一撃必殺の降爆

中島 十四試艦上爆撃機

D5N1

側面図
平面図


[諸  元]
全    長:10.62m
全    幅:13.90m
全    高: 4.27m
自    重:3,000kg
全 備 重 量:5,100kg
エ ン ジ ン:中島 護11型(1,800馬力)×1
最 大 速 度:502km/h
上 昇 限 度:9,100m
航 続 距 離:1,500km
武    装:機銃 20mm×2前方固定、7.7mm×1旋回
       爆弾 800kg×1または500kg×1、250kg×2
乗    員:操縦員1名,偵察員1名

[概  要]
1.異例な試作発注
昭和14年6月に日本海軍は艦上爆撃機の試作を各社に打診した。
これは前年に試作発注した空技廠の十三試艦爆が半実験機的な性格が強く、特に液冷
のダイムラーベンツを搭載発動機に決定したことが航空本部の危惧を一層強めるた。
 そこで異例ではあったが民間企業にも試作を発注しリスクの分散を図ることとなっ
た、
この発注に呼応したのは愛知と中島の2社で、本来ならこの年から1社特命で試作発
注することに方針転換となり艦爆の経験が豊富な愛知への発注が有力されていたが、
十三試艦爆が成功した暁には愛知が生産を請け負うことが決定していたため、中島に
も試作を行わせ性能が良好な場合、両社の機体を採用し数をそろえることで負担を軽
くする腹積もりで航空本部はこの2社に試作の発注を行った。なお、三菱は艦戦、
陸攻の試作で多忙のため辞退、川西は大艇の試作と陸上機の経験不足から辞退した。

 試作を受けた中島ではこの時期中島では陸上戦闘機、大攻、艦攻の試作を行って
おり、設計陣の不足が危惧されたが陸軍機担当のスタッフを参加させることでこれを
しのいだ。縄張り意識の激しい軍がこのことに口を出さなかったのには訳がある、
中国大陸での戦争と、予想される米英との戦いに備えリソースの集中、特に装備の
共通化が図りやすい航空機ではお互い協力したほうが良いとようやく認識し始めて
おり、海軍はDB601の製造権を陸軍にも使用させること決まり、さらにはエリコン
製20mm機関銃の統一採用もまとまりつつあり、これに対し陸軍はキ44、46の
海軍採用(後に2式局地戦闘機・J2N、零式陸上偵察機・R1Mとして採用)を黙認、
各社技術者の垣根撤廃で答える形となった。

2.一撃必殺の機体
 歴代艦爆を設計している愛知に対して中島は六試特爆以来失敗続きで、今回も海軍は
愛知側に期待を寄せているのが明確に見て取れたため、この状況を打破するため中島側
は海軍に1つの提案を行った。
 爆弾搭載量の変更である。通常、艦爆は25番か50番の爆弾を使用するのである
が、防御力が高いと予想される米艦隊の艦船に対しては打撃力不足が懸念されていた、
これに対し中島では80番を搭載可能な機体を設計することを提案したのである。
 いかに堅牢強固でダメージコントロールに優れた艦でも80番を食らってはただでは
済むはずは無く、ましてや空母であれば一発でも飛行甲板に命中すれば離着艦不能、
うまくすれば轟沈もありえ海軍もその気になった。だが、要求された搭載量の六割増の
爆弾を搭載するには容易なことではなく、機体の設計はこの1点に集中することとなった。
 1500馬力超級の大出力が望まれた発動機の選定では海軍は審査の終了している
火星を推薦したが、自社の発動機であることや将来の馬力向上の余地が大きいことから
護を装備することを主張し海軍がおれる形で決定した。
 大馬力を吸収するため4翅プロペラを採用し、大柄な機体を引っ張った。滑油冷却器
は胴体との段差をなくすためカウリングと一体化され開口部は冷却気取り入れ口と面一
になっており、気化空気取り入れ口は単独のダクトをカウリング上部に設け視界の確保
を図った。
 胴体は空気抵抗減少のため爆弾槽を設けた中翼配置としていたがこれは側面積の増大
により前作の十一試艦爆で悩まされた不意自転を抑えるためでもあった。
 主翼は失速特性の向上のため前縁を中島得意の前縁に後退角を持たない平面形とし、
重量級の機体の発着艦を容易にするため、2分割のファウラー式フラップを採用しさら
に補助翼も連動させて揚力の増加を図っていた。中央翼は燃料搭載量の増加と、付け根
付近の乱流による安定性の不足を抑えるため弦長を大きくとった上半角のない矩形とし
たため、テーパー型の外翼よりも前縁が大きくはみ出した形となり、不連続となる前縁
の境界には90度回転して後方に引き込む形式の主脚駆動部のバルジが張り出しており
、外翼側のフラップと併用して降爆時の抵抗板として利用される。

3.強力な好敵手
 第1時木型審査も終え主要部の図面製作が進んでいた14年末、空技廠が13試艦爆
の試作を放棄し、新たに局地戦闘機の試作に入ったとの知らせが入ったが中島の技術陣
は特に感慨もなく作業に没頭していた。彼らの相手は先行していた空技廠ではなくあく
までも愛知であった。
 設計開始から2年後、完成した両社の機体は霞ヶ浦に運ばれテストを受けることとな
った。中島側の機体は艦攻とほぼ同規模の大柄な機体であったのに対し、愛知側は極限
まで機体を絞り込んだ戦闘爆撃機的な機体に仕上げられていた。両者の特徴も対照的で
、速度、上昇力はほぼ対等、爆弾搭載量と航続距離は中島機、運動性は愛知側に軍配が
上がったが中島機に装備された護は完成したばかりで安定性に欠け、テストが行えない
こともしばしばあり、この点は稼働率に定評のある金星を装備した愛知機に対して劣る
点で、これに対し断固採用にこぎつけるため、中島は自主的に増加試作機を製作し好調
なものからテストに投入すると言う荒業をやってのけ、このことが功を奏し試験に合格
した。

4.武勲の翼
 その後、中島機は実用試験にて80番の投下に成功したが大勢は愛知側に傾きつつあ
り中島の技師たちは落胆しかけていた。
 だが17年の春、中島側に海軍より増加試作機の発注が舞い込んだ。来るミッドウエー
作戦のため、使用できる機材をかき集めていたからだった。6月完成した10機の増加
試作機は愛知の機体と共に空母飛龍に搭載されミッドウェーに向かった。実用試験半ば
の機体の実戦投入に関しては疑問の声が多くあがったため、ミッドウェー島攻撃隊には
参加せず中島機は策敵に、愛知機は上空直援機と使用されたが敵機動部隊の発見、赤城
、飛龍への敵急降下爆撃機の接近阻止を果たした。その後、夕刻に発進した攻撃隊は航
法に不安のある単座の零戦は随伴せず、零式陸上偵察機を先導とした愛知、中島の艦爆
隊により編成されていた。敵空母を発見した艦爆隊は攻撃を開始したが、殺到する敵直
援機を発見した愛知機は全機爆弾を投棄し中島機に攻撃の機会を託す打電を行った後、
全滅を覚悟の上で戦闘機に対し空戦を挑んだ。これを受けた中島機は敵空母に対し必殺
の80番を空母に叩き込みヨークタウン、ワスプを血祭りに揚げ、この戦いを辛くも引
き分けに持ち込んだ。

[あとがき]
 どうも哲セです。今回もかなり中途半端な出来でお恥ずかしい次第です。
 この機体は本来、架空の駄っ作機のために書いていた機体だったのですが、愛知側の
機体が瑞雲の陸上機型でしてあまりにも面白みに欠ける機体でしたのでデザインに的に
は天山プラス十一試艦爆、主翼は呑龍のこちらのほうが面白いかなと思い、本命にした
次第です。

[作成ソフト]
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Micrographix PictuerPublisher8