1500馬力、できれば1800馬力ぐらい欲しかった。そうすると三菱さんの『火星』か中島さんの『護』かということになりますが…『火星』は大艇とかぶりますし、三菱さんも十二試陸攻(一式)と十四試局戦(雷電)に使うそうだから、数が足りなくなるかもしれない。『護』にいたってはトラブル解消の見込みが立っていなかった…」

そこで設計陣は、機構簡素化の要求には反するものの、850〜900馬力級エンジンの双発を選んだ。とはいえ、当時最新の中島「栄」は、十二試艦戦の本命エンジンであったため、将来的に供給不足となるおそれがあり、事実上、三菱「瑞星」以外の選択肢はなかった。

「とにかく数の出る商品が欲しいっていうんで、社運を賭けていたようなところがありましたね。なにせ、あのおとなしい川西さんが、『あれもこれもと手を出しちゃ、どれもものにならん』って前原さんを説き伏せて、7月に話のあった高速水偵の開発を断らせちゃったんだから…はじめての陸上…あ、艦上機ですね…の開発だからっていうんで、僕の負担を軽くしようとしてくださったんでしょう。まあ、あんなもんは愛知に押し付けちゃってよかったんですけどね、結局(笑)」

こうして、ある意味失敗が許されない計画となった本機には、まず飛行機としての確実性を優先した設計がとられることになった。

「主翼の構造や平面形は九七式飛行艇の応用です。燃料タンクを大きくとるために桁の位置は変えましたが、外板にはなまこ板で裏打ちをしてありますし、全体は手慣れたボックスビーム構造です…とにかく艦爆というのはたいへんな荷重がかかるんだというので、手っ取り早く大型機の構造を使ったんですね。フラップにいたっては、中島さんのJ1(月光)そのままの擬似ファウラー式です。こちらは空技廠ご推薦だったんですが」

「尾翼も九七艇の応用です。ただ、空母のエレベーターに乗っけるには全長をつめなきゃならないけど、方向舵を大きくとらないと着艦のときの位置あわせができないらしいというので、方向舵のヒンジラインを前に寄せていったら、あんな珍妙な格好になっちゃった。いろんな意味で余裕がなかったんでしょうなあ」




 着陸後、プロペラ後流で砂塵をまき上げながら前線飛行場の掩体にタキシングしていく螢星一二型。尾翼の部隊記号「鷹」から分かるように523空の機体である。
 最後部風防の開口部が狭いことがよく分かる。


新艦爆には空戦性能も求められていたが、久しく戦闘機など作ったことのない設計陣は、近代的な空戦術の勉強からはじめなくてはならなかった。

「海軍のパイロットにも話を聞きましたが、注目したのは『敵機に命中弾を与えるときは、まっすぐダイヴしていって一撃で決める』という話でした。軽快な運動性うんぬんというのもあったんですが、爆撃もできる飛行艇を作ってたせいで『爆撃機乗りが戦闘機搭乗員並みのアクロバットをやるはずがない』という頭がありましたし、急降下なら本来の任務と同じですから、よけいな設計の手間がいらないということで、すわりのよさと機関砲の命中率を優先目標にしました」

こうして、本機は尾部胴体を縦長につぶした形状として高速時の方向安定を強化するとともに、操縦席直前の機首上面に20mm砲2門を並べて装備することになった。そして…

「急降下爆撃っていうのは、要するに投下した瞬間の機軸方向に沿って爆弾が落ちるから命中率が高いんだ、と理解していたんですね…だったら爆弾を軸線上に積んでおけばより命中しやすいんじゃないか、って考えた」

本機の最大の特徴である前開きの機首爆弾倉は、他社よりも精度の高い武装プラットフォームとすることで採用を勝ちとろうという構想の産物であり、世上言われているような、正面面積を最小化して爆装時の飛行性能を改善しようという企図のものではなかったのである。

「技術的にも爆弾倉がキモでしたね。扉は急降下中の空気力をもろに受けますから、外側にも気流を回して空力的に中立化しないと閉じられない。形状はもとより、ヒンジの位置や開角度制限については相当実験しました。それと、途中で水平爆撃もすることになったので、主翼をはさんで反対側の機体下面にも爆弾を吊るせるように構造を強化したりといろいろやりました。ただ、ちょうど重心点の上にあるスペースでしたから、中に350リットルだったかの増槽を載っけられるようにしておいたのは好評でしたね」

しかし、中央胴体前部を爆弾倉に占領されたため、操縦室は必然的に主翼後方に追いやられ、特に地上姿勢での視界は悪化した。

「やはり水上機メーカーだったせいでしょうか。水上機は接地点も滑走路の長さも気にしなくていいから、水面からの高度さえわかれば、前下方視界にはあまり神経質にならなくていいんですよ。社のテストパイロットもあまり気にした様子がないので、海軍の方が驚いておられた意味が最初はわからなかった…木型審査のときには指摘がなかったのに…三菱さんのJ2(雷電)と同じですね(笑)」

結局、視界については、もともと機首が短く中央胴体が細いことから、尾輪支柱を延長して三点静止角を小さくすることで何とか致命的ではない程度に確保できた。また、最後部風防の開口部が小さいせいで旋回銃の斜界が狭いことにも不満の声があったが、細い胴体の中にはもともと機銃を振り回すスペースなどないことから、根本的な解決は断念された。




 格闘戦性能は端から捨ててかかったとはいえ、正確な爆撃照準と対空砲火の回避のためには、本機もそれなりの運動性能を必要とした。全体にコンパクトで、極端に細い胴体のおかげで両エンジンの間隔が狭く、さらに補助翼を大きめにとったため、本機は双発機としては水準を越える運動性能を発揮した。


試作1号機は日米開戦直前の1941年10月に初飛行し、上記のような難点はあったものの、概ねよい成績で試験は進行していった。しかし、機体価格が彗星より高くなってしまったことで、殊に戦時下の財政状況では本機の当初の目標である彗星の予備機としての適格性には疑問符をつけられた。

とはいえ、信頼性の確立された「瑞星」を双発で搭載していることによる生残性の高さ、過荷状態なら1トンという爆弾搭載量、非爆装時には零戦を上回る上昇性能といった長所は魅力的であり、とりあえず基地航空隊用の多用途戦術機として生産されることになった。

「航空本部がD4(彗星)を本命の新艦爆だと決め込んでしまって、なかなかフネに乗っけてくれようとしなかったんです。そのうち機動部隊が壊滅同然になっちゃったから、結局、艦爆として作ったはずなのに空母から作戦したっていう話は聞きませんねえ。ただ、愛知が十四試高速水偵に手間どってD4の生産を伸ばせなかったおかげで、こっちの注文は増えた(笑)」

「速度と上昇ではA6(零戦)に負けないし、J1より軽快で丈夫だっていうんで、前線では便利に使われていたようですね。偵察に使われることは開発中から予想してましたが、戦後になって『雷撃した』だとか『爆弾倉に20mm砲積んでB-17を撃った』だとかいう話を聞かされたときは驚きましたよ」

本機の武勇伝として有名なのが、マリアナ方面における佐竹少尉・橋本上飛曹ペアによる空対空爆撃である。本来船団攻撃を任務としていた彼らは、ある日、護衛戦闘機からはぐれたらしいPBY救難飛行艇を発見、これを上空から銃撃しようとしたところ、誤って爆弾投下ボタンを押してしまった。しかし、投下された25番爆弾は敵機進路上の海面で炸裂、見事これを巻き込んで撃墜に成功したのである。これに着想を得て、彼らはときどき時限信管をつけた爆弾を携行しての哨戒飛行を行うようになり、あるとき海面すれすれを行くB-24の払暁攻撃編隊に対して投下した爆弾は編隊中心で炸裂、一気に4機の撃墜に成功したという。

「J2とN1(ここでは強風ではなく、紫電)の開発がもたついていたとき、こいつの爆弾倉に20mmか30mmの機関砲を積んで代用局戦にしようという話を航空本部に持ちかけたこともあります。でも、やっぱり機体価格が高いからダメだと。そうこうしているうちに、紫電改がなんとかなりそうだというんで、こっちを優先しようということになったから、D5の生産は19年の秋で停止させられて、『金星』を積もうかっていう話も流れちゃった」

戦後になって、アメリカの航空雑誌が本機を「グラマンF5Fのコピー」だとする記事を載せたりしたが、そもそも用途が異なるうえ、空力設計では本機のほうが優れた面があり、日本独自の設計様式をとった部分も多いため、こうした論が見当外れであることは明らかである。
また、ニューギニア方面において鹵獲された機体が戦後イギリスに渡り、好事家の手によってエアレーサーへの改造が試みられた(エンジンはR2000だと思われる)というが、真相は明らかになっていない。

生産数は「瑞星」一五型装備の一一型が102機、エンジンを「瑞星」二一型に換装した一二型が716機、機関砲を九九式二号に更新し、翼折りたたみ機構を省略する等した二二型が202機、これに試作機7機を加えた計1027機とされる。近年、既存の一一型の機関砲のみを更新したものが一時的に二一型と呼称されるも、後に全機二二型規格にアップグレードされたために名称・機数ともに二二型に吸収されたのではないか、とする見解が示されているが、真偽のほどは定かではない。

愛称の「螢星」とは、さそり座のμ(またはω)連星のことで、仇討ちで有名な曾我兄弟に喩えられることもあることから、双発急降下爆撃機である本機にふさわしい命名だといえる。



 主翼下に零戦用の300リットル増槽を下げて飛ぶ一二型。主翼下面と増槽上面をなるべく平行にして主翼との空力干渉を少なくするために、機軸に対して約3度の頭上げの状態で携行される。彩雲用の726リットル増槽を積むこともできたというが、写真は残っていない。
 撮影機が低速であるらしく、迎角をとり、フラップとその直前のダイブブレーキを少し下げた状態にして速度を調整しているのが分かる。本機は巡航速度が速いことも特徴で、長距離作戦時にはこれによる飛行時間の短さが乗員の疲労軽減につながったという。




諸元(一二型)

翼幅 15.00m
(外翼折りたたみ時) 9.47m
全長 10.61m
全高(水平) 4.35m
翼面積 36.84m2
三点静止角 12度06分
自重 3,866kg
総重量
(爆撃標準) 5,498kg
(爆撃過荷) 5,722kg
(偵察過荷:最大離艦重量) 6,207kg
発動機 三菱「瑞星」二一型
離昇出力 1,080hp×2
最高速度(高度5,800mにて) 292kt(540.8km/h)
上昇時間(高度6,000mまで) 7分8秒
実用上昇限度 10,100m
航続距離
(爆撃標準) 825nm(1,528km)
(爆撃過荷) 1,210nm(2,241km)
(偵察過荷) 1,680nm(3,111km)
武装
  爆弾類
(合計最大) 1,000kg
(機首爆弾倉最大) 500kg
(主翼下面最大) 800kg
  機首銃 九九式一号20mm機関砲(60発)×2
  後方旋回銃 九二式7.7mm機関銃×1


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