それは、あまりにも唐突で、だれもが、予想だにしなかった事だった。
「川西航空機に対し、十三試艦爆の競作を命ずる。」
これまで、川西といえば、数多くの海軍の飛行艇等を手がけて実績を
積み重ねてきた、名門ではあったが、これまで、陸上機の経験は殆ど無く
しかも、かなり厳しい性能を要求される艦爆の、しかも「愛知」との
競争試作である、だれしもが「なぜ?」を隠し切れなかった。
当の、川西でさえ何がなんだかわからない、という状況だった。
しかし、海軍には、それなりの思惑があった、当時海軍には、愛知に対する艦爆の発注については
かなりの自信と、また期待があった、初めから成功するつもりだったのである。
しかし、来るべきこれからの先行き不透明な時代に対しては、国内の各メーカのボトムアップは
とても重要だと、思われた。
そのため、いい物は作るが、余りに水上機のみ、特化したメーカーの変革を図るための
荒療治だったのである。
内容としては
(1) 開発中の、実験機的要素の強い13試艦爆を補填する機体であるため、量産が容易で稼働率の高いことを目標とすること
に見られるように、あくまで、補佐的役割、そのため多少のことは大目に見る、という雰囲気があった。
しかし、当然要求性能は、当時の水準をかなり上回っていたものだったので
それにたいして、川西でも数々のアイデアを盛り込んだ、
まず、発動機は当時、直径は大きいが、使い慣れた空冷エンヂンで、馬力もある「火星」が選ばれた、
それにあわせた胴体は、当時空技廠の提案していた、紡錘形理論により
延長軸を採用、胴体中央部に、最大断面をもつ機体形状となった。
それにあわせて、スピンナーは、空気抵抗の低さを狙い、通常よりもかなり直径の大きなものを採用した
そのため、冷却空気の不足を補うために、強制冷却ファンを取り付けた。
プロペラも大きな馬力を吸収するため、3.2mの四枚ペラを採用した。
しかも、このとき後の強風に通じる、カウリング内に滑油冷却器と過給器空気取り入れ口を開口していた
このため、機種のラインは、とても特徴的な物となった。
主翼は、強度と抵抗削減のため、比較的薄翼にした、そのため、主翼には燃料を搭載することができなくなったが
太い胴体のメリットで胴体内に、かなりの燃料を、しかも防弾装備を施して搭載することが可能だった。
全幅は、空母のエレーベーター寸度から11.5mとした。
翼面積は、24.5uとした、しかし翼面加重が高いため、空母運用のために親子式、フラップを採用した。
数々の、今まで経験したことのない、技術を使用して殆ど綱渡りのような、すすめかたではあったが
もともと、器用な川西設計陣は、この艦爆をまとめ上げた。
そして、期待にそぐわぬ、性能を披露した。
しかし、愛知の「彗星」があまりにも、すばらしい性能だったため、
採用は見送られることとなったが、増加試作機のミッドウエイでの海没
熱田エンジンの不調にまつわるトラブルが、多発し、量産に黄色信号が出たのを機に
改めて、川西にたいし、量産が命じられ、高稼働率と、高性能の両立した本機は
大戦全期を通して、空母機動部隊の、主役として、華々しい戦果を上げることができた。
またこれにより培われた、技術はのちの「強風」「紫電」「紫電改」へと繋がり、昇華されて
行くこととなった。
主要諸元
全長 10.50m
全幅 11.50m
主翼面積 24.5u
性能
最大速度 503k/h 高度5700m
航続距離 爆撃正規 1520km
爆撃過苛 2100km
武装 20mmx2 7.7mmx3(内ひとつは先回機銃)
250kg爆X1または500kg爆弾x1 翼下 60kg爆弾x2
あとがき
今回は、なかなか構想が固まらず、遅れ遅れで。
雷電改、の艦爆の話が出ていたので、火星搭載で中翼で、そのまんま艦爆に成そうじゃんと
強風艦爆になりやした。
日本機の塗装が、今一ぱっとしないんで、最近又はじめたプラモよろしく
はげチョロを施してみたところ、なんとなくさまになったような気がして、
自己満足しております。
相変わらずの、だめだめ路線ですが、枯れ木も山の賑わいということで(w
|